Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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アリッサ・ナムラトヴァのファイナルレポート

日本へ来る前の気持ち

私の国、そして中央アジアの国々の人たちにとって、日本へ行くことは夢のようなことです。中学の時に地理の授業で教わってからというのもの、私は日本に興味を持っていました。それは、日本の文化や取り巻く環境が、中央アジアの国と大きく異なるように思えたからです。

去年、約300人の応募者の中からダスキンの研修生に選ばれた時は信じられませんでした。日本で学ぶ機会が得られるなんて想像したこともありませんでした。成田空港に到着し彰子さんに会っても、まだ夢のような気分でした。

開講式

開講式で他の色々な国から来た6人のミステリアスな研修生と会いました。なぜミステリアスだったかというと、それまで他の6人の研修生の顔もどんな人たちなのかも知らなかったからです。開講式では、障害のある人たちとたくさん会いました。残念ながら、私の国では障害のある人が外に出ることはめったにありません。その時、私は基本的な日本語さえ分からなかったので、出席者の方たちと話すことができませんでした。

日本での生活と日本語の勉強

それから東京に戻り、日本語の勉強が始まりました。その時私は、日本に来たのだから一所懸命頑張って勉強しなければならないと自覚しました。しかし、来日後2~3週間はとても辛かったです。家族や友達と遠く離れてしまって、寂しかったからです。しかし、日本の生活にだんだん慣れて、6人の研修生ともだんだんいい友達になりました。私たちは毎晩のように一緒に夕食を食べに行くようになりました。

最初、日本語の勉強はとてもとても難しかったです。日本語は、その文法も文字も私が知っている言葉とは全然違いました。でも私は言葉の勉強が大好きですから、だんだん日本語も好きになりました。日本語の授業は面白かったです。先生方の教え方は、私の国とは違いました。まるでゲームのように言葉や文を教えてもらいました。そして、だんだんスーパーの人や駅員さんと話すことができるようになり、本当うれしかったです。先生方に感謝しています!

水泳

1週間に1回、水泳の研修がありました。日本へ来る前に私は全然泳げませんでした。しかし、先生たちが厳しく指導してくれたおかげで、水が怖くなくなりました。そして息継ぎの方法や、手や足の動き方も教えてもらいました。

ホームステイ

生まれて初めて両親と離れて過ごすお正月でしたが、ホームステイで沖縄に行けると聞いてうれしかったです。沖縄は温暖な気候で、ホストファミリーの中本さんの家もとても明るく暖かい雰囲気でした。中本さん一家はとても親切でした。私は皆さんと首里城やちゅら海水族館などいろいろな所へ遊びに行きました。海も初めて見ました。沖縄のママ、まきこさんは私に着物を着せてくれて一緒に神社へ行きました。外国人である私が着物を着て、しかもサングラスをかけているせいでしょう。周りの人は私をじろじろ見ました。沖縄はとても楽しかったので、私は1000枚ぐらい写真を撮りました。

スキー

暖かかった沖縄の後、寒い新潟へスキーに行きました。タジキスタンは山が多くて、スキー場もありますが、一度も行ったことがありませんでした。私は弱視なのでスキーはできないと思っていましたし、タジキスタンには良いスキーの先生もいません。スキーの時、転んで骨折したらどうしようと思っていましたが、研修生にはそれぞれ先生が付いて教えてくれました。美保先生は細心の注意を払いながら教えてくれたので、私は一度しか転びませんでした。スキーの事は忘れられない思い出です。

個別研修

1.光友会

個別研修は神奈川県の光友会から始まりました。障害者の福祉施設をたくさん見学しました。日本の障害者の福祉制度や福祉施設を知るための導入として、とても勉強になりました。五十嵐さんに光友会の歴史と活動についてお話を伺い、光友会のことがもっとよく分かるようになりました。いろいろな障害のある人たちと一緒に仕事をする経験もしました。また、神奈川県内の盲学校も見学できました。

