-新しいケンジェグゥの誕生-
ダスキンの研修は、僕の夢でした。
私が大学で勉強した時、視覚障害の学生たちは社会でも大学でもいろいろな問題がありました。それを変えるために、ダスキンの研修に参加したかったです。私は日本へ来る前に、外国へ行った経験がないし、あまり英語を話すことができないし、どうやって他の人とコミュニケーションしますか、どうやって日本語を勉強しますか、どうやって生活しますかなど、すごく心配しました。
゜日本に来た時、楽しいことと不安なことがありました。
初めて研修生や他の皆さんと一緒に会話する時、とても大変でした。そんな私を初めに手伝ってくれた研修生は、セイネップさんです。セイネップさんは日本語を勉強する時や研修の時など、たくさんロシア語で手伝ってくれました。セイネップさんは私の日本で会った妹です。
もう一つ大変だったことは、日本語のパソコンを使うことでした。でもジャンキさんが手伝ってくれました。
他の研修生も色々なことを手伝ってくれました。今7人はすごく良い仲間で、家族のようになりました。
日本語を勉強したとき、先生たちは分からない時も例を使って、教えてくれました。先生たちの日本語の教え方はゲームみたいで、日本語は難しいけど、授業はとても面白かったです。また、点字の先生たちのおかげで日本語の点字も覚えることができました。日本語の先生たちに心から感謝いたします。
日本でびっくりしたことは、新幹線と電車がとても速くて、駅員の人たちが案内をしてくれることです。個別研修で、一人でいろいろな場所へ行った時、駅員さんが案内してくれました。とても素晴らしいことだと思いました。カザフスタンではまだこのようなサービスはありません。
私のホームステイのお父さんとお母さんは、温かくて優しい人たちです。お父さんとお母さんが作ってくれたおいしい日本料理をたくさんいただきました。食事の時に細かく食べ物の説明をしてくれたり、アイヌの人が住んでいる所に連れて行ってくれたり、日本の文化や歴史も教えてくれたので、日本語も上達しました。一緒にダンスやカラオケなどをして、ゆっくり過ごしたので、個別研修への心配がなくなりました。私の日本の家族は、素晴らしい家族です。お父さんお母さん、ありがとうございました。
個別研修で一番行きたかった所は、メインストリーム協会です。なぜなら、日本へくる前に友達からメインストリーム協会のTRYについて聞いていたからです。TRYは日本で始まった活動で、1回目は障害者が友達と二人で大阪から東京まで歩きました。今のTRYは、いろいろな国の障害者が集まって、1週間から2週間ぐらい町を歩きます。障害者がいることをアピールして、バリアフリーのことを町の人に話します。町の人たちは障害者を見て、障害者のことをよく考えるようになります。TRYは社会を変えるための運動で、とても意味がある活動だと聞いていました。TRYは真面目なことだけではなくて、楽しいこともあります。みんなで御飯を食べたり、一緒に歌を歌ったりします。TRYにはいろいろな障害のある人が参加しますから、自分と違う障害のこともよく分かるようになります。わたしはTRYの目的と考え方を勉強した後に、カザフスタンでやりたいと強く思いました。
もう一つ良かった勉強は、障害者の自立生活についてです。それは、私の自立の考え方と全然違いました。「頑張って、何でも自分ですること」が自立だと思っていましたが、違うということが分かりました。介助者の手や足、目を、すべて自分の体と考えて、自分で決めて、選んで、一人暮らしや楽しい生活をするのが自立だとよく分かりました。
勉強も大切ですが、楽しむこともすごく大切なことです。カラオケへ行ったとき、脳性まひの友達はうまく発音できませんでしたが、楽しみながら気持ち良さそうに歌っていたので、素晴らしいと思いました。下地さんは「歌を正しく歌うよりも、楽しく歌うことが大切です」と言いました。
メインストリーム協会の皆さんといろいろ話したり、遊びに出かけたり、食事をしたりして仲間になりました。メインストリーム協会の皆さんを永遠に忘れません。
ヒューマンケア協会での自立生活のまとめの研修もよかったです。自立生活についてのテストとピアカウンセリングは、前に勉強したことをもう一回思い出して、練習するためにとてもいい研修だと思います。すごく素晴らしかったです。
