Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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パルハット・ユスップジャノフのファイナルレポート

パルハット ユスップジャノフ(カザフスタン)

日本の初日

わたしの祖国では、みんな神秘的なイメージの日本に行ってみたいと思っています。カザフでは、日本の文化、人、環境は他の国とまったく違って見えるのです。そして2006年、日本に着いて、日本がまさに他の国とはいろいろな点で違うことを実感しました。

大阪に到着後、ダスキン広げよう愛の輪運動基金や(財)日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの人たち、そしてさまざまな国から来て、文化も宗教も異なる5人のダスキン研修生と会いました。そしてダスキンの研修によってわたしたち研修生はひとつになり、一生の友達になりました。

9月4日には、ダスキン本部で開講式が催されました。この場で、わたしは自分がどんなに幸運だったかに気がつきました。この日、重度の障害の人たちに多く出会ったのですが、カザフスタンではこのような人たちに会ったことがありませんでした。最初は、呼吸補助システムをつけた人を見て驚き、正直怖くもありました。このときはまだ、後になって重度の障害者の人たちと仲の良い友達になるとは思いもよりませんでした。

翌日、さまざまな想いと期待、希望を胸に、東京に向かいました。

日本語研修

わたしはカザフスタンの大学で会議通訳の勉強をしており、言葉の勉強は大好きです。しかし戸山サンライズで日本語を勉強してみて、日本語がどれだけ複雑で難しいかを思い知りました。しかし先生方はプロです。カザフスタンの教え方とはまったく教え方が違っており、まるで参加者をたくさん交えた楽しいゲームをしているような気分でした。間もなくわたしたちは日本語が話せるようになりました。さらに、点字の先生方のおかげで、日本語の点字はカザフ、ロシア語、英語、ドイツ語の点字よりずっと難しいにも関わらず、短期間で日本語の点字の読み書きができるようになりました。

3ヶ月の日本語研修の間、他の研修生たちとさまざまな場所に足を運びました。生まれて初めて海を見、塩からい海の水を味見し、凧揚げも経験しました。日本語もすきになり、駅で手を貸してくれた駅員さんや、車内の乗客の人たちなど、あらゆる機会を逃さず、出会った人たちと会話を試みました。こうしていろいろな人たちと話すうちに、日本や日本の文化、歴史、地理について多くを学びました。

ホームステイ

生まれて初めて、わたしは自分の家族や友達とではなく、他の人と過ごすお正月を迎えました。日本のお正月は忘れられないものになりました。熊本の池澤さんのお宅に6日お世話になりました。池澤さんの家に着いたとき、中から家のお嬢さん二人のかき鳴らす素晴らしいバイオリンの音が聴こえてきました。滞在中は、生まれて初めて、馬刺しを味わいました。カザフスタンではいっさい生肉は食べないのですが、新しいことにチャレンジするのが好きなので、食べてみました。なんと美味しいことか!この6日間は、熊本城を訪ね、元旦の夜は阿蘇山の麓に泊まり、子供たちとトランプしたり、池澤さんご夫妻と日本文化について語り合ったりしました。わたしは一生わたしの日本の家族とこのお正月のことを忘れないでしょう。

スキー研修

カザフスタンのわたしの家からスキーリゾートまでは車で40分くらいかかります。しかしわたしの国には障害者を対象にしたスキーの先生はいないので、初めて日本でスキーを学ぶ機会に恵まれたのでした。わたしの先生だった鈴木先生がいつも、「あなたは覚えがよく、バランスもいい」といって励ましてくださり、すぐスキーができるようになりました。リフトに乗って高い山を登り、一番高いところで降りて下までスキーで滑降するのです。スピード感が楽しく、エキサイティングで、体にアドレナリンがみなぎりました。ときには先生が止めるのも押し切って、できるだけ速いスピードで滑降したりもして大変エキサイティングでした。転んでも、あまりに素晴らしい体験に、ひっくり返ったまま笑って愉快でした。

個人研修

個人研修でもさまざまなことを学びました。日本人の友人もたくさんでき、美しい有名な場所もたくさん訪れました。

光友会

わたしの個人研修は障害者のための協会である光友会で始まりました。ここで五十嵐紀子さんなどたくさんの親切な方々に迎えられました。五十嵐さんとは長い時間を過ごし、対話していろいろなことを学び理解することができました。この研修によって、知的・視覚・身体障害者の人たちについてたくさんのことを学びました。

DPI日本会議

光友会のあとはDPI日本会議に3週間お世話になりました。日本に着いた日からDPIでの研修は楽しみにしていたことだったので、夢がかないました。スタッフの方たちもとても親切でフレンドリーで、すぐ友達になりました。障害者の権利についての新しい条約について、また権利擁護について、そしてDPIとその活動について多くを学びました。宮本さん、崔さん、三浦さんや他のスタッフの方々と共にした夕食の数々は忘れられない思い出です。日本文化、障害者や日本の落語にいたるまで、いろいろな話をしました。今も、DPIのスタッフの方たちとはできるだけ頻繁にやりとりをしています。

ヒューマンケア協会

生まれて初めて、自立生活センター(CIL)を訪ねました。中西さん、中原さん、塚田さんなど日本の自立運動のリーダーの方たちに、自立生活や自立生活運動、その役割、概念や管理方法について多くを教えていただきました。毎日自立生活体験室からヒューマンケア協会まで二回電車を乗り換えて通いました。

協会では、介護サービスが障害者にとって大切であること、障害者のエンパワメントにピアカウンセリングが必要であること、また、間違いによって人間は成長するので、間違いもまた大切であることを学びました。

