帰国研修生名:リヴェラ・マ・ロウェナ・ビー(第8期生)
日時:2009年3月8日
A:日本について全く考えたことがありませんでした。日本に行ったことが自分を変えてくれたと思います。とても大きな影響を与えてくれました。日本では障害者の生活がとても便利になっていました。
私はデフファミリーに育ちました。家族と一緒に過ごすことが多かったので、聞こえる人たちとの交流は少なかったです。日本で若いろう者リーダーの家庭にホームステイをして、ろうの家庭と聴者の家庭は一緒なんだ、と理解する事が出来ました。また日本では障害者に対するアクセシビリティがたくさんあって、障害者も機会を与えられている、という事実に感動しました。フィリピンの健常者はろう者を過小評価しています。
A:青年部の権利擁護(アドボカシー)担当をしています。調査を行ったり、若いろう者のエンパワーメントなどをしています。また様々なセクターの人と連絡を取ったりしており、聴者のグループやNational youth commissionとのコンタクト担当もしています。
また、今でも全日本ろうあ連盟青年部長と連絡を取りあっています。フィリピンはまだまだ日本にあるような障害者へのサービスや対策は実現しておらず、試行錯誤しながら頑張っています。また、青年部の活動で困った事があった時などは、ラフィーさん(第2期生)に助けてもらったりしています。
A:日本では様々な活動に参加し、多くの経験を得ました。まずは若いろう者に対する権利擁護の活動として、フィリピンろうあ連盟の青年部を立ち上げました。また、日本での経験を活かして、Philippines Deaf Women Health Crisis の理事をしています。この団体は8年前に設立されましたが、帰国後、理事に就任しました。
A:帰国直後は、私の家族が抱える問題の解決にもあたらねばなりませんでした。そのこととろう者に関わる活動との両立は大変難しく、苦悩や葛藤がありました。
私が関わった事例を1つ紹介します。PDWHCで扱ったろう女性のレイプ事件では、団体に資金がなかったため、裁判の際に手話通訳を雇うことが出来ませんでした。その裁判は長期間にわたって審議が行われるケースだったので、訴訟を取り下げざるを得ませんでした。これは、証言者をはじめ、関係者のろう者に対する敬意や理解が無いという事が浮き彫りになった事例でした。
A:権利擁護活動やその他団体の活動のために、ビデオやカメラなどの記録機材を揃えたいと思っています。女性グループとフィリピンろう連盟が協力して実現していきたいと思っています。また聴者に対する啓蒙活動にも力を入れていきたいです。