新しい人生が始まります
名前はチェアボパです。カンボジア人です。2011年8月30日、ダスキン13期生として日本へ来ました。初めの3か月間、日本語を勉強しました。日本語の文法は難しかったですが、先生たちの説明は分かりやすかったです。3ヶ月後、日本語が話せるようになりましたが、あまり上手ではありませんでした。
お正月に、高知県の樋口恵子さんの家でホームステイを体験しました。私のホストファミリーはとてもやさしくて、親切な人でした。私に日本の文化と、日本の料理の作り方を教えてくれました。よく一緒に買い物をしたり、遊んだりしました。動物園やサーカス、神社にも行きました。とても楽しかったです。家はきれいで、便利でした。例えば、2階へ行くとき、リフトで昇ります。家の近くには、畑と山と海がありました。とてもきれいでした。
新潟で2日間、スキー研修をしました。雪がいっぱい降って、とても寒かったです。スキー用の厚い服をたくさん着たので、大変でした。
スキーは初めてでした。研修前に障害者はどうやってスキーをするか全然わかりませんでした。大変だと思って、ちょっと心配しました。
私はバイスキーに乗って、先生と一緒に練習しました。雪の山の一番高いところから、ジグザグに滑りおりたり、デコボコした斜面の上を滑ったりしました。初めての日はとても怖くて、スキーのコントロールが難しかったです。でも、何回も練習しましたから、だんだん上手になりました。
山を登るとき、リフトに乗りました。リフトから下を見たり、雪で白くなった木や山を見たりして、夢の中みたいだと思いました。とても楽しかったです。雪は初めてみましたが、とてもきれいでした。
2日間の経験から、スキーはどんな障害のある人にもできるスポーツだと分かりました。どんな時も専門的な知識や技術を持った人のサポートはとても大事です。
私は自立生活について勉強しました。この中でピアカウンセリング(以下、ピアカン)や自立生活プログラム(以下、ILP)や権利擁護について習いました。私は、ヒューマンケア協会、CIL東大和、CIL北九州、夢宙センター、メインストリーム協会、CILイルカ、CIL希輝々へ行きました。個別研修では、ワークショップとピアカンとILPが大好きでした。
ヒューマンケア協会でピアカンを勉強しました。とてもよかったです。ピアカンには、大切な3つの目的があります。
日本で勉強する前、私はピアカンをよく知らなかったので、ピアカンは大切ではないと思っていました。ピアカンのセッションの中で、自分のこと、例えば、障害のことや悲しいことや失敗のことや話して、例えば、笑うとか、泣くとか、怒るとかの気持ちを出します。私は自分のことを話すのがあまり好きではなかったので、気持ちを出すとき、恥ずかしくて、とても大変でした。でも、今はピアカンのことが全部わかるようになって、大好きになりました。
関西にある、自立生活夢宙センターと、メインストリーム協会で研修したとき、とても楽しかったです。研修だけではなく、よく一緒にみんなでごはんを食べたり、遊んだり、たくさん話したりしました。これはバリアフリーチェックと、仲間の作り方の練習になりました。関西の人はとても楽しい人ばかりでした。楽しい研修でしたから、私は「たくさん話すことが好きな人」になりました。日本へ行く前に話すことがぜんぜん好きではなかったです。
自立生活夢宙センターとメインストリーム協会と沖縄のCILイルカで研修した時、体験室に泊りました。自立生活プログラムとして、自分で料理を作ったり、洗濯したり、掃除したり、買い物したりしました。そして介助者の使い方を練習しました。楽しくてよかったです。
私は10歳まで歩くことができました。ある日重い病気になって、障害者になりました。障害者になってからは、どこかに行きたくても、バリアがたくさんあったので、あまり外へ出かけなくなりました。自分の障害が、とても恥ずかしくて嫌いでした。私は家族にとって「問題」だとも思っていました。毎晩いろいろなことをたくさん考えて、悲しくなって、泣きました。その頃、私の気持ちはいつも暗くて、生活も楽しくなかったです。
2009年、ダスキン8期生のサミスさんとプノンペン自立生活センターを作って、働き始めました。最初の1年位の間は事務所に泊って、自立生活の練習をして、そのあとアパートでひとり暮らしをしました。仕事を始めてから、気持ちはすこし明るくなりましたが、まだ障害を恥ずかしいと思っていました。そして、障害者の生活には大変な問題がたくさんあると考えていました。
日本に来て驚いたのは、障害者と健常者の生活が同じだったことです。障害者のためにバリアフリーがあります。電車、バス、エレベーター、エスカル(階段昇降機)など、障害者にとって便利なものがたくさんあります。障害者はどこへでも行くことができて、とても楽しい生活をすることができます。
日本に来るまで、「障害があるから、いろいろな問題が起こる」と考えていましたが、日本で研修をして「社会の環境が良くないから、問題が起こる」ことがわかりました。「障害」に対する考え方が180度変わった今、私は新しい人になりました。まず、自分の障害が大好きになりました。たくさん話すようになって、考え方も変わりました。いつも楽しくて、いつも笑って、いつも幸せな顔をしています。
日本とカンボジアの生活はぜんぜん違います。カンボジアでは障害者のための障害者の制度、たとえば、手帳、年金、介助者サービス、ガイドサービス、へルパーサービスなどがありません。なにもないので、障害者はとても大変です。私は障害者と障害のない人の生活が同じになるように、社会を変えたかったですが、どうすればいいか全然わからなかったです。でも、日本で勉強して、たくさんのヒントをもらいました。
プノンペンCILで働いていたとき、経験があまりないので、事務所の仕事をたくさん手伝うことができませんでした。でも、私は日本でCILについて研修したり、またリーダーシップやコミュ二ケーション、仲間の作り方を勉強したりしました。今の私には、経験と自信とパワーがあります。
国へ帰ったら、プノンペン自立生活センターに戻って、仕事をもっともっとがんばります。そして、自分の好きなピアカンとILPを担当したいです。もっと仲間を作って、みなさんと一緒にたくさん障害者運動をしたり、バリアフリーチェックをしたり、デモンストレーションをしたりします。私たちは、カンボジアの未来を変えることができます。私は必ずやります。
日本に来る前の私は、経験や自信がなくて、人生が暗かったです。日本で生活した10か月で、私の人生が変わりました。これから私の人生はどんどん明るくなります。ダスキン愛の輪基金の皆さんと先生の皆さんと研修先の皆さん、どうもありがとうございました。那須さんは私のいいコーディネーターでした。
皆さん、本当にありがとうございました。