日本での10ヶ月を振り返って
日本に来る前の私の夢は、ダスキンの研修生になりたい、という小さなものでした。しかし今の夢はもっと膨らみました! わたしの夢は、社会を変えることです。すばらしい、忘れ得ない思い出と、日本の障害者の友人たちから受けた印象、ひらめき。彼らの闘い、そして彼らが成し遂げたことを見て、わたしは生涯、すべての人たちのための社会を創るために尽くすエネルギーを与えられました。
わたしは日本語を日本人のように話せないのは仕方ないと思っていませんが、わたしのレベルの日本語で、個別研修を乗り越えられたことについてはうれしく思っています。限られた語彙と単純な構文でも、北海道から大分県にまたがる日本中の人たちと話すことができ、友人もでき、草の根運動のリーダーの人たちから大学教授までさまざまな職種の人たちと話すことができたのをうれしく思っています。どこに出かけても、会話を楽しみましたが、会話を楽しみ、意見交換し、気持ちを表現するうえで、ことばは問題ではありませんでした。3ヶ月の日本語研修の基本的な目標を果たせたことを、願っています。
北海道のような美しいところで、温かいご家族とホームステイをするという夢のような機会に恵まれ、とても幸運に感じています。北海道はこの目で見たいと思っていた風景まさにそのものでした。佐藤さん、西村さんの2つの親切なホストファミリーのお世話になりました。愛情を注がれ、親切にしていただき、思い出を作っていただいて本当に幸運でした。今でもまだ、佐藤さんが雪かき機でわたしのソリを引っ張ってスキーを楽しませてくださったときのことを思い出します。また、佐藤さんはわたしの障害を別に普通のこととして捉えてくださっていたのが有難かったです。日本では安全上の問題から、こんなふうに障害者をスキーに誘い出すなんてまれなことだといいます。西村家では、生まれて初めて将棋を楽しみました。佐藤さんにも西村さんにも、ご親切にしていただき、愛情と、楽しかった時間を与えていただいたことを感謝したいと思います。
このスキー研修は、障害者だから~ができないという概念を打ち破り、かつダスキンのスタッフやプログラムに協力してくださる人たちとの親交を深めるうえで、素晴らしいプログラムでした。スポーツが大好きではありますが雪で遊んだことのなかったわたしとしては、本当に、言葉で説明できない素晴らしい体験でした。
川内義彦さんのような世界的なユニバーサルデザインのリーダーからユニバーサルデザインを学べたのは大変幸運でした。川内さんご自身が車椅子の使用者で、ユニバーサルデザインのコンセプトに関して大変有名な方です。ユニバーサルデザインのコンセプトのみならず、わたしの国でユニバーサルデザインを始めるためのさまざまな戦略やネットワークについても教えてくださいました。
兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所の北川博巳さんにも研修で、ユニバーサルデザインの参加的アプローチを学ばせていただき大変密度の濃い一週間を過ごしました。また大学の学生と一緒に新伊丹駅、関西空港の野外視察をしました。
今福さんのバリアフリー運動にむけての闘いには本当に敬意を表します。今福さんとわたしとは、新宿のアクセシビリティーを一緒にチェックして歩きました。
わたしの日本語能力をもって初めて個別研修に臨んだ場所が、この自立生活センターでした。わかりやすく、しかしその内容の深さをしっかりと伝えながら障害者運動について教えてくださった野村さんに、感謝しています。障害の分野で使われている単語をいろいろと習いましたが、これが後で人と話すときの大きな基盤になりました。研修期間中、宇部の地元紙がわたしのことやわたしの研修についての記事を掲載しました。また、一週間、下関の自立生活センターで研修し、違うアプローチを学んだり、新しい場所を短い時間で見学したりするチャンスになりました。野村さん、近藤さん、こんな素晴らしいプログラムを手配し、わたしが日本の生活様式をわかるようになりました。ありがとうございました。
