「みんな違って、みんな同じ!」
私は大学で勉強したり、障害のある子どものNGOで働いていました。
キルギスはまだバリアフリーじゃないですから、日本に来る前に一人で住んだ経験はなかったです。外に行く時は家族や友達が手伝いました。私は一人でいろいろな所へ行きたいですから、時々困りました。
キルギスで障害がある人はあまり外に行けません。障害がある人、特に重複障害者は本当に大変です。勉強したり、働いたりすることができません。家から出られなくて、外に行かないです。毎日同じテレビを見るだけです。ほんとに残念ですね。
日本に来た時、日本語を全然話しませんでした。とても頑張って勉強しましたが、なかなか上手になりませんでした。
例えば、スーパーへ買い物に行った時、あまり日本語が分からなかったので、お店の人に聞きました。でも、お店の人は私の言葉が分からなかったです。お店の人はスマイルするだけ。ですから、違うものを2回も買いました。
キルギスで障害者が一人で生活することは難しいです。でも日本では大丈夫です。一人の生活は面白いです。もし難しかったら、ヘルパーさんを使います。ですから、重度の障害者も一人で生活することができます。
日本で初めて電動車いすに乗りました。とても便利です。電車にも初めて乗りました。キルギスには電車がないですから、初めは怖かったです。日本はバリアフリーですから、私は一人で電動車いすで電車に乗って、いろいろな所へ行くことができます。
日本はいろいろな所で障害のある人を見かけます。キルギスでは全然見ませんから、とてもいいですね。
私のホストファミリーのお母さんは、高知の樋口恵子さんでした。そして、お父さんは近藤秀夫さんでした。二人とも障害がありました。ホームステイは面白かったです。サーカスやレストランへ連れて行ってもらいました。そして、私の国には海がないですから、毎日、海を見に行きました。恵子さんの家はバリアフリーでしたから、障害がある人がどんな生活するか分かりました。本当にうれしかったです。日本の家族に心から感謝しています。
初めて大阪の夢宙センターに行った時、難しかったです。私は易しい日本語だけ分かります。でも、個別研修の日本語はとても難しかったです。日本の文化も分からなかったです。日本人ははっきり話しません。遠まわしに話します。例えば、スタッフは「一人でご飯を食べますか?」と聞きました。それは「一緒にご飯を食べませんか?」の意味でした。私は分からなかったから、「はい、一人で食べます」といつも答えました。
それから私は日本語がよく分かりませんでしたから、研修でいっぱい頭を使いました。いつもとても疲れましたから、6時になったらすぐに帰りました。スタッフはとてもびっくりしました。なぜなら、スタッフは私と一緒にご飯を食べたいです。一緒に遊びたいです。でも私は全然分かりませんでした。始めは誤解がたくさんたくさんありました。本当に大変でした。
スキー研修のために東京へ帰りました。そして真砂子さんと那須さんとこの問題について話しました。そして私はどうしたらこの問題を解決できますか、この研修が楽しくなりますかを考えました。そして、もう一度夢宙センターに行った時、たくさん頑張りました。夢宙センターの人も絵を描いたり、簡単に話したり、ボディランゲージを使って、手伝ってくれました。そして私は夢宙センターの人たちと友達になりました。そしてたくさんうれしい経験をしました。
DPI日本会議で精神障害のことを勉強しました。体の障害がないけど、しんどい人の問題を聞きました。その問題は前に知らなかったですから、新しい情報でした。それから、ロビー活動や権利擁護を経験しました。とてもいい経験になりました。
私は障害のある子どものことも勉強しました。親の会や子どものリハビリテーションを見ました。
日本では親と子どものために、いいシステムがあります。母子手帳です。母子手帳をもらう時、お母さんはチケットをもらいます。お母さんはそれを使って、14回健康のチェックをすることができます。もし、問題があったら、もっとチェックすることができます。母子手帳は子どもが0歳から6歳までの成長を書きます。子供に障害や病気がある時、相談ができるし、病院やリハビリテーションの情報を教えてくれます。
今、私は自由を感じます。
今、私は車いすでどこでも行くことができます。
今、私は一人で買い物ができます。
今、私は一人で電車に乗ることができます。
今、私は一人で生活することができます。
日本に来る前と今は、リーダーの考え方が変わりました。前は強くて何でも上手にできる人がリーダーと思いました。でも今は仲間と一緒に働いて、目的を達成できる人がリーダーと思います。
そして、みんなが大切な人だと分かりました。みんな違う役割があります。そして色々な人が集まってチームになります。一人でできないことは多いけど、そのチームは強くて何でもできます。仲間と一緒にやさしくて速くて楽しいです。そしていい結果があります。これは夢宙センターでわかりました。みんな違ってみんな同じです。
国に帰ってから私は三つのことがしたいです。
まず、自立生活センターを作りたいです。初めに私は発表会をします。そして、キルギスの人に自立生活を教えます。そして仲間と一緒に自立生活センターの準備をします。2年以内に自立生活センターを作りたいです。
次に、ロビーと権利擁護の活動をしたいです。障害者の権利条約やバリアフリーのためにキルギスで運動をしたいです。いろいろな団体と一緒に運動をします。
最後に、障害がある子どもの支援をしたいです。母子手帳がキルギスにあれば、お母さんも子どもも元気になります。そして、障害のある子どもを早く見つけることができます。ですから、私はキルギスに母子手帳を紹介します。
最後に、広げよう愛の輪運動基金の皆さん、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、私たち研修生に日本で勉強するチャンスをくれて、ありがとうございました。
そして、研修先の皆さん、私に社会を変える新しい方法を教えてくれてありがとうございました。
皆さん、ありがとうございました。