私たちはほぼ一年間にわたって、研修生として、また外国人として日本で過ごしてきましたが、特に新しい環境や文化、言語や人々に出会い、それに慣れるということは簡単なことではありませんでした。でも、時は刻々と流れて、日本での生活も間もなく終わりを迎えようとしています。私たちは、「人生」という階段をもう一段高く上ることができました。その大きく取り組み甲斐がある一段は、私の考え方を大きく変えてくれましたし、障害者に関する知識を多く得ることができました。この一年間で本当にたくさんのことを学ぶことができました。
ここからダスキン第5期生たちの生活が始まりました。そしてここは、私が日本での日々の多くを過ごした場所です。
ここは、私達の宿泊所であると同時に、3ヶ月の日本語研修が行われた小さな語学学校のようでした。午前中のクラスでは、語彙や文法を勉強して、話すことと聞くことを練習しました。午後は日本語点字とコンピュータのクラスがありました。点字のクラスでは、日本語点字の読み書きを勉強しました。それは特に駅で迷ったときにとても役立ちました。コンピュータのクラスは、一つ一つの単語についていくのがとても難しい日本語のスクリーンリーダーを含む日本語のオペレーティングシステムになれるのを助けてくれました。日本語研修のおかげで、(間違いはありますが)日本語でウィークリーレポートを書けるようになりました。
新潟は、私が本物の雪にふれた場所です。正直、私はそれまでこんなに寒い場所に行ったことがありませんでした。私はいつでもどこでも眠ることができる人間ですが、その私が眠れなかったほどとても寒かったです。スキー研修は二日間でしたが、もちろんそれは私にとって初めての体験でした。とても楽しい素晴らしい時間を過ごしました。
熊本は第二の家族を得た場所です。私は不安と緊張を抱えながら、5日間を過ごす家に入りました。しかし小さな女の子が私にかけよってきて、タイ語で挨拶してくれたとき、さっきまでの不安は安心に代わって感謝の気持ちでいっぱいになりました。ホームステイ期間のほとんどを二人の小さな女の子達と遊んで過ごしました。私自身、子供のころに戻った感じがしました。
この研修は、私の主要な研修のひとつでした。日本に来る前からDASYを学んでいましたが、まだ勉強しなければならないことがたくさんありました。専門家のみきさんとまゆちゃんは、いつでも私の質問を歓迎してくれました。そして、分かりやすい日本語で説明をしてくれました。研修期間中にDASY関連のJICAの研修コースにサポーターとして参加することができました。そこで、デジタルトーキングブックを作ることを、視覚障害者に対してどのようにして教えるかということを学びました。
石川准教授をはじめ、様々な素晴らしい人々と出会いました。先生の研究室で、インターネットを使って情報を探したり、レポートを作ったりというような、どうやって学術調査をするのかということを学びました。また、障害学についても勉強する機会を得て、先生のゼミで学生たちと意見を交換することができました。石川先生は、社会学だけでなく、ITの専門家としても広く知られています。私は、先生が開発したプログラム、「altair」を使うチャンスを得て、現在まで使い続けています。
このワークショップを訪問するのは二度目でしたが、勉強しなければならないことがたくさんありました。ワークショップの中の作業だけではなく、日本における社会福祉のコンセプトについて学びました。バリアフリーやユニバーサルデザイン、そしてリハビリテーションについて、斯波さんやスタッフの方々から直接教えてもらい、学校やセンターなどの訪問を通して学ぶことができました。
ゴールデンウィークは、まゆちゃんと彼女の暖かい家族と一緒に過ごしました。ホームステイは、これが三回目でした。今回は9人家族に犬1匹という大家族で、家の中はいつもにぎやかでした。ホームステイをすると、家族と楽しい時間を過ごせるだけでなく、日本の文化、言語、伝統、そして考え方を分かち合うことができると思います。そしてそうしたものが自然に少しずつ毎日の生活の中に吸収されていくと思います。
名古屋市では、主に名古屋ライトハウス盲人情報文化センターで研修をしました。そこで、ボランティアサービスのシステムとその運営法について学びました。具体的には、点字・音訳図書の作成や、視覚障害者の外出介助、デイジー図書の編集作業に携わる団体などがありました。
また、日本ライトハウスの総会や、さまざまな企画に参加する機会にも恵まれました。その中でもとりわけ興味を引かれたプログラムの一つ、ユニークな取り組みとして注目されているものにITバスがあります。このバスには11台のコンピュータが装備されており、都市部から離れた場所に住んでいる人にもIT講習が提供できるようになっています。
将来の話なので、「不確かである」とか「まだ定まっていない」という意味で、「夢」という言葉を使います。
帰国後は、タイの障害者が今置かれている状況を改善するために、日本で得た知識をできる限り実践的に生かしていきたいと思っています。視覚障害者に関しては、教育に必要なものも含めた全ての情報にアクセスするときのバリアがなくなることを願っています。
もちろん、約4ヶ月間、コンピュータに関する研修を行ったので、そこで得た知識と能力をつかって、テクノロジーを最大限に活用するつもりです。以前勤めていた特殊教育センターと、現在も所属しているタイ盲人協会(TAB)が提供している研修プログラムを担当し、視覚障害者でも他の障害を持つ人でも私のプログラムに興味を持てくれた人に研修を提供したいと思います。
広い世の中からすれば私はほんの小さい点に過ぎませんが、近い将来に何かを良い方向に変えていくことができれば、と考えています。
私は書店で買うこともできなければ、学校で学ぶこともできない、つまり経験でしか得ることのできないすばらしくかけがえのないものを手に入れることができました。それは友情です。研修期間中、私はたくさんの人々に出会い、親切と手厚いもてなしをいただきました。
ダスキンの皆様がこのようなすばらしい機会を与えてくれなかったら、これら多くの経験をすることは決してできませんでした。また、さまざまな準備や計画に携わってくださったJSRPDのスタッフやその他多くの皆様のご協力にも深く感謝しています。
本当にどうもありがとうございました。