「新しい発見―私」
台湾にいる時、クラッチで歩いていました。車いすに乗ったら障害が重いと見られるから、乗ろうと思わなかったのです。日本に来て初めて車いすに乗りました。
元々方向音痴だし、迷ったらどうしようと、いつも緊張していました。また電車に乗る時も、初めて行く駅だと大丈夫かなと、とっても不安でした。
私はあまり自分の意見を言いませんでした。あまり自信がないので、小さな声で話しました。
研修を受ける前、障害者のことがよく分かりませんでした。また世界の障害者に関する活動も全然知らなかったです。個別研修前の私はこんなふうでした。
3つの自立生活センターで研修をしました。ヒューマンケア協会と沖縄県自立生活センター・イルカと自立生活夢宙センターです。
その中で一番印象が強かったのがイルカです。イルカの研修スケジュールはとてもハードだし、人がたくさんいました。人見知りをする私にとって慣れるまで大変でした。いつも夜9時か10時に研修が終わって、くたくたでした。とても疲れて毎日寝不足でした。また、重度障害者の訪問が多かったので、最初は、何から聞けばいいのか、どのようなことを聞けばいいのか、どこまで聞いても大丈夫なのか、よく分からなかったです。このような研修は初めての経験なので、時々今まで考えたことがない質問をされると、うまく答えられなかったです。特に日本語が上手だと思われているから、うまく答えられないのは、私にとってとても辛いことでした。
でも、二週間の研修が終わった後、重度障害者はどういうふうに実際に介助サービスを使って生活するのか、また彼らのニーズももっと分かるようになりました。例えば、ALSの当事者を訪問した時、「24時間ベッドで生活しているけど、毎日楽しい生活を送って、困っていることはない」と聞いた時は、信じられないほどびっくりしました。また、筋ジストロフィーの当事者を訪問した時は、介助者を使って、すごく美味しい料理を作ってくれました。もし介助者のシステムがなかったら、自分が送りたい生活ができないと強く印象に残りました。
自分もハードな研修を通して、人見知りがちょっと治りました。そして、夜遅くまで続く研修に対しても強くなりました。
個別研修で、筑波技術大学と筑波大学と立命館大学に行きました。筑波技術大学は、視覚障害学生と聴覚障害学生のための大学なので、学校の設備や勉強のための支援は整っています。では、筑波大学、つまり一般の大学ですが、障害学生に対してどのような支援があるのか、学生はどのようなことに困っているのか、障害学生にインタビューをしました。また、立命館大学にも研修に行きました。主に、先端総合学術研究科のいろいろな分野を研究している院生たちと交流をしました。
大学での研修の中で、ここで取り上げたいのは、筑波大学で障害学生へのインタビューした結果です。たくさんの質問の中から二つを選び、それに対する私の分析を記したいと思います。
聴覚障害 | 視覚障害 | 運動障害 | 内部疾患 | 合 計 | |
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学生数 | 23 | 13 | 12 | 2 | 50 |
インタビューした人数 | 2 | 4 | 3 | 0 | 9 |
この表は、平成20年度の筑波大学における障害学生数とインタビューを実施した人数を表しています。平成20年度、筑波大学の障害学生は全部で50人でした。その中で、9人をインタビューしました。聴覚障害学生は23人中2人を、視覚障害学生は13人中4人を、そして運動障害学生は12人中3人をインタビューしました。
まず、「筑波大学に入学する前に、大学での学習や生活について不安を持っていましたか」という質問に対する主な回答を挙げます。
聴覚障害学生 | 視覚障害学生 | 運動障害学生 |
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障害学生が大学に入る前に色んな不安を持っていたことが分かります。もし何の支援もない大学だったら、障害学生はどうやって勉強するのか、きっともっと不安になるでしょう。
次の質問は、「今、受けている支援がなかったら、どんなことに困っていたと思いますか」です。主な回答は以下のとおりです。
聴覚障害学生 | 視覚障害学生 | 運動障害学生 |
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この結果から、障害学生はやっぱり支援を受けないと、殆んど勉強ができなくなることが分かりました。運動障害学生の場合は、勉強面での支援はいらなくても、学内の移動に困れば、大学での学習と生活が大変になることが予想されます。
障害学生が安心して大学生活を送るためには、もっと学びやすい環境を提供する必要があります。そこでまず大事なのは、障害学生のニーズを聞くことです。そして多くの支援者を養成して、確実に障害学生のニーズに応じられるような支援体制を作る必要があります。
手話と点字は、メインの研修ではないけど、私は手話が好きです。手話ができないと、イーハウさんやカスンさんとのコミュニケーションもできないから、もっと手話が勉強したかったので、筑波大学で研修した時も手話を勉強しました。そして、点字もちょっと勉強して、ケンジェさんとジャンキさんに点字のしおりを作ってあげました。
日本でたくさんの忘れらない思い出ができました。
日本で、いろんなスポーツを初めて体験しました。一番忘れられないのはスキーです。水泳も初めて経験して、大好きになったので、台湾に帰っても続けたいです。
お正月の時、宮崎でホームステイをしました。私は偏食だから、食べられないものがたくさんありますが、お母さんは毎日色々と考えて私の好きな食べ物を作ってくれました。そしていろいろな所へ連れて行ってくれました。短いですが、とても楽しかったです。
私たちはとっても仲がいいです。一緒にいるととてもうるさいですけけど、楽しいです。研修生とのおもしろい思い出がいっぱいあるから、国に帰っても決して忘れません。
冒頭に「研修前の私」について書きました。同じ項目を挙げて、この長い研修の間に私がどう変わったかを書きたいと思います。
車いすが大好きです!!車いすに乗ると、買い物も疲れないし、たくさん買っても大丈夫です。今は車いすに乗って出掛けるのが大好きです。
一人でも大丈夫です!!新しい場所に行っても、道を覚えるのが少し上手になりました。
自信がつきました。今は前と比べるとゆっくり落ち着いて自分の意見を大きな声で話せるようになりました。
障害者はいいなと、時々思うようになりました。いつも電車に乗る時、駅員さんが案内してくれて、「お客様を案内中です」と大きな声で放送してくれます。昔だったら、恥ずかしかったけど、今は自分が偉い人になったみたいで、障害者はいいなと思います。
台湾に帰ったら主に3つのことをやりたいです。
最後になりましたが、10ヶ月間お世話になった皆様、広げよう愛の輪運動基金の皆様と日本障害者リハビリテーション協会の皆様、心をこめて感謝します。一緒に勉強してきた研修生のみんなのことも一生忘れません。これから離れ離れになるけれど、一緒に頑張っていきましょう。