Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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サファデヴァ・ラミチャネのファイナルレポート

ネパールのろう者に必要なもの

1.はじめに

私は先天性のろう者として生まれました。家族の中でろう者は私だけでしたので、両親や兄弟とコミュニケーションを取るのは困難でした。学齢期に入り、地元にある小学校に入りました。しかし、ろう児は私一人だけでした。私の障害に配慮した授業は行われなかったので、勉強はまったく理解できず、いつも一人ぼっちでした。私は小学校を退学し、一日中家で過ごすようになりました。そんなある日、私の父が街中で成人ろう者を見かけました。父はその人に私のことを話し、彼を家に招きました。彼と初めて会った時、それは手話との出会いでもありました。手話をまったく知らなかった私は、彼の手の動きを訝しげに見つめるばかりでした。彼は自宅に数人のろう児を集めて、手話や簡単な読み書きを教えていたので、私もそこに通うようになりました。手話を学ぶようになると、自分の考えや気持ちを伝えられる手段を得たことに喜びを感じました。その後、私の街にろう学校が開校されることになり、私も第1期生として入学しました。同級生のろう児たちと手話でおしゃべりができ、学校生活はとても楽しかったです。すべての授業は手話で実施されました。手話に堪能ではない教師もいましたが、手話で説明されることで、私たちは学習内容を理解することができました。

2010年、カブレろう協会から、この研修事業の情報をもらいました。研修生に選ばれたときは本当に嬉しかったです。そして、2011年8月末に来日しました。

2.日本での研修

1)驚いたこと

来日直後は、日本の技術力に驚かされました。天高くそびえたつ高層ビル群、高速で変わっていく新幹線の車窓には、疲れも忘れて見入ってしまいました。

そして、食文化の違いにも驚きました。ネパールとは使用する食材も味付けも異なり、戸惑うことも多かったです。しかし、日本の友だちが勧めてくれるので、どんな料理にもチャレンジしました。最初は口に出来なかった刺身も、今では好物の一つです。

私が最も驚き、同時に感激したことは、街でろう者をたくさん見かけることでした。ネパールは丘陵地が多いせいで、行動範囲が限定されてしまいます。ですから、街の中で出会うのは顔見知りのろう者ばかりでした。

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2)スキー研修

私たち13期生は、新潟でスキー研修を受けました。スキーの経験は、忘れられない幸せな思い出の一つとなりました。私のコーチは2人いました。一人は難聴のコーチで、少し手話ができたので、手話を使って話をしました。もう一人の先生は手話ができませんでしたが、ボディランゲージでコミュニケーションを取ることができました。2人の先生のおかげで、上手に滑れるようになり、スキーが大好きになりました。これから毎年、2人の先生と一緒にスキーに行けたらいいのにと思いました。

3)個別研修

①パソコン研修

1月に、内田先生からパソコンを習いました。先生は私と同じろう者で、イラストや写真をふんだんに盛り込んだテキストを使いながら、手話で指導してくれました。ネパールでパソコンを学んだ時は、聴者講師の授業を、手話通訳者を介して受講しました。その時は、小さな文字だけが羅列されたテキストを読むのが苦痛で、また質問をしたくても遠慮してしまうことがありました。しかし、内田先生には疑問があれば何でも聞くことができましたし、ろう者に合ったテキストが準備されていたので、一人で復習することもできました。コンピューターに関する知識がほとんどなかった私が、基本的なスキルを習得することができたのは、内田先生の指導のおかげです。ネパールにも専門的なスキルを持ったろう者のパソコン講師が必要だと感じました。

②プレゼンテーション研修

2月には、日本ASL協会でプレゼンテーションについて学びました。効果的なPPTやその他の資料の作り方や、発表時の姿勢や話し方などを教えてもらいました。高草さんに指導していただきながら、夜遅くまで準備をしたり、何度も練習したりしました。研修の最後に、観客を前に発表会を行ったときは緊張しましたが、達成感がありました。日本ASL協会での研修を通して、人前で話をする時に気を付けることや、分かりやすく情報を伝える方法が分かりました。

③大阪聴力障害者協会

3月に東京を離れて、大阪に行きました。大阪聴力障害者協会での研修で、ろう者の就労、ジョブコーチ、ろう運動、そして、ビデオライブラリーの4つが特に印象深かったです。

日本のろう者は、さまざまな職業に就いています。私は、会社でコンピューターを使った仕事や、クッキー作りをしているろう者に会うことができました。クッキー販売では、ラッピングにも工夫が凝らされていました。ネパールでもお菓子を作って売っているろう者はいますが、売り上げがなかなか伸びないようです。味はもちろんですが、見た目にも楽しい商品に仕上げることが大切だと感じました。

ジョブコーチ制度は、私にとっては新しい概念でした。職場でろう者が問題を抱えている時、逆に職場の人たちがろう者への対応を困っているときなど、ジョブコーチはろう者だけでなく事業所の人たちの支援も行います。その結果、雇用されているろう者も事業所の人たちも安心して仕事をすることができます。

