日本へ来てから、いつのまにか10ヶ月間もたってしまいました。ほとんど毎日面白い経験をしているので、時のたつのが速いです。今はもう大分日本の生活になれてきましたけれども、すぐ帰国しなければならないので、ちょっと寂しいですね。日本にいるあいだ、色々な場所に行ったり、さまざまな研修をして、思い出す事がいっぱい有るので、ここでたいへん印象的な事をできるだけスピーチさせていただきたいです。
3ヶ月間の日本語の勉強が終わってから、今年1月9日から個別研修が始まりました。まずは、藤沢の湘南希望の郷というリハビリテーションセンターで一ヶ月間自立生活を訓練しました。内容は歩行訓練、調理訓練、そしてピアノと陶芸の授業もありました。そのあいだ、自立訓練してくれた事は将来にとって、たいへん役に立つと思います。
日本に来て始めて白杖を使っています。訓練の時、やっぱりたくさんの困難が出てきました。でも盲人が杖の使い方が解らなかったら、必ず外へ出る時困ってしまいます。人間は85%の情報が目から入ります、白杖は盲人の眼ようだから、人は自分の目をばっちり使っていなかったら、人生の興味や生活の体験は半分以上がなくなると思います。だから、将来リーダーでなくても、日常生活にとって、歩行訓練も十分重要だと思います。
つぎは調理訓練で、ショウレイだからしなければならない。(じょうだんです。)上海で一人っ子なので、食べたい時口でさえ言えばすぐ食べられました。けれども、藤沢で食べたい物があっても、自分で作らなければならないので、調理訓練の時一生懸命好きな物を作りました。たとえば、サラダとか日本の煮物とか餃子も一人で初めて作りました。自分がつくったので、すごく美味しかったですよ。そういう事ができたので職員たちも びっくりしました。そして陶芸もやりました、産まれてから始めて陶芸をやりました。だいすきです。7月に上海に帰って、母と父の前でそういう事をやってみる時両親は驚くかもしれません。
二月の半ばから3月の終わりまで、大阪の日本ライトハウスで研修しました。主な内容は日本語とパソコンの勉強でした。勉強途中、一番感じた事はライトハウスのボランティア組織が優れていることです。たとえば盲人情報文化センターは職員が15人で、ボランティアさんが600人ぐらいです。ボランティアさんたちはタイムロード、点訳、点字の本の印刷と郵送、いろいろ仕事をやっています。だから視覚障害者は読みたい本とか何処へ行きたいとか勉強したい物があれば、ボランティアさんと一緒になんでも自由にできるようになっています。くわえて、社会福祉から毎月年金を貰えます。 出かける時くうこう、駅、ほどうの上、視覚障害者がいつも利用する所に殆ど点字ブロックがあります。そのほか、音声信号もたくさんあります。日本の障害者の生活はたいへん便利になっていると思います。
それに視覚障害者のための他のいろいろな組織があります。たとえばボイスネットというコンピューター団体は視覚障害者にコンピューターの知識を無料で教えているボランティア組織です。毎月一回グループのすべてのメンバーは会って、最近の組織の状況を交流、討論します。とてもいい団体だと思います。もう一つ、視覚障害者の文化てきな生活を改善するために、一つ新しい意義のボランティア組織をつくっています。だから もうすぐ 盲人たちにとって 健常者ができるように 旅行や映画を見るようなことを自由に出来るようになると思います。視覚障害者の生活は物質てきな満足だけではなくて、文化てきな生活も非常に大切ですね。それで人生の意義は豊富になるとおもいます。
大阪での個別研修中に、日本ライトハウス視覚障害者リハビリテーションセンターで歩行訓練と手工芸を研修をしました。視覚障害者たちは見えなくても、指先を使って花瓶やテーブルクロスを上手に作ります。使う材料はつる、いも、点字の紙、紙粘土などです。特に点字の紙を使っていろいろなかたちの物を作る事ができます。かごやくつ、ぼうしも作る事ができ、本当に素晴らしく心から感心します。既に使用された点字の紙はすぐにごみにならず、もう一度使うことができます。こうすることで盲人は紙を節約できるし、社会は環境を守る事ができるのではないかと思います。私も興味があるので、頑張って物を少し作りました。
