Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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インペン・ウィライホーンのファイナルレポート

日本に来たとき

私は9月1日、日本に来ました。関西空港で、他の研修生とダスキンのスタッフに会いました。私は英語が上手じゃありませんでしたし、日本語もできませんでしたから、誰にも話しかけませんでした。

日本語研修

3カ月、日本語を勉強しました。ほかの研修生は日本語がよく分かりますから、いつも楽しそうでした。私はあまり分かりませんでしたから、楽しくなかったです。でも、先生は私にとてもやさしくて、いつも親切に教えてくれました。日本語がだんだんわかるようになって、勉強が楽しくなりました。

水泳研修

9月~11月まで、毎週木曜日に水泳を習いました。水泳は初めてでしたから、練習のときとても難しかったです。でも、毎回、先生は私に水泳の仕方をとても親切に教えてくれました。私はだんだん泳ぎ方がわかるようになって、25メーターぐらい泳ぐことができました。初めての練習の時本当に難しかったですから、そんなに泳ぐことができるとは思いませんでした。とても面白くて、楽しかったです。

スキー研修

1月にスキーをしました。スキー場に行く時、バスで行きました。バスを降りてからスキーの先生が迎えにきてくれて、スキーをする場所まで私を連れていってくれました。それからスキーのやり方を教えてくれました。最初は簡単な場所で教えてもらって、ちょっとできるようになったら、リフトに乗って、山の上へ行きました。最初の時、スキーのやり方を知りたかったですから、ぜんぜん怖くなかったです。でも、たくさん転んで体がちょっと痛くなってから、怖くなりました。怖かったですが、もっともっとスキーをしたくてたくさん練習しました。だんだん上手に滑れるようになって、とても面白くて、楽しかったです。

ラオスは暑い国ですから、雪が全然ありません。私は中学校で雪について勉強したことがありましたが、触る機会があるとは思いませんでした。スキーのことも前に聞いたことがありますが、どんなものか分かりませんでした。でも、日本に来て、雪を触ることができましたし、スキーもすることができました。私はとても感動しました。私はこの経験を忘れることができません。

写真1

ホームステイ

私は2回ホームステイをしました。

1回目はお正月の時でした。そこには、視覚障害者の友達もいましたし、見える友達もたくさんいましたから、毎日一緒に遊びに行ったり、お正月の買い物をしたりしました。そして、遊びながら日本の伝統的なことも習いました。日本の伝統はラオスとちょっと似ていました。遊びに行かない時は、お友達と一緒にトランプで遊びました。とても面白くて、楽しかったです。

2回目のホームステイは平塚でした。平塚はお父さんとお母さんしかいませんでした。毎日、お母さんが私を家からバス停まで送ってくれました。それから私一人でバスに乗って、研修に行きました。そして、研修が終わってから一人でバスに乗って帰って、バス停でお父さんが待っていてくれました。家へ帰ってから、私とお母さんは一緒に料理を作りました。料理を作りながらお母さんが私に日本の料理について教えてくれました。そして、三人一緒にご飯を食べながら、日本の文化や、日本の家族のことを話しました。家にカラオケがありましたから、お父さんとお母さんが歌を歌ってくれました。とても楽しかったです。

平塚のホームステイは私だけじゃなくて、もう一人、ミャンマーのお友達がいました。その友達は土曜日と日曜日だけ泊まりました。私たちはいい友達になって、色々話したり、笑ったりしましたからとても楽しかったです。そしてお母さんが料理を作る時、私たち二人でお母さんを手伝いました。その時私たちは本当の姉妹みたいでした。その友達と一緒にいる時はとても短かったですが、昔から知っている友達みたいでした。

平塚で3週間ホームステイをしましたが、自分のお父さんとお母さんみたいでした。お父さんとお母さんの子供は障害者じゃありませんが、視覚障害者のことをよくわかってくれました。私はお父さんとお母さんにとても感謝しています。

個別研修

私は障害者福祉、視覚障害者の教育、ワークショップについて、勉強しました。ラオスの視覚障害者の状況はまだよくありませんから、私の研修は視覚障害者のことが多かったです。他の障害者のことは実際に研修しませんでしたが、いつも私は他の障害者のことも色々聞いて、勉強しました。