2.日本ライトハウス

次に、大阪の日本ライトハウスで研修をしました。DAISY図書の簡単な作り方と本の録音と編集のボランティアについて勉強しました。竹下さんからいっぱい大事なことを教えてもらいました。また、リハビリテーションセンター、神戸アイライト協会や盲導犬センターなどを見学しました。盲導犬センターではとてもいい経験ができました。タジキスタンには盲導犬がいません。目隠しして盲導犬と一緒に歩いてみましたが、犬がどうやって私を誘導してくれるのか分からなかったので初めはちょっと怖かったです。でも少し歩いてみたら、恐れは消えました。犬を信頼して任せればいいと分かったからです。犬は本当に賢くてプロフェショナルでした。

リハビリテーションセンターへ行った時、視覚障害の人たちにたくさん会うことができましたし、たくさんの友達もできました。皆さんはタジキスタンのことを知りませんでしたが、私と会ったことで私の国に興味を持ってくれました。週末は友達と一緒に大阪城やユニバーサルスタジオへ遊びに行きました。竹下さんには京都の古いお寺に連れて行ってもらいました。

3.DAISY研修

大阪の後は東京でDAISY研修が始まりました。毎日毎日、支援技術開発機構(ATDO)の事務所へ行きました。ATDOのスタッフはみんな、ユーモアにあふれていました。ATDOでは、DAISY図書の作り方を詳しく勉強しました。3週間の研修でいろいろなソフトを使ってDAISY図書の録音や編集をやってみました。私はDAISY教科書を日本の障害のある子供のために英語で録音しました。とてもいい練習でした。また、プレクスターの藤森さんからはDAISYポータブルプレイヤー(PTP)の使い方を教えてもらいました。

DAISY研修は、私にとって一番大事な研修でした。浜田さんと河村さんの指導のおかげで、DAISYがタジキスタンに必要なものだと分かりました。

4.沖縄県視覚障害者協会

那覇空港で、沖縄県視覚障害者協会の会長とスタッフの方々が私を出迎えてくれました。私の到着日と沖縄の梅雨入りが重なり、最初の一週間は雨が激しく降っていました。あんなに強い雨を見たのは初めてでした。ホテルから徒歩3分のレストランに行くのに、傘を差していてもびしょ濡れになるほどでした。

以前は、日本ライトハウスの研修が最もハードだと思っていましたが、沖縄での研修はそれ以上でした。しかし、スタッフの皆さんが私の研修をより有益で素晴らしいものにするために調整をしてくれたので、私もその気持ちに応えられるように頑張りました。渡口さんは自身の仕事や経験について、私に話してくれました。そして、一緒にいろいろな障害者施設を訪問しました。マッサージセンターで鍼灸を経験してみたり、ホストファミリーの中本さんが働いている沖縄盲学校も見学しました。私はタジキスタンの盲学校で働いているので、沖縄の盲学校のことが勉強できてよかったです。

沖縄の文化や歴史にも触れました。沖縄舞踊や三線を経験しました。そして、沖縄戦跡地に連れて行ってもらい、多くの人たちが犠牲になった悲しい戦争について知りました。沖縄の歴史がより深く理解することができました。

沖縄にはバリアフリーのダイビングショップがあり、私は初めてスキューバダイビングを経験しました。海はとてもきれいでした。良いお天気の日で、海の中のいたるところに色とりどりの魚が泳いでいました。素晴らしい気持ちでした。

沖縄はとても小さな島ですが、たくさん障害者の施設がありました。沖縄で本当にたくさんの経験をさせてもらいました。そのおかげで、沖縄は「たとえ障害があったとしても、やる気があれば不可能はない」場所だと分かりました。

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まとめ

日本の友達や仲間と別れることはとても寂しいです。1年の研修は短いと思います。でも、いつでも勉強はできますから、これからも勉強を続けて私の国の社会や政府の障害者への考え方を変えたいと思います。もちろんひとりでは何もできませんから、他の障害者の団体と一緒に政府と戦わなければなりません。

私はタジキスタンでDAISY図書を作って配るプロジェクトをしたいです。また、マッサージセンターを作りたいです。

日本で障害者福祉についてたくさん勉強して、いろいろな見学をしたおかげで、私にはこれからのアイディアがたくさんあります。私はがんばります。社会を変えるために!

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