私は、日本へ来る前に日本語を勉強していませんでした。初めは日本語を話すことができなかったので、とても心配でした。いつも考えました。「これは何ですか」「日本語で何ですか」「意味は何ですか」私は日本語がわかりませんでした。そしてホームシックでしたから、ときどき何も話したくなかったです。
2003年8月25日、日本に着きました。私の人生は、その日から変わりました。期待に胸がふくらみましたが、研修についてはとても心配しました。
なぜなら、日本語を少しも話せなかったからです。「外国で暮らすことは驚きとチャレンジの連続だが、きっと良い経験になる」と自分自身に言い聞かせました。
日本に着いてから、日本語研修が始まりました。2003年9月 から 11月終わりまででした。日本語の勉強はとても難しかったけど楽しかったです。
私の日本語の先生達は、教え方がみんな違います。そして4人の先生は、皆ユニークです。
日本語研修の間、色々な活動に参加したり、見学に行ったりしました。
戸山公園での車椅子マラソン、名古屋でのシティ・ハンディ・マラソン、大阪のダスキン本社見学、クリーンアップ・ザ・ワールドへの参加、バーべキューパーティなどに参加しました。とても楽しかったですが、疲れてしまうことも時々ありました。
年末には苗場でスキーをしました。生まれて初めてスキーをしました。私は障害をもっていたので、自分がスキーをできるとは考えていませんでした。天気はとても良かったです。雪を見ることも、雪と一緒に遊ぶことも初めてでした。とても素晴らしい経験でした。
スキーの後、岐阜県でホームステイをしました。私のホストファミリーは暖かい家族です。その時、私は日本の文化も学びました。ホストファミリーは暖かい家族だったので、私はラオスの家族を思い出しました。
私の個別研修は、静岡県から始まりました。6ヶ月間の個別研修で色々な場所に行きました。 CIL静岡、ピアサポート株式会社、ドリームナビゲーター横浜、太陽の家、大分タキ、アジアの障害者活動を支える会、で研修を受けました。日本でたくさんのことを学びました。 コンピューター、障害者へのITサポート、日本の文化、仕事の仕方、リーダシップスキルや、特に障害者の問題についてなどです。多くの人々の助けと技術があれば、障害者は自分の知識や技術を向上させることができると思います。
私も障害者の一人です。将来、私はトレーナーかアドバイザーになりたいです。私は日本で色々勉強してラオスの障害者のために働きたいです。ラオスの障害者が教育を受けたり仕事についたりできるようにしたいです。私はできる限り彼らを助けたいです。全ての健常者と障害者が同じように仕事をしたり、一緒に生活できる社会をつくりたいです。
できれば、私はラオスの社会を全ての人に平等な社会へリードするパイオニアになりたいです。
まだ将来のことは分かりません。結婚するかもしれません。そのときは暖かい家族をもって、仕事を続けたいです。
ダスキンの皆さんにとても感謝しています。この研修に参加する機会をくださって、ありがとうございました。
とても大切な研修で、たくさんの新しい経験をしました。日本からたくさんのことを学びました。日本で何をどのくらい学んだかを説明するのは、とても難しいくらいです。私の気持ちをどう表したらいいかわかりません。ダスキンの皆さんに本当に心から感謝しています。これから、また何が起こるのかわかりません。しかし、皆さんから元気をもらって頑張りたいです。そしてラオスの障害者支援を続けていただけるよう願っています。
どうもありがとうございました。
スパタ