障害者運動のことを学び、私の考え方は変わりました。たくさんのことを学べて本当に良かったと思っています。私には障害があるけれど、だからといって人より劣るわけではなく、ほかの人と同じように人間です。私は今や新しい人生、チャンス、希望、やる気を与えられています。甘い香りをそこら中に振りまく新しい花のつぼみのように、心も新しく生まれ変わったような気持ちです。この気持ちをほかの障害者と分け合い、彼らにも人生はすばらしいものなのだという希望とやる気をもてるよう働きかけていきたいです。こうした気持ちがあって障害者運動について学びました。私にとっては新しい課題ではありませんでした。
うまれて初めて、日本の障害者がどのように暮らしているかを目の当たりにしました。以前は、普通の環境にいろんな団体が寄り集まり、何とか普通の暮らしをしようと努力しているのだろうと思っていましたが、自立生活について学んだ結果、生活のしかたや、いろいろな物事のやり方、移動のしかたなどに大きな違いがあることが分かりました。自立生活によって、障害者は社会のなかでまったく普通に暮らすことができるのです。
タイに戻ったらいろいろな障壁にぶつかると思いますが、今の私は希望を持ち、どうやったらタイで活動して夢をかなえられるかについて考えています。
このレポートでは、日本でのさまざまな研修や私の経験、そしてタイに戻ったときに何を目標にするかについて書きたいと思います。
日本語研修は大変難しかったです。以前の研修生に会ったときに、個別研修になると日本語で交流しなければならないから日本語はしっかり勉強したほうがいいといわれ余計に恐ろしくなりました。日本語はまるで分からなかったからです。しかしこの研修生の人たちと話したあとは、ちりちり眉毛が焼けるかと思うかの勢いで猛勉強しました。
ホームステイでは新門さんのお宅にお世話になりました。日本の家庭に泊めていただいたのは初めてでした。私が日本語をよくわからないうえに新門さん一家は沖縄の方言で話すので意思疎通はなかなか難しかったです。しかしとても親切にしていただきました。ホストマザーはとてもきれいで素晴らしい方でした。毎日いっしょに散歩をして沖縄の美しい自然を楽しみました。素晴らしい経験でした。でも遊んでばかりいたわけではなく、重い障害をもって生活することについても学びました。新門さんの障害はかなり重度でしたが、私は新門さんにチャレンジ精神を感じました。そういう境遇にあっても自立生活をしているのです。私も自分の家族を持ったら同じように暮らしたいと思います。よい家族を持ち、障害があっても自立した生活をしたいです。
CILかごしま、沖縄県自立生活センター・イルカ、自立生活センターあるる、自立生活夢宙センターで自立生活について学びました。自立生活がよい概念だということは知っていても、実際にどういうものかは知らなかったため、どういうものなのだろうと考えをめぐらしていましたが、介助者、ピアカウンセリング、自立生活などのプログラムを通してだんだんにどういうものかが理解できるようになり、障害があってもどこにでも行き、何でもし、自分の生きたい人生を生きられるのだということを学びました。また、自分で決断をすることには結果が伴いそれについては自分が責任を負うのだということも学びました。障害があってもそこは障害の無い人と同じで、自分の行動には責任を負うのです。
アガペセンターは初めて施設のサービスを見学する場となりました。障害者の生活を実に効率的に支える仕組みができていましたが、それ以外にもデイサービスや、知的障害者のためのプログラム、知的障害者が生活を楽しみ就労できるように支援するワークショップなどさまざまな取り組みが見られました。
忘れられないのは、障害というのは必要な支援が成り立たないところに生ずるのだという考えかたです。障害者にもニーズがある。エンパワメントにより、ほかの人間と同じように接してもらいたいという一人の人間である。障害者は自立し、自分を伸ばしていくことを学び、自尊心を養い、社会にかかわっていくものだということを学びました。
国連障害者の権利条約、権利擁護、バリアフリーの概念、エンパワメントなどについて学ぶにつれ私の知識も増えていきました。また、障害者運動の大切さについても理解できるようになりました。日本の障害者運動は素晴らしいと思います。運動を支えてきた人たちは非常に強く、一致団結して彼らの意思を遂行したのです。たとえば新宿駅。日本の障害者がどれだけの犠牲を払い、勇気をふるって障害者の公的施設へのアクセスに向けて闘わねばならなかったか、想像もつきません。考えられないほど多くの障害に突き当たったものの引き返すことなく、権利を手にするまで闘ったのです。私はしょっちゅう新宿駅を利用していましたが、日本の障害者がバリアフリーの環境を手にするまでどれだけ闘わなければならなかったかに思いをはせたことはなく、これだけ重い歴史があってはじめて私が公的な場所で楽に動ける仕組みができたのだということを初めて知りました。障害者運動のリーダーだった方たちには大きな感謝の意を捧げたいと思います。
研修を終えて日本での目的を理解するにいたりました。研修の内容としては、日本で非常に発達しているバリアフリーの概念や、重い障害者のエンパワメント、障害者女性のための女性によるエンパワメント、リーダーシップ能力などがありました。また、友人関係を利用したネットワークづくりについても学びました。
