私はマレーシアから8月24日に日本へ来ました。日本へ来る前に私はちょっと怖かったです。日本に来るのは初めてでしたから。飛行機の中では色々なことを考えました。私は自分で色々な質問をしました。「今私はどこへ行くんだろう」。私は日本についての本をたくさん読みましたけど、実際に行ったことがありません。ですから、日本はどんな国だろう、日本語の言葉は全然分からないだろうと思いました。そして私はとても心配でした。
私が日本へ来て一番難しかったのは日本の食べ物です。マレーシアと日本の食べ物は全然違います。ですから、私は日本へ来るとき1ヵ月分の食べ物を持ってきました。3ヵ月ぐらい私はあまり日本の食べ物を食べませんでした。でも、今私の生活は日本人と同じで、私も日本人と同じです。そして私も日本人になりました。
私が日本へ来て色々なことを見た中で、いい印象だったのは、日本の障害者達の生活が私達の国の障害者達よりいいことです。日本の障害者達は、いい生活をもっています。そして、国から色々なサポートがあります。例えば、仕事のチャンスとかスポーツのチャンスとか色々あります。それから、日本の人達のマナーや、技術が進んでいます。日本人達は障害者達のために色々なサポートをしてくれています。例えば、バリアフリーの駅やバスがあるし、駅員さんなどやさしい人達が助けてくれています。これは本当にいいことだと思います。
私は日本へ来て3ヵ月くらい日本語の勉強をしました。日本へ来る前は私は日本語を全然話せませんでした。マレーシアにいるとき、私は日本語をあまり大切だと思いませんでした。日本へ来ていつも英語で話すことができると思いました。でも、私の考え方は全然違いました。ですから、私は初めはコミュニケーションが難しかったです。そして日本語のクラスは9月から始まりました。初めは日本語が本当に難しくて、覚えるのは全然出来ませんでした。ひらがなとかたかなも覚えて書くのがあまりできませんでした。でも、私達の日本語の先生3人はほんとうにやさしいですから、いつも勉強のために色々なサポートを私達にしてくれました。ですから、私もだんだん日本語が上手になりました。
私は日本語を3ヵ月勉強しただけではなくて、個別研修のために色々な場所へ行って、たくさん勉強しました。私の研修は全部日本語です。そして私の友達もいつも私に日本語で話しますから、私もたくさん練習をしてがんばりました。もし私の日本語で間違いがあれば、私の友達がいつも教えてくれます。だから私の日本語もよくなりました。
3ヵ月の日本語の勉強が終わってから、私達は自分の個別研修へ行きました。私は色々な場所へ行って個別研修をしました。
私は大分の太陽の家で3ヵ月くらい2つの個別研修をしました。私が大分で勉強したのは、障害者スポーツと車いすの修理です。私は国でスポーツをしていますけど、重い障害を持つ人達がスポーツをしているのを見たことがありません。大分で色々な障害を持っている人達が色々なスポーツもしているのを見ました。私もこの障害者達と一緒に色々なスポーツをして、勉強になりました。それから、日本でスポーツのために色々ないい車いすがあります。私も国で車いすバスケットボールと車いすマラソンをしていますけど、あまりいい車いすでしていません。でも大分で私は初めてスポーツのために一番いい車いすでバスケットボールや車いすマラソンをしました。ほんとに気持ちがよかったです。これから、私は国でスポーツコーディネーターになることができます。
それから、私は大分の大分タキで車いすの勉強もしました。この車いすの勉強は大事な研修だと思います。大分タキの上野茂さんは私の車いすの先生です。私の区にでは私達の車いすはあまりよくないです。大きくて重いです。ですから、私の国でも一番の問題は車いすです。車いすがあるけど、壊れたとき修理はあまりできません。そして、修理の場所もひとつ、ふたつだけです。車いすが全部大きくて重いですから重い障害者達の生活や外へ行くのも難しいです。だから、みんなうちの中で生活しています。ですから、車いすの勉強は大事なことだから、私は大分タキの皆さまのサポートで一生懸命車いすの修理をしたり、新しい車いすの作り方も勉強してがんばりました。車いすもふたつもらいました。
私は大分にいる間に大分の有名な新聞にのりました。マレーシアでも私は新聞やテレビや、高校や大学へ行ってたくさん講演をしたことがあります。これは国の中だけですが、私は日本へ来て初めて日本の新聞や色々な場所で話しました。これはほんとうに素晴らしい経験です。
2月まで大分で研修した後、東京で高橋さんとまつはしさんという2人の先生達からホームページの勉強をしました。国で私の障害者センターのホームページを作りたいですから、勉強をしました。国で私の障害者センターのホームページを作りたいですから、勉強をしました。そして、今私も自分のホームページを持っています。
