Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ジェシカ・マーウェーのファイナルレポート

9人の仲間との出会い-コミュニケーションとつながり

私はこの研修でアジア太平洋の色々な国から来た研修生と出会いましたが、特に自分と違う障害をもつ研修生に会ったのは初めてでした。最初は、視覚障害をもつ人々とどうやってコミュニケーションをとればよいかわかりませんでした。ある日、ビーさんが私達のコミュニケーションの解決策を見つけ出しました。それはインターネットのメッセンジャ-を使って会話をするという方法でした。これは、私達が何かを一生懸命にしようとするときにはバリアを取り除く方法が必ずあると気付くきっかけになりました。(家族や友達は私が視覚障害者と話すことができるなんてきっと信じられないでしょうね。)メアリーと私は親友になり、毎日一緒に遊びに行ったり、同じ部屋で眠ったりしました。彼女が私の耳となり、私が彼女の足となり、お互いに「聴くこと」や「歩くこと」を助け合いました。個別研修の期間中、ひとつのアパートで彼女と共同生活をする機会がありましたが、私達はそれぞれの障害や文化についてより深く知ることができました。同じ障害をもつことからモンザングとも仲良くなりました。モンザングが国で使っている手話は私が使う手話と違います。しかし、私達は身振り手振りでコミュニケーションすることができました。今では二人とも日本手話を使ってコミュニケーションしています。10人の研修生たちはそれぞれの力でお互い協力して助け合い、泣いたり笑ったり思い出ができました。

個別研修まで(2002年9~12月)

3ヶ月間は日本語と日本手話(JSL)の研修でした。良い先生に恵まれ、とても分かりやすく教えていただきました。教えてくださった先生方皆さんにとても感謝しています。それでもまだ私は日本語や日本手話が上手くありませんでした。日本語を読んだり日本手話で表すとき、混乱することもありました。2002年10月にはダスキン研修生の先輩たちに会う機会がありました。とても楽しく、またたくさんのことを話ました。先輩たちからたくさんのアドバイスをもらいました。ラフィ、ロケシュ、アマラ、モンザング、そして私は、ダスキン研修生の中でろうのグループを作って情報収集を行い、アジア太平洋地域のろう者の状況を向上させようと決意しました。3ヶ月の研修の後、新潟へ3日間のスキー研修に行きました。スキーは初めての経験でした。私も含めて研修生たちは皆スキーを楽しみにしていました。なぜなら、ほとんどの研修生はスキーの経験がなく、特に私の国のように暑い国では冬や雪といったものには縁がないからです。私は、特別なスキーの補助具を使えば視覚障害や肢体障害があってもスキーができることを学びました。

スキー研修の後福岡に行き、田中さん宅でホームステイをしました。家族の中で好美(よしみ)さんとお父さんはろうで、好美さんのお兄さんは難聴でした。皆さんとても親切で明るい家族でした。もちつきもしました。もちつきは本当に面白かったのですが、スキーの直後だったので体が痛かったです。1日でおもちを25個ぐらい食べてしまいました。好美さんと彼女の友達は、長崎や熊本など私を色々な場所へ連れていってくれました。お父さんとお兄さんと一緒にみかん狩りにも行きました。とても楽しい時を過ごしたホームステイでした。私は皆さんが大好きです。

個別研修(2003年1~6月)

私は、ろう者と共に地域やマレーシアのろう社会がよりよいものになるように活動していきたいと考えています。そこで私は日本のろう者や彼らの生活、社会的リハビリテーションについて学ぼうと思いました。初めに全日本ろうあ連盟で研修を受け、その設立や運営について学びました。全日本ろうあ連盟は47の加盟団体をもつ全国組織で、ろう者の福祉や社会的地位を向上させ、ろう者が抱える問題について公共の認識を高めるために様々な活動を行っています。その後一週間千葉県聴覚障害者連盟で研修を受け、その運営や手話通訳サービスの方法について学びました。また、マレーシアの文化、マレーシアのろう文化、またマレーシアの女性の就労について3つの講義をしました。お互いのことを知るために意見交換をすることはよいことでした。東京での研修中、日本のろう者の就労について調査をしました。野沢さんのご協力で異なる分野の6つの企業を訪問し、ろう者が働く状況について見学をしました。見学をして新しい考え方をたくさん学ぶことができました。野沢さんにはとても感謝しています。

次に2ヶ月間、東京の飯田橋にあるNPO法人日本ASL協会(JASS)で研修を受けました。そこで役にたったことは私のプログラムコーディネーターとしての過去の経験とASLの知識でした。JASSはASLの講習や様々な活動を提供しています。私はJASSで、その設立や管理、プログラムの立案を学び、講習の見学などをしました。また講師や生徒の方々と経験を交換したりもしました。‘ジェシカとのティーパーティー’、‘花見ピクニック’という二つの企画を担当し、計画から実行まで責任者として行いました。この二つの企画では、高草久美子さんと大森節子さんの指導で成功させることができ、上手くいった点もいかなかった点も含めて多くのことを学びました。