日本では、障害者の支援がありますし、サービスもありますから私はとても感動していました。

ホームステイが終わってから個別研修が始まりました。私はパソコン研修、浜松のウイズ、神奈川県の光友会、日本点字図書館、アジアの障害者活動を支援する会、平塚盲学校で研修しました。その中からいくつかの研修について書きたいと思います。

「ウイズ」

2月から3月まで浜松のウイズで研修しました。そこで目が見えない人のワークショップについて学びました。ウイズでは白杖を作ったり、点字を印刷したり、いろいろな物を作っていました。働いている人は、大人になって目が見えなくなった人や目が見えなくて体が弱い人や目が見えなくて知的障害の人もいました。でも、皆はウイズへ行って、友達に会うと、すごく元気になっていました。みんながウイズに通うのは、仕事のためだけじゃなく、生きがいのためでもありました。それはとても大切なことだと思いました。

浜松ではワークショップだけではなく、斯波さんにいろいろな学校へ連れて行ってもらいました。斯波さんは学校で啓蒙活動をしていました。子供たちに目が見えない人の生活や盲導犬や色々な障害者のことについて話しました。斯波さんの話を聞いて、私もいい勉強になりました。

浜松で研修した時、私は日本語があまり分かりませんでしたが、斯波さんとウイズのスタッフはとても親切にしてくれました。いろいろな障害者のことや私が知らない日本語も教えてくれました。本当にありがとうございました。

「光友会」

3月に神奈川県にある光友会で研修しました。光友会で私はマッサージ、障害者の活動、障害者の作業、歩行訓練、盲人のスポーツについて勉強しました。そしていろいろな障害者施設にも見学に行きました。光友会は障害者のための施設がたくさんありました。例えば、障害者が働く場所、リハビリテーションをする場所、ケアセンターもありました。その施設はとても素晴らしかったです。

光友会で研修している時、五十嵐さんや光友会のスタッフがいろいろなところへ連れて行ってくれました。私は桜について話した時も、桜を取ってきてくれました。桜の花はかわいくて、いい匂いがしました。

「アジアの障害者の活動を支援する会」

4月にアジアの障害者の活動を支援する会(ADDP)で研修しました。ADDPは今、ラオスの障害者を応援しています。私はラオスに住んでいましたが、ラオスの障害者についてよく知りませんでしたから、ADDPのスタッフから色々なことを教えてもらいました。私がラオスに帰ってから活動したいことについても相談に乗ってくれました。そして、ADDPのスタッフが一緒に頑張ってくれると言ってくれましたから、私はとてもうれしかったです。

日本に来て、変わったこと

日本へ来る前、マッサージの仕事と盲学校のボランティアをしていました。毎日、盲学校とマッサージの施設を往復するだけでした。障害者にどんなことができるかわかりませんでしたし、生活がとても狭くて、夢や希望もありませんでした。でも、日本でたくさんの事を勉強してから、障害があっても色々なことができることが分かりました。今はたくさんのアイディアがあって、たくさんの希望を持っています。今と前の考え方は全然違います。

写真2

私は国へ帰ったら、障害者のリーダーになりたいです。日本で勉強した知識や経験を使って、障害者の教育や仕事の機会を増やしていきたいです。

私には二つ夢があります。一つ目は、視覚障害者の教育を良くすることです。 ラオスにも視覚障害者のための教育はありますが、十分ではありません。例えば、ラオスには盲学校が二つしかありません。小学校から高校まで勉強することができますが、教材がたりません。そして、高校を卒業した後、大学に入ることができません。視覚障害者が入ることができるのは、専門学校一つだけです。私は視覚障害者も大学に入れるように、ラオスの視覚障害者の教育制度を変えたいです。

二つ目は、障害者ワークショップセンターを作ることです。なぜなら、勉強することができない人も、たくさん仕事をすることができない人も、生きがいを持って、楽しい生活ができるようにしたいからです。

最後に

私はダスキン・広げよう愛の輪運動基金と日本障害者リハビリテーション協会にお礼を言いたいです。ダスキンが応援してくれたので、知りたかったことを日本で勉強できました。そして、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフも色々なことを手伝ってくれました。皆さん、本当にどうもありがとうございました。

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