日本での虹色の経験
去年の8月30日の早朝、私は大阪の関西空港に到着しました。10ヶ月間の研修と新しい経験を楽しみにして日本へ来ました。それは日本での私のバラ色の始まりでした。
9月1日に素敵な開講式に出席しました。みんなは民族衣装を着ていました。それぞれとてもきれいでした。認定書をもらうとき、私は光栄で、嬉しかったです。「これから頑張ろう」と思いました。
9月5日に、私のきらきら研修が始まりました。
日本の秋の黄色い日差しのなかで日本語を勉強しました。先生たちはプロで、創造的で、ユーモアがありました。ですから、集中講義でしたが、いつも教室で楽しい会話、ゲーム、冗談を話しました。先生の教え方は分かりやすくて、研修生の障害によって違いました。例えば、ほかの研修生に絵を見せるとき、私は見えないので、言葉で説明を受けたり、本物を触ったりして、理解しました。ですから、私は面白い日本語だけではなく、日本語の教え方も習うことができました。
毎週のレポートを書いたり、リハ協のスタッフやほかの日本人と話したり、何回もおかしい間違いをしたりして、私の日本語はだんだん上達しました。そして、12月に日本語能力試験に合格しました。先生、いろいろお世話になりました。
私は障害者の教育に興味がありますから、個別研修でさまざまな学校と学生支援センターで研修しました。
1月16日に平塚盲学校で個別研修が始まりました。そこでは、数学や理科、社会などのいろいろな授業に参加しました。すべての授業は実用的で、わくわくするような実習がたくさんありました。なかでも最も有益だったのは、視覚障害者に対する教育の本質について学んだことです。例えば、すべての教材は手で触れるものでなければなりません。学生はいろいろな物を手で触って、理解ができるようになるからです。
桜がきれいに咲いていたころ、筑波技術大学に行きました。日本の障害者の歴史と福祉サービスを習ってから、ベトナムの見えない学生を教える先生とボランティアのための研修プログラムを作りました。視覚障害者のスポーツを学んで、大学の体育館でサウンドテーブルテニスを体験しました。
そこでもいろんな特別な施設を見ました。大学の前の信号は白杖を見ると、信号の色をしゃべります。学校の食堂では、扉を開けると、ある機械はメニューを読み上げます。とても賢い機械たちです。
ベトナムの障害のある学生の先生とボランティアの能力開発という私の夢の実現を手伝ってくださり、筑波技術大学の先生方に感謝します。
神奈川県の光友会と浦和大学と大阪の日本ライトハウスで障害者の教育と福祉制度について学びました。私は点字図書館、点字出版社、リハビリテーションセンターと職業センターと特別支援学校に行きました。
横浜市立盲特別支援学校には、見えなくて知的障害のある生徒がいますから、本物を使ってコミュニケーションをとります。たとえば、スプーンを見せると「昼食の時間」、硬貨を見せると「経済の授業」とわかるようになります。
京都府立盲学校では、昔は点字がなくて、背中に漢字を書いていたそうです。今、点字を使うようになって、日本の視覚障害者の教育は発展しました。
大阪の蛍池小学校には見えない生徒が一人いますが、ボランティアさんは点字の本をたくさん作ってあげたり、担任の先生はサポートをしたりします。そこではインクルーシブ教育の実践例を見ることができました。
それから、ふれあいの里どんぐりで、盲ろう者の生活と触手話や指点字などのコミュニケーション方法を習いました。
すべて面白くて、印象的でした。それぞれの研修場所から、障害者の生活と社会についての観点を変えるための様々なアイデアが浮かびました。
5週間、支援技術開発機構(ATDO)でDAISYの技術を習いました。私はオーディオとマルチメディアDAISYを作りました。それはベトナムの障害者のための教科書を作ろうという気持ちにさせました。勉強が終わってから、ATDOのスタッフと一緒に植物園でピクニックしました。とても楽しかったです。
研修だけではなく、日本の文化も体験しました。私にとって、日本のイメージはお茶の緑です。そして、日本は安全で、フレンドリーな国ですから、この平和の色を付けます。
私は家族から離れていますが、岐阜の吉田さん宅で家族の一員のようにお正月を過ごしました。伝統的な料理を食べたり、折り紙をしたり、京都の八坂神社に行ったりしました。
大阪と京都で研修した時、私のホストファミリーの清水さんと竹下さんは箕面公園や嵐山、いろんなお寺に連れて行ってくれました。
嬉しいことに、私は2回も着物を着せてもらって、写真を撮りました。
どこへ行っても、日本人はみんな優しくて、丁寧で、親切です。私が大好きなのは、味噌汁の味、繊細で美しい日本の美術、障害者に対する好意的な態度です。
いろいろな経験をしてみて、日本の文化は世界で一つだけだと思います。
私は何回も自分の怖いという気持ちと消極的な性格と戦って、楽しく新しい体験をしました。初めて自分で白杖を持ってスーパーに行き、無事に帰ってきました。それが日本での自立の始まりでした。
最初の3ヶ月間、1週間に1回、水泳を練習しました。初めはすごくこわかったですが、水泳の先生はプロなので、忍耐強く教えてくれました。何週間か過ぎて、水の中で呼吸ができて、2、3メートル泳げました。今、水は友だちになりました。ぜんぜん怖くないです。
次に、スキーについて話さないわけにはいきません。私の先生はスピーカーを使って、右とか左と言いました。私は後ろからついて行きました。リフトに乗って、山の頂上から雪の降る中を、白いカーペットの上で滑って、すごくいい気持ちでした。スキーができて、ほんとうに幸運でした。
ほかには、タンデムサイクリングやソフトボール投げなどのスポーツを体験しました。どれも楽しかったです。ベトナムの障害者に紹介したいと思います。
この研修は私の将来に希望の青をつけました。国に帰って、10ヶ月間に受けた知識と技術を使って、見えない学生のための施設とサービス支援というプロジェクトをやりたいです。そして、仲間といっしょに日本の大学みたいに障害学生支援センターを作りたいです。ベトナムの障害者の教育の状況を変えるために、自信を持って頑張ります。
ダスキン愛の輪基金は、それぞれ異なる障害を持つ人の相互理解を推し進めており、障害者の人権の確立も支援してきてくださいました。日本の障害者の人たちの意志の強さ、忍耐、そして社会を変えるための運動と戦略には大きく感銘を受けました。また、日本で学んだことにより、障害者であっても必要なサポートがあれば何でも望むことを実行できるのだということを学びました。この素晴らしい研修の機会を与えてくださったスポンサー、コーディネーターの方々、知識とスキルを伝達してくださった先生方、あふれるほどの優しさと愛情をもって接してくださったホストファミリーの皆さん、そして私を親切にサポートしてくださった私の日本の友人の皆さんに、心から感謝の気持ちを表したいと思います。ダスキン愛の輪基金は、これから旅をはじめる私に大きなインスピレーションを与えてくださいました。