私はベトナムでろう学校の先生をする傍ら、ハノイろう協会に所属し、手話指導を行っていました。私が日本で学びたいと考えていたのは次の3つです。
(1) ろう教育の改善:ベトナムでは、口話による指導が一般的で、手話が使用されている学校はわずか1校のみです。その1校も、指導方法が優れているとは言えません。また、ろう者が高等教育を受けることは大変難しく、小学校までしか行けない人がほとんどです。ろう者にも教育が必要であることを強くアピールしなければならないと感じていました。
(2) ろう当事者団体の強化:ベトナムには全国レベルのろう当事者団体がありません。私が所属するハノイろう協会も、ろう者の置かれている状況を改善する必要性は感じています。しかし、どのように運動を推進すればよいか分からず、その活動は低迷を続けています。知識や経験が豊富な人材も不足しています。
(3) 手話通訳者の養成:私は手話通訳者の養成を目的とした講習会で講師を務めていました。ベトナム全土に手話通訳者は17人しかいないと言われており、その養成は急務です。しかし、生徒の手話はなかなか上達しません。また、私たちもしっかりとしたカリキュラムがないので、いつも不安を抱えながら指導を行っていました。ですから、日本では手話通訳者をどのように養成しているのか大変興味がありました。
日本に来て、最初に驚いたのは交通が便利なことです。駅構内の文字情報も豊富で、いろいろな所に自由に行くことができました。
また、日本の文化も大変興味深かったです。古いお寺やお城、梅や桜などを鑑賞できたことはうれしかったですし、書道や華道の講座を受けたり、着物でお茶をいただいたりと伝統的な日本の文化に触れた時は、つよく心が動かされました。また、ホームステイで岩林さんのお宅に伺った際、新年を祝う料理がベトナムと日本では全く違うことに気付きました。
日本での初めての経験と言えば、水泳とスキーです。水泳は最初こそ怖かったですが、泳げるようになってくると楽しくなりました。スキーはベトナムでは経験できないことなので、思いきり楽しみました。何度もころびましたが、その痛みは温泉が和らげてくれました。
個別研修に臨む前に、日本語と日本手話を3か月間勉強しました。これらは、個別研修を充実したものにするために大変重要ですが、私は来日するまで日本語も日本手話も学んだことがありませんでした。しかし、先生方の指導はとても素晴らしく、私は楽しみながら勉強することができました。特に、漢字は珍しく面白いと感じました。ベトナムに帰っても、日本語と漢字の勉強を続けたいと思っています。
東京都立中央ろう学校で研修をしました。橋本先生や他の先生から色々と教えていただきました。私もまた、生徒に絵とベトナム料理を指導する機会をいただき、よい経験となりました。東京都立中央ろう学校には中学部と高等部があり、先生方が熱心に指導に当たっていました。ベトナムでろう者が大学に進めるようになるためには、中学部や高等部を充実させる必要があると感じました。
筑波技術大学では、大杉先生の講義を聴講しました。そこでは、手話のことやろう者が権利獲得を求めて闘った裁判などについて説明がありました。日本のろう運動の変遷も分かり、勉強になりました。筑波技術大学で驚いたのは、遠隔情報保障システムです。これは、ろう学生が講義を受けている場所と手話通訳者がいる場所をインターネットで繋ぎ、情報を共有するシステムです。このシステムがあれば、専門的な手話通訳者の手配が難しい場所においても、大学レベルの専門的な講義に通訳をつけることができます。ろう者が学ぶ時、情報保障がいかに重要かということを学びました。逆に、情報保障がなされれば、ろう者もしっかり学ぶことができることが分かりました。
全日本ろうあ連盟と福岡県聴覚障害者センターで研修をしました。福岡県聴覚障害者協会では施設の概要やサービス、手話通訳派遣などについて教えていただきました。県レベルでこのように充実した施設があることに驚きました。
全国組織である全日本ろうあ連盟と同様に、福岡県のろう協会にも様々な部があり、活動をしていました。私は女性部の活動に参加しましたが、定例会の開催はもちろん、レクリエーションなども行われていました。
福岡県で最も心に残ったのは、中高年向けの手話講習会です。参加者は手話通訳者を目指すというより、手話でコミュニケーションができるようになることを目的としています。ベトナムでは、手話を知っている中高年は大変少なく、また、若くなければ手話が覚えられないという思い込みがあります。しかし、様々な世代が手話を知り、親しみを持ってくれることは、私たちろう者にとって大変プラスになることだと思いました。