DPI日本会議では、障害者の権利と制度について研修しました。そこでは、皆で一緒に障害者の権利や制度のために運動をしています。カザフスタンでは、このような国際団体がまだありません。この研修で、他の障害をもっている人たちの団体と協力することが大事だと分かりました。もう一つ分かったことは、人と直接会って話すことは、とても大事だということです。ファンドレイジングのために会社や新聞社の人に直接会いました。助けている会社の人も、自分の目で見ることで障害者の活動のことが分かるので、これはとても良いことだと思いました。
私の個別研修は、スラッシュ(視覚障害者のためのパソコン教室)で始まりました。そこで、パソコンの使い方を教えてもらい、ホームページが作れるようになりました。
私は光友会に行きました。そこではワークショップを見学しました。そこでは、いろいろな障害を持っている人たちが一緒に働いています。また、視覚障害者に情報をあげるために点字印刷したり、録音をしたりしています。とてもいい勉強でした。
沖縄県視覚障害者福祉協会では、視覚障害者の活動ができる場所を見ました。例えば、パソコンや三味線、スポーツ教室などです。少し沖縄のダンスも学びました。
私はカザフスタンで歴史と法律の先生をしていますが、歴史の先生は地図を覚えなければなりません。でも、私は見えないので、地図を言葉だけで覚えました。大阪の日本ライトハウスで、点字の地球儀を触って、初めてカザフスタンの場所と形が分かりました。すごく素晴らしかったです。ライトハウスでもう一つ学んだことは盲導犬についてです。盲導犬と一緒に歩いたのは、とても楽しかったです。盲導犬は視覚障害者が生活するために必要だと思います。
一番驚いたスポーツはスキーです。カザフスタンの私の家から1時間くらいの所に有名なスキー場がありますが、一度も行ったことがありません。みんなは、「視覚障害者たちは、見えないからスキーできない」と考えていますし、私も自信がありませんでした。もちろん、障害者に教えてくれるスキーの先生やサポートもありません。だから、どうやって滑るのか分からなくて、とても心配しました。でも、先生は「心配しないで」と言ってくれたので、安心しました。先生の声を聞きながら1500メートル滑りました。その時、自分で思いました。「ケンジェ、このスキーの経験をカザフスタンの友達に言わないといけないです。」
もう一つすごかったことは、沖縄で経験したスキューバダイビングです。ダイビングは私の夢でした。最初は怖かったけど練習した後に8メートルぐらい海の中にいきました。ダイビングを経験したあと、自分は何でもできると、すごく自信がつきました。
それから、サウンドテーブルテニスやボーリングもしました。いろいろ聞いていましたが、前はどうやって視覚障害者がするか分かりませんでした。でも、先生が上手に教えてくれたので、することができました。東京都障害者総合スポーツセンターで風船バレーとブラインドテニスを勉強しました。スポーツセンターの研修のおかげで、スポーツ大会で二つ銀メダルをもらうことができました。今は、どんな障害があっても、サポートがあって工夫すれば何でもできるということが分かり、自信がつきました。
自分の中でチェンジしたことは、違う障害者のことを分かるようになったことです。人は全部、違う能力を持っているということが分かりました。そして、バリアフリーとサポートがあれば、どこでも、いつでも、何でも、できるということが分かりました。いろいろな言葉を話す自信がつきました。いろいろな人と接して、待つことを覚えました。私は、自分の可能性を知りました。
全部の研修は、頭の中に残っています。自分が強くなるためのいい勉強でした。カザフスタンに帰って、何ができるか、実現できるか、今考えています。そのために、仲間と一緒に頑張らなければなりません。
カザフスタンに帰ってから、IT情報センターを作りたいです。TRYの運動をしたいです。自立生活センターを作りたいです。そのためにワークショップをしたり、ネットワークを作ったりしたいです。
私は日本で生まれ変わったような気がします。新しいケンジェです。日本で学んだことは、私の大切な宝物です。広げよう愛の輪運動基金の皆さま、日本障害者リハビリテーション協会の皆さま、研修先の皆さま、日本でお世話になったすべての皆さま、心から百万本の薔薇の花を捧げます。