私は2003年8月23日に日本へ向けて家を出て、乗り継ぎ地であるタイ国際空港で長時間待たなければなりませんでした。私はその時既に、一人ぼっちだと感じました。私は次の日の朝早く成田に着きました。その後、1週間のオリエンテーションを受け、9月1日の開講式に臨みました。
その翌日から日本語のクラスがはじまりました。それは3ヶ月の集中コースでした。言語は国によって異なるだけでなく文化の違いなどもあるので、私はこれまでいつも語学に興味を持ってきました。でも、日本語を学びはじめたとき、私が良いと感じたのは先生たちでした。先生はとても親切で、私たちの感情に注意を払ってくれました。そして、私たちの語学力を伸ばそうと努力してくれました。彼女たちの優しい態度のおかげで、クラスでは私はいつも幸せでした。でも、研修の後、自分の部屋に帰った後はいつも一人だと感じ、家族を思って毎日泣きました。私は重症のホームシックにかかりました。でも、何とか日々は過ぎ去り、私の日本語は上達しました。
12月から個別研修がはじまり、私の研修は福島の自立生活センターからでした。それは、私にとってとても興味深いものでした。そのセンターで、私は多くのことを学びました。着いた日は雪が降っていました。雪を見るのは、生涯で初めてでした。雪が降っているのを見たとき、とても興奮しました。次の日は、一面雪景色でした。でも、私は寒さのために病気になり、2週間の間に3回も病院に行きました。生涯において、これほど頻繁に病院に行ったのは初めてです。加えて、私の不注意から両膝に火傷をしてしまいました。
福島のILセンターで私は、自立生活体験室に宿泊しましたが、トイレに一人で行くことが出来ませんでした。誰も私の気持を理解してくれなかったので、とても辛いことでした。私は自分の国では自立して暮らしていました。家族以外の人の手を借りたことはありません。自宅で他人の手を借りることは好きではありません。でも、そこでは介助者を使わなければなりませんでした。ただ、その辛い状況でも、私は楽しく過ごしました。ILセンターの人たちは、とても優しくフレンドリーだったからです。
実は、私は研修の全期間を通して、日本の料理を食べることが出来ませんでした。自立生活体験室は料理が出来たので良かったのですが、どこの部屋も私には問題がありました。日本に来てから、今までにないほど腎臓の尿道感染があったので、私はいつも心配でした。
福島の後は、東大和や小平、八王子、文京のILセンターに行きました。それらのところでは、ピア・カウンセリングや社会福祉制度、アクセス、自立生活プログラムについて学びました。他に、養護学校や重度障害者が自立して暮らす家、施設などに行きました。
私はDPI日本会議で一ヶ月間研修しまし、たくさんの本を読む機会を得ました。例えば、トム・リカートによって書かれた、「全ての人に移動権を」という興味深い本を見つけました。これは、移動についてアクセスな環境を作ることによって、バリアフリーな社会を作ることを書いてある本です。国でこの本を読んだことがありましたが、バリアフリーな社会環境について知らなかったので、この本の重要性に気づきませんでした。バングラディシュにはバリアフリーなどないからです。でも、日本に来て私は、何の問題もなく移動することが出来ることを知りました。
また、厚生労働省や民主党の会議に、DPI日本会議の人たちと参加したことも良い経験でした。その会議は、国連の権利条約についてでした。
DPIでの研修期間中、事務局長の三沢さんは貴重な時間を割いて、私に良いリーダーになるとき障害分野についていろいろなことを知らなければならないことを教えてくれました。
リハ協の情報センターで21日間、デイジーの研修を受けました。とても興味深く、重要でした。もしも良いリーダーになろうとするなら、私は全ての障害分野について知っているべきです。バングラディシュでは設備が整っていないので、障害者がコンピュータの技術を身につけることは難しいです。でも、デイジーは全ての障害者のニーズをカバーすると思います。異なる種類の障害者について学ぶために、それは役立つでしょう。でも、日本語で教わったので、正確に学ぶことはできませんでした。バングラディシュで母国語のデイジーができることを祈っています。
私は、観光として東京内や東京以外のいろいろなところに行きました。私の期待に応えるには充分ではありませんでしたが、楽しむために良い経験でした。私は日本社会から多くのことを学びました。バリアフリー社会は障害者だけのためでなく、全ての人のためだということも知りました。駅員さんや高齢者、そしていくらかの若い人たちは、障害者に好意的です。でも、人々の態度は、いつも驚きとともに私を不愉快にしました。個人的に、私は人間関係がこんなに良くない態度や文化は期待していませんでした。だから、私は日本人の変わりやすい態度に本当にショックを受けました。彼らの感情を理解するのは、とても難しかったです。
この研修は、アジアの途上国の若いリーダーにとって大切な研修です。異なる国々のリーダーに会ったり、リーダーシップスキルを伸ばしたり、障害者問題を理解したり、異なる国々の状況を知ったりできる、すばらしい機会です。また、ネットワークを作るよい機会ともなります。でも、この研修のシステムは、時間を適切に使っているとは言えません。実施者は私たちの語学の問題を理解するべきであり、私たちが家族から離れて暮らしていることにもっと注意を払うべきです。
これら全ての辛い経験にもかかわらず、私に一年近くの日本に滞在する機会を与えてくれた、ダスキンとJSRPDに感謝します。私はこの研修をもっと適切に実のある易しく大切なものにするように、重ねて彼らにリクエストしたいです。再度、この研修を成功裏に終わることができるように、誠意を持ってサポートし貴重な時間をささげてくださった方々に感謝します。