日本でのけんしゅうは、私の人生の忘れられない思い出になりました。
私はアジア たいへいよう ちいき 障害者 リーダー いくせいじぎょうの けんしゅうせいにえらばれて平成12年9月1日から平成13年7月5日まで1年間、日本で けんしゅうしました。日本に来る前の けんしゅうの おもな もくてきは日本語を学ぶ、小児科医として のうせまひの しんだんや ちりょうを 学ぶ、障害をもつのこどもたちのために かつどう している びょういんや しせつを 見学する、日本でひらかれる国際シンポジウムに さんかして たくさんの おいしゃさんに あう ことでした。
日本に来たばかりのときは 日本人のはなしを聞くのが たいへん むずかしくて 何も分からなかったので会話がまったく出来ませんでした。しかし、日本語のけんしゅうがはじまってから、日本語で話せるようになるために じぶんで、がんばりました。先生がたも 日本人で、日本語を日本語でせつめいしたので、私たちも日本語で話さなければなりませんでした。べんきょうをおわって外へ出かけても日本語が分からないとこまると思いました。また こべつ けんしゅうの ときに つうやくを つかわないので なるべく はやく日本語で はなせるように ならなければなりませんでした。もうひとつのりゆうは、日本ではモンゴル人の りゅう学生が おおくて、日本語がじょうなので そのひとたちのようになりたかったということです。
12月に3ヶ月で 学んだ 日本語をつかって はっぴょう すると いう たいへん むずかしいことを しなければなりませんでした。とにかく はっぴょうして 日本語の けんしゅうが おわって あとは日常生活の中で、じぶんで勉強するようにしました。
せいしきな こべつ けんしゅうが はじまる前に きょねんの 10月に鳥取県米子市で おこなわれた 日本と ドイツの しょうにしんけいかの シンポジウムや 今年の 2月に 東京で おこなわれた アジアの しょうにリハビリの 国際シンポジウムに さんかして アジアの いろいろな国の リハビリの先生がたに会って、話やリハビリについて 新しい じょうほうを えました。
私の けんしゅうした 病院は 障害をもつこどもたちの びょうきの しんだんや ちりょうや リハビリを やってる しせつでした。私は せいしりょうごえんで4ヶ月、北九州市の りょういくセンターで1ヶ月けんしゅうしたとき しんさつや しゅじゅつや リハビリや ほかの たくさんのことを見て 先生方に せつめいして いただきました。
1年間 日本で けんしゅうしたあいだに さまざまな よい たいけんや たのしいことを しました。そのとき私は、じぶんの いちばん行って見たかったところ、平和の町、広島へ 行く ことが 出来てよかったです。広島の平和公園を見たことだけではなく、あいのわの みなさんがたや 私の日本人の かぞくの上野さんの かぞくの おかげで とっても よいホームスティをすることが出来ました。かぞくの みなさんと 広島の町を見物したり、おいしいごはんを食べたりして たのしい じかんを すごせました。
去年 みんなでやったスキーけんしゅうや 今年の6月にやったダイビングたいけんは、私にとって りょうほうとも はじめてのことでした。モンゴルはすごく さむくて ゆきが たくさん ふるので 帰ってから スキーをやろうと思えばできると思います。しかし、ダイビングを やる きかいは モンゴルではないでしょう。ダイビングスーツをきて、さんそボンベをつけて水の中にもぐるのは、ちょっと こわかったです。けれども じかんが すぎると だんだん こわくなくなりました。ダイビングプールで すごした じかんもひとつのよい思い出です。
そのほか、日本に来てから行ったいろいろな町や見学、なかでもディズニーーランドやユニバーサルスタジオで すごしたじかんば もちろん わすれられない思い出になりました。とくに、私がけんしゅうしていた あいだにユニバーサルスタジオという すばらしくて ところが出来て、私はそれを見ることが出来て たいへん うれしくて ほんとうによかったと思います。
さいしょ 日本に きた とき ぶっかが高いし、人が おおいし、電車の線が いっぱい あるし、ことばも わからないし、たいへん つらかったですが、それは ぜんぶ 日常生活の もんだいだったから じかんが たつと だんだん なれて来ました。日本、とくに 東京では なんでも べんりなこと、市内がきれいだということ、電車がじかんに おくれないと いうこと、日本人が いっしょうけんめい はたらいていること、やくそくや じかんを いつも だいじに して かならず まもる ことが いちばん きにいりました。これは ちょっと わるい いんしょうかもしれませんが 日常生活で毎日 見てかんじたのは 日本人は 会社に かようために 電車の中で 長いじかんを すごすから かぞくと いっしょに すごせる じかんが すくないし、そして あさから ばんまで いっしょうけんめい はたらいているから すごく つかれていて、ストレスが たまっているかなと いう ことでした。
国へ帰ってから障害をもっているこどもたちのために日本で学んだことを ぜひ いかして しごとしていこうと おもっています。病院のことだけではなく、リーダーシップ いくせい じきょうの 研修生 として モンゴルの 障害者の人たちの ための かつどう やって いけば いいかなと 思っています。もちろん なにか かつどう やる ときは さまざまの もんだいが いっぱい あると 思います。それを きめる ために じぶんの ちからだけで たりないので とりあえず じぶんと おなじ かんがえを もっている なかまたちを あつめてチームをつくってから 次のことを かんがえていこうと思っています。そして、出来るところで 日本のみなさんがたと きょうりょくして がんばって行きたいと思います。
こんかいの けんしゅうに さんか して 日本で1年間 けんしゅうした あいだに じぶんの せんもんに ついてや ほかの ことに ついて さまざまの じょうほう えたり、たくさんの ひとびとに会って しりあいになったり、いろいろな ところへ いって みたり して じぶんの かんがえかたや こころを もっと 広く する ことが 出来たということは 私のやった すべての けんしゅうの いちばん おおきな せいかだと思います。
上に書いたこと、または 日本で した けんしゅうを ふりかえって見ますと1年間やった すべてのことが、私の人生の わすれられない思い出になりました。
ありがとうございました。さようなら。日本。