日本へ来る前、私はミャンマーで色んな障害のある人たちの自助団体で活動をしていました。そして、Handicapped Service Center でパソコンの使い方を教えてあげたり、点字印刷をしたりしていました。私は乙武洋匡さんの本を読んでからずっと、日本に行って勉強したいと思っていました。その夢が叶って、2005 年8月31日に、第7期ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生として日本にやって来ました。私は日本で初めて車いすに乗りました。そして、色々な勉強をしました。
戸山サンライズは、きれいでバリアフリーな建物です。早稲田駅と若松河田駅の間にあって、静かです。最初の3ヶ月間、私はそこに泊まって日本語を勉強しました。
9月5日から日本語のクラスが始まりました。日本へ来る前、私は日本語が全然分かりませんでした。アジア・太平洋地域の色んな国から来た6名の研修生と一緒に、3ヶ月間日本語を学びました。先生たちは、会話のテープを使って話す練習をしたり、素晴らしい詩を読んだり、歌を歌ったり、冗談を言ったりして、教えてくれました。日本語のクラスは楽しくて、とても面白かったです。研修生は間違って変な言葉を言ったり、発音を間違ったりすることが沢山あったので、先生たちは笑いが止まりませんでした。私は日本語を一生懸命勉強しました。たくさん宿題をしたり、部屋で自習したり、振り仮名がふってある本を読んだり、日本のテレビ番組を見たり、毎週のレポートを書いたりしました。それで、日本語を早く喋ったり、書いたり、読んだりすることができるようになりました。
お正月に岐阜県土岐市で、ホームステイをしました。土岐市には山がたくさんあります。私はそこで初めて雪を見ました。私の家族は11名です。お祖父さん、お祖母さん、お母さん、そして妹たちと一緒に話したり、食べたり、歌を歌ったり、買い物したり、色々な所に遊びに行ったりしました。家族のみんなで京都に行って、お母さんと一緒に着物を着て、舞妓さんに変身しました。初めての経験でした。どこへ行くときもお母さんがいつも一緒で、私を息子のように愛してくれました。私はホストファミリーを本当の家族のように感じました。いつまでも忘れられません。
ホームステイが終わってから、個別研修が始まりました。自分が勉強したいことに合わせて、色々なところで研修しました。
最初の研修は「障害者自立応援センターYAH!DOみやざき」で始まりました。私はYAH!DO初のダスキン研修生でした。体験室に泊まって、初めて一人暮らしをしました。そして、初めて自立のことを勉強しました。宮崎には方言があって、最初はちょっと大変でしたけど、みんなゆっくり話してくれたので、だんだんわかるようになりました。永山さんと山之内さん、そしてYAH!DOのみなさんは自立生活のことと宮崎の障害者運動についてたくさん教えてくれました。宮崎のきれいな海や山や動物園や色々な所にも遊びに行って、とても楽しかったです。
今年の新潟は雪がすごく多くて、4メートルくらい積もっていました。びっくりしました。私はスキーウエアを着て、バイスキーに乗りました。そして、初めて山の上から麓まで滑った時は、本当にいい気持ちでした。先生たちに手伝ってもらってリフトに乗り、何回も練習しましたから、スキーがとても上手になりました。スキー研修は楽しくて、素晴らしい経験でした。
スキー研修が終わってから、名古屋に行きました。AJU 自立の家に泊まって、3週間研修しました。山田さんや木下さんや入谷さん、そしてAJUのみなさんからAJU の活動、介助者サービスと重度障害者のことを詳しく教えてもらいました。そして、ピア名古屋、わだちコンピューターハウス、サマリアハウス、サポートJ,ヘルパーステーション・マイライフなどで重度障害者たちの働き方を学びました。いい勉強になりました。AJU の仲間たちと一緒にデモにも参加しました。冬でちょっと寒かったですけど、とてもいい経験になりました。
私は肢体障害を持ってる人たちのことだけじゃなくて、ウイズで目が見えない人たちのことも勉強しました。ウイズは、おいしい鰻で有名な静岡県浜松市にあります。斯波さんや金谷さんやウイズのみなさんが白杖製作や名刺点字加工や点字印刷、目が見えない人たちのことを優しい心で教えてくれました。そして、斯波さんが色んな所へ見学に連れて行ってくれました。
私は自立生活のことをもっと勉強したかったので、ウイズの研修が終わってから、大阪の夢宙センターに行きました。体験室で1人暮らしをしながら、1ヶ月間研修しました。平下さんやチャンさんや夢宙のみなさんが自立生活運動や大阪の障害者運動について一生懸命教えてくれました。そして、色んな所に見学に連れて行ってくれました。また、大阪名物のたこ焼きを作って食べたり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンや大阪城や海遊館などに遊びに行ったりしました。楽しみながら、色々なことを勉強しました。
ミャンマーには、車いすが少ししかありません。そして、車いすが壊れても、修理ができません。ですから、私は日本ウィール・チェアー株式会社で3週間ぐらい車いすの修理の方法を学びました。会社ですから、仕事の時間は長くて厳しいし、仕事中にあまり話をしません。そして、障害のないスタッフしかいませんから、最初は少し寂しかったです。けれども、先生たちと仲良くなり、会社の様子がよく分かるようになって、勉強が楽しくなりました。野村先生や北村先生たちが毎日親切に教えてくれました。私も一生懸命覚えました。今は、どんなタイプの手動車いすでも修理できます。とても嬉しいです。
車いすの研修が終わってから、大谷田就労支援センターでホームページの作り方の勉強をしました。8日間だけでしたが、自分のホームページを作ることができました。とても嬉しかったです。
ヒューマンケア協会で個別研修のまとめをしました。中西さんや塚田さんや山本さんから、自立のことや障害者のサービスや色んな情報について教えてもらいました。それから、最後にミャンマーへ帰ってからの計画を作って、みんなに説明しました。
個別研修が終わった後、集団研修がありました。研修生のみんなと一緒にリーダーシップのことやプロジェクトの書き方など、色々勉強しました。そして、色んな所にも見学に行きました。集団研修はとても大切な研修でした。
日本に来てから、よかったことが沢山ありました。その中でも1番よかったのは、自分の生活を自分でマネージメントできたことです。日本へ来る前は、家族と一緒に住んでいて、いつも家族がマネージメントしていました。でも日本で一人暮らしをしたとき、自分で何でも考えて、自分で何でも決めることができました。
ミャンマーへ帰ったら、日本で学んだ色んなことを自分の仲間たちに一生懸命教えます。そして、私には3つの目標があります。
2005年9月から始まった1年間の研修が終わりました。研修生に選ばれて、とても幸運だったと思います。毎日楽しみながら、色んな勉強ができました。自分のやりたいことがやれて、とてもよかったです。友達もたくさんできました。このプログラムを色々と応援してくれた、広げよう愛の輪運動基金の優しいみなさんに心から「ありがとう」と言いたいです。いつまでも忘れません。私たちのために一生懸命働いて、親切なアドバイスやケアをしてくれた日本障害者リハビリテーション協会のみなさんにも感謝しています。色々ありがとうございました。私の研修を手伝いたい、そして色々なことを教えたいという広くて温かい心を持っていた研修先のみなさんにも、心から感謝しています。本当に、本当にありがとうございました。みなさんから親切にしていただいたことを思い出しながら、私は国の仲間たちと一緒にいい将来を作っていきます。1年間お世話になりました。ありがとうございました。