10月の活動報告
10月は良いとも悪いとも言えない月でした。今月は私たちの活動が少し減ってしまったので、悲しい気持ちになりました。
10月10日、私たち女性陣はファッションショーに参加しました。このイベントを企画したのは私の友だちです。彼女はファッションデザインの勉強をしています。そして、色々なところでファッションショーを開いています。本当のことを言うと、私たちはこのイベントに参加したくなかったです。なぜなら、私たちは女性の権利擁護を行うグループの会員でもあるからです。女性権利擁護グループは、女性は外見より内面の美しさが大切だという理念を持っています。しかし、ヘムさんと私はこのイベントを通して、社会に良いメッセージが発信できると考えました。そのメッセージは、「多様性を尊重しよう!」です。メディアの人たちと話す時も、障害のある人のためのファッションショーを行う意義について説明をしました。例えば、私は身体が小さいので、好きな色やデザインの服を探すのはとても大変です。「子ども服を買っているの?」とよく聞かれます。他の障害のある人たちも家族が選んだ洋服ばかり着ていて、自分の好きな洋服を着ている人は少ないです。私もファッションショーに参加しました。たくさんお化粧をされたので、私の顔は何だか怖くなりました。とても恥ずかしかったです。
ダサインはネパールで一番大きなお祭りです。ダサインが行われる15日間は、みんなで楽しく過ごします。でも、私は色々な会議に出席しなければならなかったし、毎日雨が降っていたので、実家に帰りませんでした。その代わり、お兄さんとお母さんが私の家に来てくれました。従兄弟も私の家に一週間泊まりに来ました。従兄弟は外に出かけるたびに、歌を歌いました。久しぶりに一緒に遊んだので、嬉しかったです。ダサイン10日目、年長者から額にティカをつけてもらい、ジャマラをもらいます。ティカはお米に赤い物を混ぜて作ります。ジャマラはお祭りの初日に植えた豆の苗です。ティカとジャマラをもらった後、お祈りをします。この日、私は実家に行けなかったので、叔父さんが私の家に来てくれて一緒にお祈りをしました。
10月に4回、私の団体(自立生活社会―ネパール)は会議をしました。私たちは5つのことを話しあいました。
そして、募金活動のために、ネパールで2番目に大きなお祭りであるティハールでデモを行うことを決めました。デモを行うのは、昨年に続き2回目です。その時は私の友だちも手伝ってくれたので、たくさんの募金を集めることができました。3日間にわたって行ったデモのおかげで、事務所の1年分の家賃を払うことができました。ネパールのデモは、いろいろなところに出かけて、朝から晩まで歌を歌いながらダンスをするというものです。様々な団体はこの方法を使って、募金を集めています。今年のデモは私が担当することに決まりました。
We too…キャンペーンについても相談をしました。私たちは順番を決めて、色々な大学を訪問することにしました。
10月19日に、ダスキン11期生のジャムナさんが私たちの団体に来ました。彼女は、ろうそくを作るプロジェクトのためにポカラを訪れていたのです。私たちの団体でも、僻地に住む重い障害のある子どもとその家族の支援の一環として、ろうそく作りの研修を実施しています。ろうそくを売るのは大変だと聞いていますが、皆さんは頑張っています。
ジャムナさんは私の家にも来てくれました。私はお茶を入れて、ジャムナさんをもてなしました。私たちは色々な話をしました。そして、困ったことがあったら、一緒に相談をして頑張りましょうと話しました。この絆は私たちの力になります。
会議の様子 |
ジャムナさん(左)と一緒に |
ネパールには法律がありません。6年前に法律を作るための投票が行われましたが、法律が制定されることはありませんでした。11月19日に再び、法律制定のための投票が行われます。投票時に混乱や暴動が起きないように、色々な団体が投票の様子を監視します。投票所は危険だという声もありますが、これまで障害のある人たちは投票を監視する機会すらありませんでした。ですから、障害者団体も監視に参加させてほしいという要望を出しています。また、私たちは投票所のバリアフリー化にも取り組みたいと考えています。障害のある人も投票を行う権利があります。投票所のバリアフリー化は大切なことです。
私が書いた詩が雑誌に掲載されたことがこれまで何度かあります。今回、「We too…」キャンペーンについて書いたエッセイが雑誌に掲載されました。叔父はその掲載誌を私にくれました。私の両親も詩を書くので、私にも文才があるのだろうと叔父は言います。そして、私が文章を書くと、とても喜んでくれます。
10月26日の朝、DEW-ネパールの会議に出席している時、とても悲しい知らせが届きました。叔父がトイレに落ちて亡くなったというのです。叔父は亡くなる前日、私に3回も連絡をくれました。こんなことは今までなかったことで、今でも叔父が何度も連絡をくれた理由が分かりません。
私は11月13日まで喪に服すことになり、デモには参加できなくなりました。
帰国後ずっと、私はいろいろな活動をしてきました。友だちに会う時はいつも、障害のある人のことを話しています。人々の考え方を変えるのにはとても時間がかかることを、私はよく分かっています。しかし、0からスタートすることの大変さを痛感する時、とても悲しくなります。
鹿児島で研修している時、自立生活夢宙センターの社長さん(平下さん)が書いた絵本を読みました。その中に、「黒い雲」と「白い雲」が出てきます。ネパールの空を、一日も早く、白い雲が浮かぶきれいな空に変えたいです。
私は障害のある人に関わる活動だけに専念したいと思っています。しかし、問題がたくさんあって、いつも困っています。しかし、問題には必ず答えがあると信じて、毎日頑張っています。