Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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マイケル・ノア・ベティ・ディンのファイナルレポート

2009年9月31日、日本到着!

日本は大阪に到着したとき、たくさんの高いビルが見えました。びっくりし、また感激しました。翌日には、6カ国からやってきたほかの研修生全員と顔合わせし、ダスキン本社へ行ってダスキンのスタッフの皆さんに会いました。

日本語と日本語手話の研修(3カ月)

最初に日本語と日本手話を勉強し始めたときには、あまりに難しかったため、切り上げて母国に戻りたくなりました。しかし、何とかあきらめずに続けていたある日、日本手話が意外にも簡単にできるようになっていたことに気がつきました。しかし、問題は日本語の文字です。日本語を書くのは実に難しかったのですが、今では一部の日本語については前より楽に感じるようになりました。しかし日本語を書くのに何とか慣れたとはいえ、いまだに日本の人と会話するには日本手話を使いたいと感じています。

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ほかの研修生仲間

インド出身のアルティさんと私が毎日のように5人の(聴覚に問題のない)研修生に日本手話で話をしていたので、今では5人も日本手話がうまくなりました。

研修生仲間は毎日夕飯に一緒に出かけたくさんのことを語り合いました。日本語手話で意志疎通できたので会話には全く問題ありませんでした。

ホームステイ

2009年の年末には、北海道へホームステイに行きました。非常に寒く、雪も多かったです。私の国フィジーには雪がなく、それまで見たこともなかったので、たくさんの雪に驚きましたが、雪に触ったり遊んだりしておもしろかったです。私のホスト・ファーザーはスキーに連れていってくださいました。最初は滑れませんでしたが、お父さんがどうやって滑るか教えてくれたので最終的にはうまく滑れるようになりました。そして、元旦には家族でお参りしました。たくさん人が来ていて、熱心に祈っていました。

スキー研修

新潟にはスキー研修にいきました。北海道で行ったところと違って、新潟のスキー場はずいぶん急でした。スキー場のスタッフの人たちはプロで、右に曲がったり左に曲がったりするにはどうしたらいいか、など滑り方を教えてくれたので、最後には非常に上手いスキーヤーになったような気分にさえなりました!オリンピックに参加した日本のスキー選手にも多分勝てるでしょう。冗談はさておき、スキーがうまくなったことで、ずっと新潟に滞在したい気分になりました。

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日本での研修

1.日本のろう協会

日本ではいくつかの県のろう協会で、私の所属するフィジーのろう協会をどのように改善したらよいかを学ぶことができました。日本ではたくさんのろう協会があって驚きました。福岡、沖縄、東京で、フィジーろう協会にどのような改善余地があるかを学びました。また、研修のほとんどの時間、手話通訳者を介したコミュニケーションのあり方について学びました。将来は手話通訳者とともに発展していく方法を探りたいと思っています。

2.日本のろう学校

日本にはろう学校もたくさんあります。また、日本のろう学校には多くのろう、および難聴者の学生がいます。私が思うに、ろう学校の教師は手話が堪能とは言えないので、ろう学校の多くの学生は日本語対応手話を使っているようです。しかし、手話の使用を禁止していた時代があったことを考えると、状況は改善されていると感じました。いちばん感銘を受けたのは、明晴学園です。学生のみならず、先生方もみな手話が上手でした。ほかのろう学校に比べても手話のレベルが高いと感じました。明晴学園では、生徒たちにフィジーの手話を教えました。私と手話で会話するのを楽しんでくれたようでした。

3.日本の手話通訳者について

世田谷福祉専門学校で手話通訳者の養成について学びました。日本には手話を学んでいる学生がたくさんいます。そして、その多くが女性です。世田谷福祉専門学校では、1クラスに40名ほどの学生が在籍していましたが、教室の中に男性は私一人だけということがあり、とても恥ずしかったです。

私が驚いたのは、学生たちの手話を学ぶ姿勢です。学生は自身の日本手話の力を向上させようと私にどんどん話しかけてきました。学生の中には、片道2時間かけて通学している人もいました。彼らは、きちんと手話を学ぶことが重要であり、通学にかかる時間は問題ではないと話してくれました。

帰国後、手話通訳者の養成に力を入れたいと考えていた私は、日本とフィジーにおける手話を学ぼうとする人たちのモチベーションの違いにショックを受けました。今のフィジーには毎日遠方に通ってまで手話を学ぼうとする人はいないでしょう。フィジーで手話通訳者を養成する場合、その状況に合った方法を考えなければならないと思いました。

3か年計画~より多くの手話通訳者の養成を目指して~

手話通訳者を養成し、そして手話通訳者が活動できるためのシステムを作るために、私は3か年計画を考えました。

世田谷福祉専門学校のように、手話通訳者養成のための学校を首都のスバに開校します。新聞広告を使って学生を募集し、フィジーの様々な地域から手話に興味を持っている人を集めます。養成校は3年制です。そこを卒業した学生は出身地に戻り、各地で手話通訳者派遣ができるような組織作りをしてもらいます。手話通訳者が必要なろう者は、フィジー全土にいます。養成校はスバにありますが、フィジーのどこに住んでいても手話通訳者にアクセスできる状況を作りたいです。

私の計画の中で重要なのは、手話通訳者の養成のみならず、手話通訳者が活動するためのシステム作りを同時並行で進めることです。1年目は、文部省や学校を訪問し、手話通訳者の必要性を説きたいと考えています。たとえば、教育の現場における手話通訳サービスが制度化できれば、ろう者が地域の学校にインクルージョンすることも可能になります。

2年目には、システムを運営するための資金作りに関する活動を始めます。教育省だけでなく社会福祉省などへの働きかけを行います。

3年目には手話通訳者の養成は上級クラスに入ります。そこで、手話通訳者の設置のための準備を始めたいと思います。高等学校やろう協会に専従手話通訳者を雇い入れるよう働きかけ、学校やろう協会でいつでも手話通訳サービスが利用できるようにします。

この計画が実現できるよう、頑張ります。日本の皆さんにもご助力をいただければと思います。

  手話通訳者の養成(学校) 手話通訳者のためのシステム作り
2011 初級クラス開始 手話通訳者に関する啓発活動
・教育省
・学校(小~高等学校)
2012 中級クラス開始 運営資金獲得のための交渉
・教育省
・社会福祉省
2013 上級クラス開始 手話通訳者の設置
・フィジー各地の高等学校
・フィジーろう協会

まとめ

本研修を実してくださった広げよう愛の輪運動基金の皆さん、そして日本障害者リハビリテーション協会の皆さんに、研修中いつも支えてくださったことを感謝申し上げます。この研修のおかげで、フィジーろう協会の発展とろう者の生活の質の向上に寄与するために必要な知識や経験を得ることができました。改めて、ご支援とご親切に心から感謝申し上げます。皆様のことが懐かしいです。

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