2005年8月31日に関西国際空港に着きました。私は研修生の中で最後に日本へ来ました。初めて日本に足を踏み入れたとき、とても嬉しかったです。
日本に来たばかりの頃、インドネシアと日本の文化が違うので、びっくりすることがたくさんありました。例えば、日本では男性用の大きな風呂があります。でもインドネシアでは一人だけでお風呂に入ります。
最初の3ヶ月間、日本語と手話を習いました。日本に来たばかりのとき、日本語も手話も分かりませんでしたが、だんだん上手になりました。日本語の文法は難しいですが、面白いです。日本語を読んだり書いたりできるようになって、本当にとても楽しかったです。これからも日本語をもっと勉強したいです。
日本のろう者と手話で話しをしているとき、新しい手話に出会うことがありました。その時は、手話をよく見て、理解して、自分のものにしていきました。
お正月は、高嶋さんの家でホームステイをしました。場所は札幌でした。高嶋さんの家族は4人で、奥さんと2人の娘さんです。
札幌はとても寒くて、雪がたくさん降りました。私は毎朝雪かきの手伝いをしました。本当に大変だったけど、いい経験になりました。スキーにも連れて行ってもらいました。スキーは初めてでしたから、たくさん転びました。何度も練習して、だんだん滑れるようになりました。
高嶋さんは、ろう者の活動についてたくさん教えてくれたり、個別研修のためのアドバイスをしてくれたりしました。他にも色々なことを話しました。高嶋さんは日本のお父さんのようですから、ホームステイが終わったあとも、チャットでたくさん話しました。私は高嶋さんと家族にもう一度会いたかったので、ゴールデンウイークに札幌に行きました。そして、ろう者の活動のことをもっと教えてもらったり、一緒に旅行に行ったりしました。とてもいい思い出になりました。
1月に研修生と一緒に新潟へスキーに行きました。札幌でスキーの経験がありましたから、上手に滑ることができました。2日間スキーをしましたが、1日目は大雪で何も見えませんでした。2日目はとてもいい天気でしたから、景色がよく見えました。自然がとてもきれいで、気持ちがよかったです。
ろう者にとって情報保障は大切です。そのためには、コミュニケーション手段としての手話を確立すること、そして手話通訳者を増やすこと、テレビの字幕など文字による情報を確保することが必要です。でも、インドネシアでは、ろう者が情報をもらうのは難しいです。例えば、インドネシアは日本の5倍の広さがありますが、手話通訳者はたった一人しかいません。手話も地域ごとの手話はありますが、標準手話がありません。
私はインドネシアのろう者の情報保障をよくするために、個別研修をしました。そして、私はバドミントンの選手ですから、スポーツについても勉強しました。
情報保障を進めるためには、ろう者団体が強くなければなりません。私の国には、インドネシアろう福祉連盟がありますが、組織力が弱くて、活動が十分ではありません。日本のろう者の団体には知識と経験がたくさんあるので、インドネシアろう福祉連盟を強くする方法を知りたいと思って勉強しました。日本のろう者団体は、専門部や委員会を作っているので、大切な活動を早く、上手に進めることができます。そして、一番いいところは、強いネットワークを持って活動していることです。例えば、京都と大阪のろう者団体が情報交換をしたり、異なる専門部がよく連絡を取って、協力して仕事をしたりしています。日本のように丁寧に組織作りをすれば、インドネシアろう福祉連盟も強い組織になれると思いました。
活動を進めるためには、社会の人たちにろう者について理解してもらうことが大切です。日本では全国ろうあ者大会が毎年1回行われます。大会には日本全国からたくさんの人が集まります。インドネシアの場合は、4年に1回、理事会があるだけです。全国ろうあ者大会には約3,000人が参加していましたが、理事だけでなく、一般のろう者や健聴者、そして見学者もいました。色々な人が参加できるので、ろう者や手話のことを広く理解してもらえるのだと思いました。インドネシアでも、全国ろうあ者大会を開きたいです。
日本では手話によるろう者のコミュニケーションが上手くいっています。でもインドネシアは地域ごとに手話が全然違うので、ろう者同士でもコミュニケーションが難しいことが多いです。私たちは標準手話がほしいですが、インドネシアにはたくさん島がありますから、本当に難しいと思います。でも私たちはがんばります。そして、標準手話を広めるために本を作ったり、テレビ放送や新聞を利用してアピールしたりしたいです。
標準手話と同じぐらい地域の手話は大切ですから、地域の手話の本も作りたいです。地域独自の手話を大切にしながら、ろう者のコミュニケーションを促進させていきたいです。
日本には、手話通訳者がたくさんいますから、私はびっくりしました。手話通訳者がいるとき、ろう者は色々な情報をもらうことができます。私も日本で色々な講演会や会議に参加することができました。
インドネシアでも手話通訳者を養成しなければなりません。標準手話ができる通訳者がほしいですが、それまでは、地域の手話で通訳の養成を広めたいです。
私はバドミントンの選手ですから、日本のろう者のバドミントンの練習や大会に参加しました。日本の選手は実力があって、技術も高いです。競技大会もたくさんあります。インドネシアにも実力のある選手がたくさんいますが、大会があまりありません。インドネシアでは全国障害者スポーツ大会が4年に1回だけありますが、日本では1年に1回あります。そして、日本にはろう者のためのスポーツ組織があります。でもインドネシアにはまだありません。競技大会があれば選手はもっと上手になるし、スポーツ組織があれば選手は安心してスポーツができると思います。
日本で研修をして、私にはたくさんの変化がありました。例えば、インドネシアにいるときは、手話よりも口話でコミュニケーションを取っていました。今は、手話が一番大切なコミュニケーション手段になりました。また、知識や経験をたくさん得ることができました。そして、以前は消極的で、会議や講義に参加しても話を聞くだけでしたか、今は積極的になって、たくさん質問できるようになりました。
ダスキンの研修はとても良かったです。色々なところで色々な事を勉強できました。仲間もたくさん出来ました。
ダスキン、そして広げよう愛の輪運動基金と日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、お世話になりました。本当にありがとうございました。私はインドネシアで頑張ります。