ヒューマンケア協会での研修はわたしにとって重要なものとなりました。将来何をしたいかがわかったので、協会のスタッフの方には本当に感謝しています。

写真1
日本ライトハウス

大阪の日本ライトハウスでは1ヶ月以上の研修を受け、たくさんの視覚障害者の人たちに出会いました。松本先生からはホームページの作り方を学び、完全に視力を失ったのがつい最近の人でも、ストレスを克服して立派に先生としての役割を果たせることを知りました。

スタッフは非常に親切でフレンドリーな人ばかりで、食事にも、出かけるにも、ある階から別の階に移動するのでも、まったく問題を感じませんでした。ときどきスタッフの人たちと夕食にも出かけ友達になりました。課外研修、バリアフリー・チェック、そのほかのレジャーなど、すべて忘れることのできない思い出です。北井さん、西垣さん、ホームページの作り方を教えてくださった松本先生、そしてすべてのスタッフの方に深く感謝しています。

写真2
メインストリーム協会

ここの自立生活センターでは忘れることのできない、完璧な研修を受けました。すべての人たちがフレンドリーで、たくさんの友達ができました。重度障害者の人たちの家を訪ね、会話し、障害者の人たちの施設やメインストリームでの生活について多くを学びました。

また、バスケットボールやボーリング、イチゴ狩り、野球場での野球応援、カラオケ、広島訪問などほかにもたくさんの経験をしました。カザフスタンにいたときも、バスケットボールやボーリングはしたかったのですが、周りの人がみな、難しいからやらないほうがいいといっていたので、いつもあきらめて自信も喪失していました。しかしメインストリームではもっと自信がつき、オープンになり、前よりも自分の生活が好きになりました。

交渉術、日本の福祉、介護サービス、新人スタッフの雇用とトレーニング、帰国後のアクションプラン—こういったことを学んで視野が広がり、障害者への理解、自分自身に対する理解も深まりました。またいろいろな場所に行って遊びましたが、遊びの中からも、いろいろ学ぶことがありました。楽しんで生きることは非常に大事です。たくさんの経験を積めば、人間的にも成長します。障害者も必要な介助を受ければ、したかったことや、夢見たことをするのも可能です。これらをわたしはメインストリームで学びました。

柔道

埼玉では、有名な視覚障害者の政治家である牛窪さんから、柔道を教わりました。牛窪さんほど素晴らしく、おもしろい、変わった人に会ったことがありません。政治のこと、障害者のこと、幸せについて、仕事について、そして今を楽しむことについて教わりました。この研修によってわたしの見方は変わりました。柔道の世界のさまざまなこと、そして自分についてさらに学びました。

日本で変わった私

わたしは視力がほとんどありませんが、神様はそれ以外のさまざまな才能を与えてくださいました。しかし日本に来る前のわたしは、こうした才能をすべて自分や自分のキャリア、蓄財のために使おうと思っていました。しかし日本に来て、心から、才能は自分の周りにいる人たちの幸せのために使うものであること、その人たちの生活をよりよくし、世界に幸せをもたらすために使うものであることを学びました。わたしは大きく変わりました。

カザフスタンでの私は、自分は障害者でないのだ、目が弱いだけだ、と回りにアピールしようとし、懸命になって健常者になろうとしていました。視覚障害者のことは情けないと思い、自分自身、障害者を差別していました。しかし日本で、障害をポジティブに捉えることを学びました。よく目が見えなくても、虚勢を張る必要はないこと。障害があることによって健常者の多くの人たちの生活よりも生活がおもしろおかしく、興味深いものにもなり得ることを学びました。また、白杖を使い始め、それを恥ずかしいとも思わなくなりました。カザフスタンでは白杖を使うことが嫌で仕方ありませんでしたが、日本ですっかり好きになりました!

カザフスタンに戻って

カザフスタンに戻ったら、障害者運動を始めたいと思います。まず、同じ考え、目標、夢をもったパートナーを集めたいと思います。

カザフスタンの障害者は自分たちの権利や基本的な自由などについて何も知らず、個人的な経験も非常に狭められています。障害者の権利についてなど、日本で学んだことをこうした障害者の人たちと分かち合いたいと思います。こうしているうちに、手を組んでくれるパートナーの輪もきっと広がることと思います。

また、障害をもつ学生のために、カザフスタンの国立大学に支援センターを作りたいと思います。私自身大学で学んでいたときには、情報にアクセスしにくいとか、基本的なサポートがないなど、さまざまな問題に直面しました。支援センターがあれば、障害者の多くの人たちが必要な支援を得て、したいことを勉強できるようになるでしょう。

わたしの夢は障害者運動のための団体を作り、障害者を対象にしたサービスを始めることです。この団体ではバリアフリーの運動や、権利擁護の運動に取り組み、ガイド・ヘルパーサービスや、介助サービスなどを提供するほか、障害者が自立的に生活できるようにエンパワメントする活動を行なって、障害者が自分で自分の生活の決断を下し、下した決断については自分で責任を負えるようにします。これがわたしの夢です。パートナーたちと力を合わせ、夢の実現に取り組みます。

感謝のことば

ダスキン研修プログラムによって、わたしは大きく変わり、多くを学び、理解し、そして多くのことをしたいと思うようになりました。愛の輪運動基金の皆さん、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、そして研修のあいだ支えてくださったすべての皆さんに厚く御礼を申し上げたいと思います。本当に、ありがとうございました。日本のことは忘れません。皆さんのことも忘れません。ここで学んだことすべても、忘れません。

日本の上に、日本の人たちの上に、みなさんのうえに、神様のお恵みがありますように!!!

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