全日本ろうあ連盟では、ろう者に関わる福祉制度や、ろう運動について教えてもらいました。地震などの災害時においても、全日本ろうあ連盟は被災したろう者に対する支援活動を行います。このことからも、ろう者団体が全国レベルで組織化され、中央と地方が密に連携を取って活動することの重要性が分かります。ベトナムでは交通網または経済的な問題があるため、例えばハノイとホーチミンのろう者が交流する機会を持つことは困難です。しかし、ベトナムと同様に南北に長い地形を持つ日本で、ろう当事者団体が強い結束を誇っていることは私に勇気を与えてくれました。私はろう者が全国レベルで協働する必要性を仲間に伝えたいと思います。
青年部の活動には、同じ若い世代として深く感銘を受けました。活動資金を得るための募金活動、定例会、そして出版活動も行っていました。私が盲ろう者のサポート方法について知ったのも、青年部の勉強会を聴講したからです。アジア・太平洋の各国地域の中で、青年部が組織されているのはごくわずかです。ハノイろう協会の中にも青年部はありますが、実際は何も活動をしていません。次の世代のろう者のために、私たち若い世代が積極的にろう運動に関わっていくべきだと感じています。
手話通訳者の養成は私が最も力を注いでいきたい分野です。埼玉にある国立身体障害者リハビーションセンター学院・手話通訳学科における研修は、10か月の中で最もインパクトの強いものでした。手話通訳学科は2年制です。1年目は日本語を介さずに、手話を学びます。これは、手話を手話で考える力を育てるためです。私はこれまで、ベトナム語に対応させながら生徒に手話を教えていました。ベトナムの手話学習者がいつまでたっても上達しない要因の一つがはっきりと理解できました。小薗江先生の指導を受けて、私もベトナム手話を教える模擬講座を実施しました。実際にやってみると、なかなかうまくいきませんでした。今回の反省点を忘れずに、ベトナムの活動に活かしていきたいです。
2年目になると、通訳技術を磨く時間が増えてきます。先生方の指導は大変厳しく、細かい部分までチェックが及びますが、そのおかげで学生の通訳技術が上達するのだと感じました。
私が最も感心したのは、手話通訳者として活動を始めてからも、通訳技術の維持または向上のために、通訳者が日々鍛練を積んでいるという事実です。その指導には、ろう者やベテランの通訳者があたります。例えば、ろう者が通訳者の方を見ていなかった間に発信された情報をしっかり頭に留めておいて、後で訳出していくこと、講演会などでろう者の視線を通訳者に向かせる方法などについて勉強していました。手話通訳者とは、手話を日本語、日本語を手話に単純に変換するだけでなく、通訳者としての高い技術が必要とされることを改めて認識しました。ベトナムでは、ろう者側に「手話通訳者がいるだけでありがたい」という意識が強く、通訳者の技量を客観的に評価することがありません。高い技術とプロ意識を持った手話通訳者を生み出すためには、ろう者自身も意識を変えていく必要があると感じました。
日本で様々な研修をする中で、ベトナムのろう者の活動がまだまだ立ち遅れていることを痛感しました。ベトナムと日本のろう当事者活動には多くの相違点がありますが、私が日本で最も強く感じたのは、「ろう者自身の強い権利意識」です。ベトナムのろう者の大半は、ろう者にも聴者と同様に権利があることに気付いていません。
ろう者の社会進出または職域を拡大するために運転免許証は不可欠だと考えますが、ベトナムではろう者の運転免許証の取得は認められていません。日本のろう者が経験した運転免許証に関する様々な取り組みを聞き、ろう者が自分自身の声を伝えていくことが重要だと感じています。
これは手話通訳者についても言えることです。技術の伴わない通訳者に対して、意見を述べてもいい/述べるべきだという発想をろう者が持つことで、ろう者への情報保障が変わってくると思います。
帰国後はハノイろう協会で様々な活動を展開したいと考えています。ろう協会として成し遂げたいことはたくさんあります。ベトナムに全国的なろう当事者組織を作りたいですし、ろう者が高等教育を受けられるような環境を整えたいです。また、ろう者の運転免許証取得を目指して、ろう者の声を集め、政府に要望書を出したいです。私はまず、手話通訳者の養成に着手したいと考えています。現在ハノイには、4人しか手話通訳者がいません。国立身体障害者リハビリテーションセンターで学んだことを活用してベトナムに合った手話指導を模索したいと思います。
来日前は不安や心配がたくさんありましたが、日本で様々なことを学ぶことができました。広げよう愛の輪運動基金の伊東理事長をはじめ、スタッフの皆さま、日本障害者リハビリテーション協会の皆さま、またハノイまで面接に来てくださった駒井さん、相良さん、那須さん、私を研修生として選んでくださったことを心から感謝します。
日本で学んだことを活かして、ベトナムで頑張ります。私は努力します!