Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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キム・ゼ・ウォンのファイナルレポート

運命の出会いと来日

2001年5月、ハン・ヤング総合大学病院の病室でそれまでの人生がひっくりかえるような出会いがありました。平凡ではなかったあの人-パク・チャノさん(第3期研修生)-との出会いが視覚障害者の世界しか知らなかった私に外の世界へ踏み出すきっかけをくれたのです。

チャノさんは障害者福祉から地域に住む障害者の自立生活まで色々な話をしてくれました。その時は「この人、何わけのわからないこと言ってるんだ?」と全く理解できませんでした。しかし、チャノさんが退院するとき言い残した「お前、今の生活に満足しているか?」という一言は私の胸に突き刺さりました。退院して日常の生活に戻っても、その言葉が忘れられずチャノさんが教えてくれた正立会館に行ってみたのです。そして、チャノさんと話をしているうちに、そこでボランティアをすることになりました(私はすっかりはめられたのでしょうか?)。ボランティアとしての活動はチャノさんが研修生として来日した後も続きました。その活動を通して、様々な障害を持つ人たちと出会い、ピアカウンセリングや障害者福祉、障害者のサポートの仕方などを学びました。私は日々、「ああ~、世界って広い」と感じていました。そして、もっと広い世界を知るために自分も日本で研修を受けたいと考えるようになりました。

2002年7月にチャノさんが帰国しました。感想を聞いたら一言、「辛かったけどよかった」と答えてくれました。私は来日が待ち遠しくなりました。

いよいよ8月21日がきました。外国で生活するのはこれが初めてです。家族や友達は私のことが心配で仕方なかったようです。どんな言葉をかけても安心させることはできませんでした。私自身、期待と不安が入り混じっていて、イン・チョン空港から成田空港までの1時間半がとても長く感じられました。

異国の友達と日本の生活の始まり

日本での生活は様々な国から来た研修生との出会いから始まりました。私たちは文化や風習、宗教の違いから生じる誤解や意見の衝突を何度も経験しました。しかし、様々な壁を乗り越えて友情を育みました。それは、私たちに「社会を変えたいという強い意志」そして「若さ」という共通点があったからです。

ヒューマン・ケア協会へ

2002年1月、研修生はそれぞれの目標へ向かって歩みはじめました。私の最初の個別研修先は八王子にあるヒューマン・ケア協会というCILでした。CILというのは地域の障害者の自立生活をサポートする団体のことです。ヒューマンケア協会は1986年に日本初のCILとして設立され、今でも中心的な存在です。CILでは相談業務(ピアカウンセリング)や介助者の派遣、情報提供、各種講演会の企画などを行っています。私はここで2ヶ月の研修しました。

この研修期間は、事務所から歩いて25分のところにある体験室に宿泊しました。3ヶ月を共に過ごした仲間がいない体験室は一人で生活するにはだだっ広く、本音を言うとちょっと寂しかったです。事務所から借りたビデオ・デッキが私の友達になり、恋人になってくれました。あれがなかったら生活できなかったかも知れません。

ヒューマンケア協会では「ピアカウンセリング(障害者当事者による精神的なサポートの仕方)とILの理念」に内容を絞って集中的に研修を行いました。どちらも研修目標として掲げていたものだったので、満足のいく研修を行うことができました。ただ、生活のリズムがなかなか掴めず、午後だけの研修となってしまったことが今振り返ると心残りです。一番難しかったのはやはりピアカウンセリングでした。韓国にいたときから勉強をしていましたが、もっと深くその世界へ入ってみるとこれはまさに宇宙でした。未だに100パーセント理解できてないと思っているので、韓国に帰ってからも勉強を続けたいです。

メインストリーム協会

3月19日から西宮にあるメインストリーム協会で研修をしました。日本では4月から制度が変わろうとしていました。スタッフは皆、それに伴う準備に追われていました。制度や法律などの堅い話は苦手ですが、作業の手伝いを通して自然と色々な知識を得ることができました。作業自体も面白かったし本当にいい経験になりました。また、作業のない時はこれまで研修したことを自分なりに整理したり、帰国後のことを考えたりして過ごしました。スタッフの皆さんからは十分な研修ができず申し訳ないと言われましたが、私には有意義な一ヶ月でした。残り1ヶ月は本格的な研修で、イベント作りやその重要性などを勉強する事ができました。交渉の場や大学での講演会にも連れて行ってもらいました。研修以外にもスタッフと一緒に色々なところに遊びに行きました。生まれて初めてギャンブルやボーリングを経験しました。ギャンブルは性に合いませんでしたが、ボーリングは韓国に帰ってからも続けたいです。スタッフは皆、多趣味で余暇も十分に楽しんでいました。これは考えてみれば当たり前のことですが、韓国の障害者関係の仕事をしている人にはあまり見られないことです。

メインストリーム協会の事務所には真ん中に大きなテーブルがあってほとんどの人がそこに集まって仕事をしています。驚いたのはいくら忙しくてもスタッフの顔から笑顔が消えず、仕事の途中でも笑い声が聞こえてくることです。その様子を見て「楽しみながら仕事をしているんだな」と感じました。みんなの笑い声を聞いていると私の顔にも笑みがこぼれ、ごく自然にスタッフと打ち解けることができました。何気ないことかもしれませんが、私にはとてもうれしい出来事でした。私は学生の頃から「みんなの輪」に入っていくのが苦手でした。苦手だと思う気持ちが壁になって、人間関係をもっと難しくしていました。「身構えず、素直に向き合えばいい」とわかった時、気持ちが楽になりました。また、スタッフと親しくなって色々な話をする中で、改めて「ILって何だろう」と考えるようになりました。

研修を終えて

個性の違う2つの自立生活センターでの研修で得た大きな収穫は「楽しくなければILじゃない!」ことに気が付いたことです。どちらのセンターもスタイルは違えど、仕事を楽しんでいると感じました。障害者関係の仕事をしている人や団体も「楽しさ」という要素が欠けると長続きしないでしょう。当事者運動をやる時もそうです。目標に向かってわき目も振らず突き進む運動は辛いだけでいつか限界がくるということが分かりました。これはILだけでなく何事にも言える一つの理念だと思います。

チャノさんと出会わなければ、チャノさんの話に耳を傾けなければ、私がこのプログラムを知ることも、日本に来ることもありませんでした。日本でも出会いと対話を通して様々なことに気付き、時には悩むこともありました。答えを見つけようとする過程は自分自身と向き合う過程でもあり、時には辛いものでしたが、変化していく自分を感じることができました。この経験は豊かな人間関係が自分自身の内面も磨いてくれることを気付かせてくれました。

帰国後はチャノさんと一緒に活動をしていく予定です。「辛かったけど、私たちを変えてくれた」日本での経験を原動力にして、今度は私たちが韓国を変えていけたらいいと思います。そのためには、人との出会いと対話を大切にし、自分自身も楽しみながら活動を進めていくことが肝要だと思っています。

最後に

ダスキン・愛の輪運動基金の皆さん、研修先の皆さん、そしてJSRPDの皆さん、今まで本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。これからもこの事業がずっと続くように心から祈っています。また、会いましょう!

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