ホームページの研修が3週間くらいで終わって、私は名古屋のAJU自立の家へ行きました。そこで私はやまださんからDPIのためにちょっと勉強をしました。私はAJUのサマリアハウス(ぴあ名古屋)で江戸徹さんからスポーツイベントの企画や資金の集め方や運営の仕方を勉強しました。私はAJUにいる間、AJUの人達から色々なサポートをもらいました。AJUの人達はとても親切で、色々な新しいことを手伝ってくれました。そして私は名古屋でもたくさん友達ができました。研修の中で私はスポーツもしていました。名古屋のマラソンも走りました。そして、マラソンの車いす1台をAJUのサマリアハウスの徹さんにもらいました。
良かったです。私は名古屋で色々な場所へ行きました。例えば、愛知の太陽の家へ行って、見学をしました。名古屋の研修で色々な場所へ行きました。例えば、愛知の太陽の家へ行って、見学をしました。名古屋の研修が終わるとき、最後に私とAJUの人達はみんな山の家へ行きました。この山の家は本当におもしろくて楽しかったです。私は始めて森の動物も食べました。食べるときは、この食べ物は牛肉と思ったけど、違いました。でもおいしかったです。
5月の7日から私の埼玉の研修が始まりました。研修の場所の名前はニッシン自動車工業です。ニッシンの亀田藤雄さんとニッシンの皆さまから私は色々な勉強を教えてもらいました。私がニッシンで研修をした理由は、私の国では障害者のための車の改造があまり進んでいなくて、高いですから、この勉強をしたいからです。研修の中で、私はたくさん技術を学びました。例えば、私は以前溶接や自分で物を作ることが全然できませんでした。でも、今私はちょっと上手になりました。私は日本へ来て初めて障害者達のための色々な福祉車両を知りました。私の国より良くなっています。
私は日本で車いすの勉強や障害者達が車を運転するための福祉車両の勉強をしました。国に帰って私は国の障害者達にもいい生活をしてほしいですから、小さい工場を作って私が学んだことをみんなに教えて、みなさんに色々なチャンスをあげたいと思います。これは私が本当にやりたいことです。
私達は日本にいる間に水泳にも行きました。私はマレーシアで水泳が全然できませんでした。そして、プールに入るときはほんとうにこわかったです。日本へ来て奥平真砂子さんは水泳クラスがあると教えてくれました。私は行きたいけど怖かったです。でも、水泳の先生のむらかみさんともりたさんとばらさんは本当に励ましてくれました。ですから、今私も水泳ができるようになりました。
去年の12月25日から私はスキーにも行きました。私の国では雪が全然降りません。いつもテレビでだけ見たことがあります。でも、日本で私は初めてスキーに行って雪を見て触りました。それから、スキーもしました。スキーの後でシャワーをしました。マレーシアで私達はひとりでシャワーを浴びます。でも、日本ではみんな一緒に浴びるのが大好きです。私もスキーのとき初めて温泉に入りました。初めは恥ずかしいけど、わくわくしました。このスキーのとき私は自分で学んだことは、障害者達はどんなスポーツも出来るということです。もし自分の心の中で何でもできると思えば、何でもできるのです。
スキーが終わって私はホームステイの時小林さんの静岡のうちへ行きました。私のホームステイの家族はいい家族です。そして小林さんと家族から私は色々な勉強と情報と知識を教えてもらいました。それから新年のとき私は色々なプレゼントをもらいました。私は初めてたくさんおもちを一緒に作って食べました。小林さんの家では私は自分の家族といるみたいでした。小林さんは私のお母さんみたいで、本当に色々なことをしてくれました。私は小林さんの家族と一緒にいてとても幸せでした。私はみなさんにこの機会をくれてありがとうと言いたいです。
今、2001年8月24日から1年間の研修を終えました。研修生に選ばれとても幸運だと思います。日本にいる間自分のしたいことをできる限りできました。親切なアドバイスやケアをしてくれたJSRPDのスタッフやトレーニングコーディネーターに感謝します。愛の輪運動基金とダスキンプログラム関係者の方々、私を支えてくれた全ての人々にありがとうと言いたいです。この経験は私の人生を変え、日本でのとても大きな思い出です。最後に、誰でも豊かな経験や知識やスキルやアイデアを持っています。それを信じることから可能性は始まります。大切なことは何かを変えることができると信じることです。そして、その変化は自分の中にあると思います。このことはダスキンの創始者の鈴木清一さんの哲学から学びました。それは私の考え方と共通点があります。最後に、私は日本で障害者スポーツや車いすの修理、そして障害者のための改造車の勉強をしました。そこでたくさんの人と話し、学んだことは、実際に国でどうやってそのアイデアを伝えるかの手段でした。国に帰ったら、多くの障害者達に私が学んだことを伝え、みんなで一緒に頑張りたいです。
しかし、私はまだこれからも闘わなければなりません。そして、将来ダスキンリーダーシップ研修を通じて私が日本で経験したことや学んだ知識を使って他の障害者の生活をもっとよく変えたいです。私がこれから始めることは言葉だけではなく、本当に行動を起こさなければなりません。私はたくさんの人に協力してもらいながら、障害者の生活のために行動していきたいです。