私の最後の個別研修は4月20日から6月8日まで、山梨県で行われました。私はそれまで全国的なろう者会議に出席したことはありませんでした。幸運なことに、第51回全国ろうあ者大会が開催されようとしていました。私は大会実行委員会の一員として参加することができ、大会運営を学びながら、大会を成功させるための自分の役割を持ちました。実行委員会の皆さんは私をゲストとしてではなくメンバーの一員として接してくれました。会議を一緒によりよいものにしていくために意見交換をすることができて嬉しかったです。この全国大会の約50年間の歴史の中で外国人が実行委員会に加わったのは初めてだということも知りました。大会開催が成功したときには、それまで一生懸命に頑張ったという深い思い入れから何度も泣いてしまいました。この大会に関わることができたという喜びは忘れられないものになりました。マレーシアではろう者の全国会議はありません。マレーシアろう協会はまだ歴史も浅く、これから実績を積んでいくところです。マレーシアには国内全14州ありますが、ろう協会には今9つの団体が加盟しています。したがって加盟団体があと5つ増えたら全国会議が開かれることになるでしょう。そのときには、会議を成功させるために研修で学んだ経験と知識を生かしたいと思います。

日本文化と日本のろう文化

日本の生活スタイルや文化はマレーシアの文化と異なります。日本に来てからその違いを最初に感じたのはトイレでした。トイレの流し方がわからずに困りました。日本では水洗式でないトイレもありますが、そういったトイレやその臭いは好きになれるものではありませんでした。日本には居酒屋がたくさんあります。酒、焼酎、ビール、ウイスキーが人気があります。私は最初、日本人の食べ物は刺身だけだと思っていました。しかし日本で生活してみると、日本人は生の魚だけでなく、馬刺しなど他の肉も生で食べることを知りました。トロはとても高いので好きではありません。また、日本は四季がある美しい国で、特に桜が至る所に咲く春がきれいです。桜はとても美しく、ピクニックにとても良いものでした。障害者のための日本のアクセスやバリアフリーはマレーシアより進んでいます。日本の高い技術は素晴らしく、魅力のあるものです。

日本のろう文化はとても興味深いです。「耳の日」というろう者のためのお祝いは日本特有のものですが、とても意義があるものです。「耳の日」は毎年3月3日にお祝いをします。「耳」という言葉とろうを関連づけさせたこと、数字の3を日本語の読み方で「み」と発音することが由来しています。とてもユニークで由来がうなずけるものです。彼らの文化の中で、手話で話しているときによくうなずきながら会話をしている、ということがあります。日本では、聴覚障害者が運転するときには、実際必要がなくても補聴器をつけなくてはいけないということが法律で定められています。マレーシアでは、運転時に補聴器をつけるかどうかは本人に選択する権利があります。ろう教育も日本と私の国では異なります。幼稚園から中学校までは手話ではなく口話で授業が行われます。多くの教師は手話を知りません。私は、ろう者にとっては、特に教育の場では手話が主言語になるべきだと考えています。ろう者は手話なしでは生きていくことができません。このために、日本のろう者は運動、特に人権や手話についての運動に非常に力をいれているのだと思います。

研修を終えて

福岡でろう者のための老人ホームを訪れたことは私にとって印象深いものでした。マレーシアには同様の老人ホームはないと思います。ろう者のための老人ホームは、高齢となったろう者が幸せな老後の生活を送るために大切です。この訪問を通して、マレーシアのろう者や私自身の将来を考えさせられました。今私には、帰国後にろう者のための老人ホームを建てる計画を作ろうという夢ができました。研修中たくさんのろう者に出会い、ろうに関連する様々な活動に参加し、生涯を通してろう者のコミュニティのために活動していこうと決意を新たにしました。自分への自信やリーダーシップスキルを得ることもできました。

皆さんへ

日本で過ごした時間は私にとってかけがえのない思い出です。自分の国でSARSが発生したことなど問題もたくさんありましたが、それでも日本で学びたいという気持ちを押さえることはできませんでした。マレーシアの家族や友達が毎日元気づけてくれました。私がこうして今日いられるのは皆が勇気づけてくれたからだと思います。1年間離れていた家族にとても感謝しています。私の個別研修で大変お世話になった全日本ろうあ連盟本部事務所長の大杉さん、本当にありがとうございました。私は研修で多くのことを学び、精神的にもたくさんのことを得ることができました。また、日本滞在中いつもそばにいてアドバイスをくれたJSRPDのコーディネーターの皆さんのことを私は決して忘れません。そしてアジア太平洋の障害をもつ人々にこのような、言葉では表せないほどの貴重な経験を与えて下さった広げよう愛の輪運動基金の皆様に心より感謝いたします。最後に、共に遊び、けんかをし、助け合った友達のみんな、どうもありがとう。今、私は豊かな経験と自信をもって帰国し、ろう者のコミュニティを向上させるために頑張ります。この経験と思い出をマレーシアの人々と共有したいと思います。

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