4月からずっと東京で勉強し、5月末に個別研修が終わりました。そのあいだ、時々地方に会議などを見学しに行きました。たとえば、日本盲人連合会の見学、京都国際会議場、長崎盲学校の見学などです。その中でたくさんの事を感じました。たとえば、日本盲人職能開発センターへ見学に行ったときには新しい事を知りました。そのセンターでは20年前から、盲人がマッサージ師以外の新しい職業に就くために訓練をしています。新しい職業と言うのは盲人がテープを聴きながら、デンピツと言うソフトを使って、コンピューターで墨字の文章を書く仕事です。マッサージよりいい職業だと思います。現在東京で、その職業に就いている盲人は40人ぐらいです。そして毎年5,6人視覚障害者がセンターに行って、その仕事をするために一年間訓練しています。このことは盲人が仕事をするチャンスを増やすだけではなく、同時に障害者が生活の希望と目的を持つチャンスも増やすと思います。
6月からの一ヶ月間はリーダーシップ研修をしました。日本障害者組織の成り立ち、福祉法律制度、運動システム、障害者の性についての情報等詳しく説明して頂きました。クラスにはいろいろな国から来ている研修生がいましたので、彼等と自由に討論する中で日本の情報だけではなく、いろいろな国のさまざまな情報を得る事ができました。とてもよかったと思います。
今年のお正月(12月28日~1月5日)伊藤さんの家に泊まりに行きました。短い時間でしたけれども、とても楽しかったです。そして4月に東京に戻ってからは、週末によく伊藤さんの家に泊まりに行きました。まるで自分の子供のように世話をして下さいました。伊藤さん夫婦は親切な方なので、日本のたくさんの場所に連れて行って下さいました。とてもいい写真を撮って頂きました。そして、どこにいっても、伊藤さん夫婦が日本の歴史や日本人の生活習慣を教えてくださいましたので、日本の文化を少しずつ知るたすけになりました。いつもいい勉強をさせていただきました。
本当にありがとうございます。
それに外国人がホームスティすることで、日本人の家族1人1人が急速にやさしくなったと思います。このことは日本の若者にとって将来の成長につながる大切な事だと思います。今回のダスキン研修プログラムは私たちにとっても、日本の社会全体にとっても、いい成果をもたらしたと思います。
最後に上海に帰ってから、なにをするか話したいと思います。まずは、日本語点字とパソコンです。日本でいい先生方と出会い、日本語とコンピューターの知識をつけさせていただきました。
しかし今まで習ったことは一部分だけで、まだ足りないと思いますので、上海に戻ってからは、知識を増やすために、もっともっと勉強しなければならないと思います。今年12月の日本語能力試験を受けようと思っていますので、今日お集まりいただいているみなさんには日本語でメールを送って頂きたいと思います。私が日本語で文章を書く練習ためだと思って、ご協力おねがいします。そして、できれば上海の視覚障害者たちに日本語の点字を教えてあげたいと思います。彼等が新しい技能を身につければ、必ず何時か役に立つと思います。今後のダスキンの研修生になれるかもしれません。ですから、自分が頑張って日本語を勉強しなければなりません。
そのほかの夢は上海で視覚障害者のためのラジオ番組を作ることです。現在大阪にはJBSという障害者のための放送局があります。JBSというのは日本福祉放送のことです。放送内容はスポーツ番組、料理番組、ファッション番組、番組案内、パソコン講座で、ニュース番組の中では世界中の障害者の情報を放送しています。とくに視覚障害者の情報が多いですが、いろいろな番組をやっています。視覚障害者にとって情報は大切ですので、視覚障害者には情報障害者という別名があります。もし上海にもJBSようなラジオ放送があればいいと思います。何時その願いが実現するかわりませんが、人間はともにがんばれば、何時か実現させることができると思います。
一年間の勉強を通して、ダスキンの研修生になって、よかったと思います。この一年間たくさんの親切な日本人と出会いました。とくに職員の方々と先生方はいろいろな知識を教えてくださいました。ありがとうございます。初めて外国へ来たので、最初は少し心配でした。でもさまざまな経験を通じて、自分の自立した生活にたいして少しずつ自身を持つようになりました。
同時に私をそだててくれた両親の気持ちも理解できました。本当にダスキンのみなさまに心から感謝いたします。7月上海に帰って、皆様のご恩に報いるために、中国の障害者のために、頑張りたいと思います。