バリアフリーとはどういうものなのかについて非常に興味を持つようになりました。バリアフリーとは何か、そしてどうやったら、どんな場所でも実現できるものなのか?タイではバリアフリー環境の実現は非常に難しいのですが日本でそれを目の当たりにしてタイでも実現させたいという思いでいます。どうやったらタイでもバリアフリー・アクセスを実現できるのか。実現できれば、将来的にはタイの障害者も日本の障害者のように自由に暮らすことができるでしょう。
さまざまな重度の障害者の人たちの生活を学ぶ機会もありました。非常に驚いたのは、沖縄で、重度障害者のためにもアクセスが確立されていたことです。これがあってどれだけ障害者の人たちが動けるようになっているか考えるだけで驚きです。すべてのことは遠隔制御されていました。ドアや窓の開閉、そのほかの機器の操作なども全部リモコンでできるようになっています。重度障害者の人たちが、こうした技術の支えによって一人暮らしをしているということは非常な驚きでした。こうなっていれば介助者も大して必要ではありません。技術によって物理的・身体的な不足が補われているからです。
沖縄県自立生活センター・イルカでは、幸せに暮らすことの大切さを学びました。障害が非常に重度のものであっても、楽しんで生活することができれば、気分も良くなります。楽しんで暮らしていれば、障害のことを考えるよりも、今あるものを楽しみ、またどうやったらほかのことも楽しめるかに頭が向くようになります。ここの障害者の人たちは音楽を聴いたり、一緒に歌ったり、絵を描いたりして自分のことを表現して楽しんでいました。重度障害者の人たちも楽しく暮らしたいという気持ちがあり、残された手段を使って楽しむことができるという事実を看過するわけにはいきません。
「私は女性です」。この言葉はわたしを強い女性にするパワーがあります。このことは研修で学びました。「女性」といってもただ女性であるとか美人だというのではありません。私たちは女性である、リーダーである。女性が運動を指揮することは難しいことですが、私たちはエンパワーされた女性でありリーダーとして活躍できるのです。また、どこにあっても、いつでも、女性は美しくなくてはなりません。美しさは男性に対して女性の力になるからです。
リーダーシップについては研修を通して物を見聞きすることで自分なりに考えがまとまりました。リーダーであるということは独特であるということです。人間はみな能力も容量も、心もアイデンティティーも異なっていますが、リーダーには謙虚さ、強さ、友人関係を大切にする能力などが必要です。また、集団をひとつにし、人の言うことをよく聞き、知性とフェアな判断をもって話す能力も必要です。リーダーシップについて学んだあと、わたしは良いリーダーになりたいと思いました。国に帰ったあとはよいリーダーになれるものと確信しています。
人間は誰も一人で無人島に住んでいる人はいません。人間は一人では大したことはできません。一緒に暮らし、どこに行くにも、何をするにもとにかく大切なのは友人関係です。一人では何もうまくやることができません。私たちは一人ではない。周りにはたくさんの人や友人がいて、いろんなことを一緒にしよう、考えよう、そしてよい人間になってゆこうと支えてくれています。
地震のある日本で、わたしは自信がつきました。障害を負っていても、どんな障壁があっても、わたしたちには普通に暮らし、社会で人と交流していく権利があることを学びました。
タイへは、日本で新しく得た目的や目的意識を持って帰ろうと思っています。
私はいまや心からタイに自立生活センターを作りたいと思っています。日本で自立生活を学んで自分で何でもできると知ったとき大変嬉しくなりました。障害があっても、何でも自分で作ったり選んだり計画したり、まったく障害のない人と同じように暮らすことができます。また、自立生活のほか、パーソナルアシスタントやピアカウンセリングについても学びました。こういうプログラムを難しいとは思うもののタイでも実現させたいし、実現できると思っています。
もちろん、介助者のシステムをまずは作らなければなりません。自立生活の基本は介助者に拠るところがあり、介助者なしでは自立生活もありえないというのもこれまた事実です。介助者についての知識をタイでも伝えたいと思います。タイでは、障害者の面倒を見るのは障害者の家族と決まっています。これは変えていかなければなりません。介助者のシステムがあれば、障害者も家族の援助によらずに生きていくことができます。
日本では私はどこにでも自分で行き、何でも自分でし、世の中のものは何でも自分でやってみたり作ったりすることができました。なぜか?日本ではバリアフリー・アクセスが確立されているからです。タイでの最大の課題はこれです。道路も学校も、交通機関も建物も、障害者がアクセスできるようにはなっておらず、バリアフリーはあまり見られません。タイでもバリアフリーを実現できれば障害者はどこにでも行き、自立生活も可能になります。
これが私の夢です。障壁はあると思いますが、やりたいと思っています。そして、今の私ならできます。
自立生活、ピアカウンセリング、介助者のサービス、そのほかいろいろなことを学び、多くの思い出と経験を胸に国に帰ることになります。今の私は生まれ変わりました。自信をもち、知性、判断力、新しい考え方をもった新しい人間です。今の私には夢があり、夢を実現させることもできるでしょう。ダスキン愛の輪財団、日本障害者リハビリテーション協会、そのほかの日本の団体の皆さんのサポートも得て、これから一緒に活動していくことができるでしょう。これからの私はもっと、もっと良いことをし、良いリーダーになります。障害はもはや問題ではなくなりました。うれしい気持ち、感謝の気持ちでいっぱいです。自由を与えてくださったこと、私を変えてくださったこと、皆様のご親切そしてサポートに心から感謝します。ありがとうございました。