私が日本へきたのは きょねんの5月です。そのあと、ずっと3ヶ月は5人のけんしゅうせいと いっしょに日本語の べんきょうを しました。さいしょ 私たちは 3ヶ月 日本語の じゅぎょうを うけました。それに まいにち日本で せいかつしていますから、じつようの日本語や せんもんのことばも おぼえました。
私たちは みんなそれぞれ ちがう障害をもっています。じぶんとちがう障害をもっている人たちと このけんしゅうをうけて とても しやが ひろがりました。私は あしがふじゅうです。車椅子で 生活しています。けんしゅうせいのなかでは 私だけが あしがふじゅうです。ミャンマーのメイさんはじゃくしのじょせいです、カンコクのフンキさんはのうせいまひのだんせいです、あと ムニーブさんは パキスタンからきただんせいでちょうかくしょうがいしゃです、バンさんはベトナム からきた だんせいで、しかく障害者です。
日本で 私は じりつせいかつのことを たくさん べんきょうしました。私は 自立生活のことを ひょうごけん西宮市のメインストリーム協会とふくしまけんこうりやま市のOffice ILで べんきょうしました。それからきゅうしゅう大分市の大分タキでは 車椅子のべんきょうを いろいろすることが できました。
自立生活のべんきょうのなかではいちばんたいせつなことは 障害者も 自立生活がしたければできるということです。自立生活というのは むかしは ぜんぶ じぶんで じぶんのことを やることができるということでした。でもいまの あたらしいかんがえかたは 障害をもっているとしんたいてきにたくさん せいげんは(limited)あるけれども きめるのうりょうくが あったら 自立生活を することが できます。私のばあいは じぶんで へやのでんきをかえることができません。私は障害をもっているから、けんじょうしゃにくらべて できないことがあります。だからまえは じぶんは 100%の自立生活は できないとおもっていました、 でもいまは じぶんでできなくても じぶんで きめることができれば 自立生活をしていることだとおもいます。
ちてき障害者のばあいは、じぶんできめることができないひともいます。けれども、いまのじょうきょうは ちてき障害者は グループ ホームに はいれます。いっけんのいえでだいたい 4―5人で いっしょに くらしています。かんたんなしごとも できます。たとえば さぎょうじょで はたらいて、あとはあそぶこともできます。
つぎに 車椅子に ついてのべんきょうですが 私にとっては おもしろいとおもいます。たとえば 車椅子のずめんのかきかたや しゅうりのほうほうや、どんな障害をもっているひとに、どんなくるまいすが あうかをえらぶということです。マネージメントのこともすこしべんきょうできました。私は ずっとまえから 車椅子のことがべんきょうしたかったです。だから、日本で 車椅子のべんきょうができて とてもうれしいです。これは日本にきて はじめてべんきょうできたことです。
日本で いろいろなべんきょうかいにさんかできたことは 私にとってあたらしいけいけん でした。たとえば、日本では たくさんの こくさいセミナーにさんかすることができました。ぜんぶ むりょうでした。たくさんけんがくもしました。 それに いろいろな ことについて せつめいも してもらいました。それはとてもいいことだとおもいます。
このような きかいは とても 価値のあるものだとおもいます。このようなきかいがあたえられなければ 私たちしょうがいしゃは べんきょうすることが むずかしです。私はしごともすきだけどもべんきょうかいもすきです。日本でのけんしゅうで 私たちは たくさんのことをべんきょうすることができました。私のくにでは障害者がべんきょうするきかいはほとんどありません。
だから、このようなきかいを あたえてくださった ダスキンのかたがた、リハビリテーション協会、日本語のせんせい、西宮のメインストーリム協会、ふくしまの Office IL、大分の大分タキと 太陽のいえのかたがた ほんとうに ありがとうございました。そのほかにも おせわになっかたがた におれいをいいたいとおもいます。