日本へ来る前にどんなプログラムかはっきり分かりませんでした。私はインドネシアのバンドンの養護学校で働いていました。学生は肢体不自由、知的障害、自閉症が多いです。日本へ来る前、日本の特殊教育、とくに自閉症と肢体不自由の子供達の教え方を勉強したかったです。でも、日本に来ていろいろな情報をもらって、もっとたくさん知りたいことが出てきました。この事業はとてもすばらしいと思います。
2001年8月24日に、成田空港に着いた時、夢にまで見ていた本当の日本にいることが信じられませんでした。外国は初めてですし、文化が違いますし、季節も違いますし、言葉も分かりませんし、いろいろなことを心配しました。1年間違う国で生活することが、とても長くて大変だと思っていました。日本は技術と教育レベルの高い国です。日本は時間に厳しい国です。日本では全てがきちんとされています。最初のうちはちょっと大変でしたがだんだん慣れてきました。
私にとって一番興味深いことは障害者バリアフリーがいいことです。日本に来た時、重度の障害者がいっぱい歩いていたり、電車に乗ったりして、びっくりしました。インドネシアでは障害者、特に十度障害者は外に出ません。
個別研修は12月1日から6月6日まででした。私の研修は、最初は富山養護学校、愛育養護学校、町田ヒューマンネットワーク、コンピュータ、国立特殊教育総合研究所、スタジオIL文京、CIL国立援助為センター、下関市こども発達センター、Com-Support Project、国際CBR研究会でした。あと色々な学校も見学しました。
最初の個別研修は富山養護学校でしました。富山養護学校は一人一人のプログラムがいいと思います。最近インドネシアでも少しずつ先生方が個別のプログラムの勉強をしていますが、養護学校ではまだしていません。先生方がまだ少ないし、色々問題がありますし、障害者教育もまだまだだと思います。とくに重度の子供達はほとんど教育を受けていません。富山養護学校の小学部の子供達と毎日一緒に勉強したり、遊んだり、お話したりして、楽しい時間を過ごしました。
愛育養護学校はまた別のやり方です。子供のことをとても大事にしています。愛育の考え方は障害がある子供を特別にしません。たとえば、兄弟の中に障害がある子供がいても、他の兄弟と同じように幸せになることができるという考え方です。これらの二ケ所での研修や色々な学校を見学して、1つ分かったことがあります。教育は、算数や国語の勉強だけではなく、人間の関係が一番大切だということです。町田ヒューマンネットワークで研修したことは、アサーティブトレーニングやピアカウンセリングや親のサポートです。私にとって町田での研修はとてもためになりました。自分の気持ちが大切なので、どうやって上手に自分の気持ちを言ったり、出したりしてできるかという勉強をしました。
色々なところに行って、どこが一番勉強になったというのは難しいです。それぞれ特長のある内容でしたから、全ての研修がとても良い勉強と経験になりました。
6ヵ月間の個別研修のあと、6月10日からグループ研修が始まりました。研修生のみんなと久しぶりに会った時、とても嬉しかったです。授業を受けたり、ディスカッションをしたり、出かけたりして、とても良かったです。研修生が仲良くなってきて、それで国際シンポジウムをやりました。シンポジウムをたくさん人と出会って、情報をもらって、とてもいいチャンスだと思います。
私にとってリーダーシップの講義はとても良かったです。リーダーとして分析とフィールドバックが大切です。自分の経験を分析することが分かってこなければなりません。それでどうやっていいリーダーになるか教えていただきました。
インドネシアでは松葉杖を使います。日本に来てから1週間後に電動車いすを使い始めました。最初はまだ慣れていませんので、こわくて、難しかったです。慣れてきたら、電動車いすは本当に便利だと思います。電動車いすを使いますので、遠い所にも行けます。日本では特に東京のバリアフリーがいいので、私はどこへでも行けます。駅のエレベーターが無くても、駅員さんがちゃんと手伝ってくれます。ですから、どこの所も心配ではありません。
研修生の中で5人が車いすに乗っています。私の車いすは4人「メロディ、シャフィク、チャノ、ナディン」の手になりました。あと歩ける人はときどきうしろに乗せてあげました。日本ではたくさん電動車いすに乗っていますが、インドネシアでは電動車いすはまだありません。
インドネシアでは雪が降りませんので、日本に来て初めてです。初めて見た雪は富山県で、雪が毎日降りました。私はホームステイの前に3日間スキーの研修でした。私にとってスキーは初めてなのでとても楽しくて、良かったです。私はリフトに乗る時、こわくて1回転びましたが、滑った時、気持ちがとても良かったです。私にとって一番の印象は、日本では、障害があっても障害がなくてもみんな同じチャンスがあることです。インドネシアのスポーツは障害者と健常者が別々にしています。インドネシアでは特別なスポーツしか出来ません。
日本に来て札幌に行きたかったです。ちょうどホームステイの場所は札幌でした。札幌へ行ったとき、天気が良くなかったので飛行機が一時間半遅れてしまいました。私のホストファミリーはとてもいい家族です。6日間の間にいろいろな所へ連れて行って、お父さんのお兄さん、お母さんのおばあちゃん、お母さんの友達、みんなに紹介してくれました。6日間の楽しい時間を過ごしました。私にとって、日本のお父さんとお母さんは自分の家族みたいです。東京に帰る時、家族が空港まで送ってくれました。お父さんはゲートまで送ってくれました。自分の家族みたいですので、別れる時大変寂しくなりました。飛行機の中でずっと泣きました。いつか会える日が来るかなーと思っていました。
ホームステイの後でも、日本のお父さんとお母さんにずっと連絡をとっていました。ゴールデンウィークの時、お父さんとお母さんが呼んでくれて、私はもう一度札幌に帰りました。3日間、日本の家族と一緒でした。最初の日はバーベキューをして、楽しかったです。
私は1年間日本で生活していろいろ経験をしました。最初からホームシックになりましたが、日本の生活でたくさん楽しい時間を持つことができました。友達がいっぱいでき、日本の家族もいますし、私にとって大切な事と思います。
日本でいろいろな所に行って、人と出会えて、情報をもらってとても良い勉強になりました。インドネシアに帰ったら、学校で仕事に戻ります。日本でいろいろ学ぶことができました。障害者のためにいろいろやりたいことがあります。ですから、帰ったら仕事しながら障害者について理解を社会に広げていきます。
9ヵ国から研修生が日本に来て、一緒に生活して、いろいろありましたが、たくさん思い出ができたと思います。いいこともありましたし、悪いこともありましたが、良い経験になりました。私にとって1年間日本で生活して、笑ったり、泣いたり、小さなけんかをしたこともありました。これからみんながそれぞれ国に帰っても連絡をとれるようにしたいです。私達の関係をこれからも続けていきたいです。
最後になりましたが、日本の関係者の方に本当にありがたいと思います。まず、ダスキン愛の輪の皆さま、本当に素晴らしい事業で、アジア太平洋障害者リーダーのために援助していただきました。感謝の気持ちは言葉では言えません。本当にどうもありがとうございました。日本障害者リハビリテーション協会の皆さま、いろいろお世話になりました。本当にありがとうございました。個別研修でお世話になった皆さま、いろいろ教えていただいて、本当にどうもありがとうございました。
特に、研修課の皆さま、1年間私達のために仕事としてだけではなく、私達の生活や精神的なことも良くしていただいて本当にありがとうございました。皆さま、おつかれさまでした。