大阪は、昔からろう運動が活発で、さまざまな成果を遂げている地域だと聞いていました。実際に、大阪のろう運動はパワフルで、よく組織されていました。ネパールにもろう運動はありますが、その活動はあまり効果的ではないと感じています。大阪ではまず、会議をしっかりと行っていました。参加者全員が、積極的に発言している姿が印象的でした。丁寧な話し合いを経て、信頼関係ができているからこそ、団結力があり、運動が成果に結びついていることが分かりました。

ビデオライブラリーには、様々な本やビデオ、DVDがありました。ビデオやDVDには、字幕や手話のワイプが入っています。それらはライブラリーで見ることもできますし、自宅に送ってもらうことも可能です。またDVDなどの映像は、次々と新しいものが作られていました。ネパールのビデオライブラリーは、新作の映像がなかなか制作されず、貸し出しも禁止されています。日本では、ろう者が新しい情報を得られるよう、しっかりしたシステムがあります。

④京都市聴覚言語障害センター

4月から5月にかけて、京都市聴覚言語障害センターといこいの村で研修をしました。そこで初めて盲ろう者に会いました。触手話を習い、私もやってみましたが、きちんと通じた時は嬉しかったです。「ネパールにも盲ろう者は絶対にいる」と言われましたが、私はまだ会ったことがありません。ネパールに戻ったら、盲ろう者を探し、彼らの支援も行いたいと考えるようになりました。

いこいの村では、高齢ろう者と一緒に過ごし、介助にも挑戦しました。食事や入浴の介助や身の回りのお手伝いなど、全てが初めての経験だったので、上手に出来たときは、ほっとしました。また、皆さんと一緒に農作業も経験しました。耕運機で土を耕した後、断面が円形になった棒を使って、畑に等間隔に穴をあけ、その中に種を植えていきます。こうすれば、手早く、そしてきれいに種を植えることができます。ここで収穫された野菜は販売も行っていました。ネパールでも農作業に従事しているろう者はいますが、その多くは、家の畑の作業を手伝っているにすぎません。いこいの村のように、ろう者を集めて農作業を行い、収穫した野菜を売るというのも、ろう者の仕事として成り立つのではないかと考えました。ネパールでは、仕事がないため、家に閉じこもっている若いろう者がたくさんいます。高齢にも関わらず農作業に汗を流している、いこいの村の仲間たちの姿を、ネパールの若いろう者に見せてあげたいと思いました。

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3.ネパールのろう者に必要なもの

日本でのさまざまな研修を通じて、ネパールのろう者に必要なものは何かを考えました。それは、「情報」と「熱意」だと思います。日本は字幕や手話のついたビデオやDVDをレンタルすることができ、字幕や手話が付いているテレビ番組もあります。それらは、ろう者の知識を広げ、ろう者の社会進出にも影響を与えていると思いました。

また、ろう運動の現場で見た「熱意」も、ネパールではあまり見られないものです。私にも経験があることですが、最初は熱気にあふれた活動を展開していても、その成果がなかなか現れないので、あきらめてしまうのです。しかし、今の日本の制度は長年にわたる運動によって少しずつ成し遂げられたのだと聞きました。私たちも変化を信じて、根気強く活動を続けることが大切だと思いました。

4.帰国後にやりたいこと

帰国後すぐに私がやるべきことは、日本で学んだことを仲間に伝えることです。その時は、パソコン研修でもらったテキストのように、イラストや写真を使った資料を作り、プレゼン研修で学んだことを思い出しながら、説明をします。

日本のみならず、ネパール国内外の動きも知らせていきたいです。先に書いたように、ネパールのろう者は情報が不足しています。ろう者には手話による情報配信が適切だと思いますが、丘陵地や山が多いネパールでは、一度にたくさんの人を集めるのが大変です。ネットの動画配信などの新しい技術も活用して、できるだけ多くの人が情報に触れられるように考えたいです。海外のろう者の活動事例は、ネパールのろう者を発奮させると期待しています。

情報を伝える時に気を付けたいのは、相手の気持ちを考えながら話すことです。独りよがりにならないように、仲間がどんな気持ちでいるかを常に想像します。

ネパールのろう者が、容易に「情報」が得られ、「熱意」を持って、活動や仕事に従事できる日を目指して、私もがんばります。

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5.お礼の言葉

ダスキン愛の輪基金の皆さん、そして日本障害者リハビリテーション協会の皆さんに心からお礼を申し上げます。皆さんのサポートに支えられ、全ての研修を終えることができました。とくに、研修中に私が十分な知識が得られるよう、手話通訳をしてくださった那須さんにお礼を言いたいです。

親愛なる13期生の皆さんとの楽しい思い出、そして、日本の皆さんから学んだことは決して忘れません。

皆さんのご多幸をお祈りしています。

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