行動の協会!差別と戦うサムライ!アジアで、障害者の正義のための模範的な自立生活センターとして出現し、不正に対して石のように堅固で、しかし差別や不正に苦しんでいる人たちに対しては花のように柔らかい。メインストリームはすでに国境を超えて人気があり、有名です。これをよく理解するには、メインストリームとの関係を深め、歴史的な背景を知り、障害者運動を客観的に見る能力が必要です。メインストリームでの研修はこれらの点で非常に有益でした。また、メインストリームでの経験はわたしの個人としての生活にも大きな意味をもたらしました。廉田さんと仲間の皆さんのリーダーシップ、オープンで温かい人柄そしてメインストリームを日本でもっとも革新的でクリエイティブな自立生活センターのひとつとして築き上げたスピリットに心から感激しました。
AJU自立の家は、政府トップから私企業まで、そのアプローチが広く採用されている大規模な自立生活センターで、知的障害者の人を対象にたくさんの職を生み出してきました。とくに印象に残ったのは、名古屋を豊かなユニバーサルデザインの町にしようと監視役を務めていることです。AJUがリーダーシップを発揮した舞台としては名古屋空港、観覧車やEXPO2005など他にもたくさんあります。社会的ネットワークを作りあげ、障害者のコミュニティのことを考えた経営をしている山田さんには大変感銘を受けました。AJUでの研修中、名古屋城、名古屋港、観覧車について、建築家としてまた障害者運動家、ユニバーサルデザインの推進者としての立場からのケーススタディを行ないました。
自立支援センターおおいたは、まだ若いけれど頑張っている団体です。その活動を見ると、日本の他の自立生活センターと同様に円熟している感じがします。ほかの自立生活センターのように、町の有名な観光スポットのアクセシビリティーチェックも行なっています。アクセシビリティーの問題にコミュニティも社会も関わっていることを目の当たりにしたことが、大分でもっとも印象的なことのひとつでした。気の許せる仲間、おいしい食べ物、豊かな美しい自然など、大分での研修は忘れられないものとなりました。コーディネータの安富秀和さんには大変お世話になり、心から感謝しています。また、車椅子を下さり、国に送る手伝いまでしてくださった大分の友人の皆さんにも感謝の気持ちを述べたいと思います。本当にありがとうございました。生きている限り皆さんのことは忘れません。
日本障害者スポーツ協会(JDSA) と横浜ラポールの視察をしました。JDSAではたくさん友人ができ、国で車椅子テニスができるようにと、テニス用の車椅子を2脚いただきました。
仕事において、時間の概念や時間を守ることや責任感は大変重要です。ネパールではこういうことを本で読んだだけでしたが、日本に来てみて初めてその意味がよくわかり、日本の発展の理由と日本人の質について理解することができました。私自身はというとこの3つの資質を全部身につけたとはいえませんが、このことをしっかり胸に刻んだので国に帰ったらすべての面でこれを覚えて行動しようと思います。日本の人たちと日本文化に感謝です!
最後になりましたが、身体的な不自由は、日本でも、ジャマイカでも、アメリカでも、アフガニスタンでも、世界の障害者のすべてが苦しんでいる差別に比べたら何でもありません。差別のほうがずっと危険で人を傷つける、世界中の障害者の共通の敵でもあります。障害者のことも人間として認め、障害者の権利を人権として認めたときに初めて変化が起こると思います。障害者運動には多角的に取り組む必要があると思いますが、まずはやる気に溢れ強い意志で臨む気のある人たちを集め、いろいろな人たちが混在する社会づくりを目指したいと思います。現実にはカトマンズの自立センターの小さな一画か、DPO、あるいはフリーランスの人たちのグループから始まることになるのかもしれませんが、いずれにしても、すべての人のためのバリアフリー社会を作るために力を結集することとなるでしょう。ネパールのように町にトイレひとつさえない国では夢に過ぎないかもしれませんが、まずは夢なくしては何も実現しないのをわたしはよくわかっているつもりです。難しい局面を切り抜けるには夢に向かって決意をもって、頑張り、注力するのみです。
最後になりましたが、自由と平等、社会正義に向かって戦うことのできる人たちを育てるこの素晴らしいプログラムを提供してくださったダスキン愛の輪財団に感謝の気持ちをささげたいと思います。また、いつも笑みを絶やさず協力してくださりプログラムの実現に導いてくださった日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さんにも御礼申し上げます。また、直接、間接に日本にいる間わたしの面倒を見てくださった皆さんにも深く御礼を申し上げます。皆さんどうもありがとうございました。