Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ユーイー・リムのファイナルレポート

サムライ
~経験をして強くなりました~

1.はじめに

私はマレーシアから来た、リムユーイーです。今、29歳です。私は視覚障害者です。マレーシアの盲人センターで働いていました。10カ月間、日本でいろいろな経験をして、新しい知識を学びました。

私のレポートのタイトルは「サムライ」です。私は子供のころから日本のアニメがとても好きです。アニメの中で侍はとても強く、立派な人物として描かれています。ですから、私はサムライを選びました。

2.日本の印象

日本はどんな国かと尋ねられたら、私はまず、「安全だから、ドアをロックしないで、出て行くことができる」と答えるでしょう。夜に出かけても大丈夫ですし、ポケットにお金を入れて歩いていても盗まれる心配がありません。そして、日本人はとても親切です。日本人の家にはお風呂(浴槽)があります。家に入る時は、靴を脱いでスリッパをはきます。

日本人はとても礼儀正しいです。例えば、朝の挨拶は「おはようございます」と言って、お辞儀をします。日本人は時間に厳しく、約束の時間に遅れることがありません。

日本人は箸を使うことが上手です。日本の水道水は飲むことができ、しかもとてもおいしいです。私の国と比較してみると、マレーシアでは中国系のレストランや屋台にしか箸はありません。そして、マレーシアの水道水を飲んだら、お腹を壊してしまうでしょう。

日本は点字ブロックがあるので、視覚障害者にとって便利です。そして、車いすでどこでも行くことができます。

3.日本の経験

(1)日本の1番すきの食べ物

日本の食べ物で一番好きなものはてんぷらとみそ汁です。味噌汁は毎日飲んでいました。ホームステイの時、お母さんが作る味噌汁にはたくさん野菜が入っていておいしかったです。そのほかにも、お好み焼き、ラーメン、天丼、唐揚げ、チャーハン、玉子丼、餃子、肉まん、焼きそば、タコ焼きも好きです。日本のお茶も大好きです。

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(2)日本語

日本語は10カ月の研修のためにとても大事でした。日本語の先生は、大切な単語やフレーズ、文法などを教えてくれました。日本語は私にとって、全くなじみのない言語でしたが、日本語の大切さを私はよく分かっていました。研修の時も、日本人のとのコミュニケーションにも、友達との会話にも、日本語は広く使われているからです。例えば、ホームステイの時、お母さんとお父さんは英語が分からないので日本語で話しました。パソコンを勉強する時も、パソコン上の言葉は全て日本語でした。研修の先生やリハビリテーション協会のスタッフとも日本語で話しました。分からない言葉があったら、やさしい言葉で教えてもらいました。

(3)時間

日本人は時間にとても正確です。10時に友達と約束をしたら、日本で私は9時55分には友達と会いました。マレーシアにいる時の私だったら、10時20分にようやく到着していたでしょう!ダスキンの研修生は毎日勉強があります。だから遅刻はよくないです。私はたくさん早く行く練習をしたので、今は時間どおりに行動することに慣れました。その結果、私は遅刻をしなかったので、研修の時は役に立ちました。

電車に乗る時も時間は大事です。例えば、ホームステイの時、お父さんとお母さんは「ユーイー君、明日8時半に神社へ行きますよ」と言いました。でも8時半には、すでに電車に乗って神社に向かっていました。

(4)ホームステイ

ホームステイは日本に来てから初めての経験でしたが、とても素晴らしかったです。ホームステイの時、私はとてもお茶が好きになりました。お父さんが茶室で入れてくれたお茶は、とてもおいしかったです。私はお母さんとお父さんとお兄さんと一緒に神社やスーパー、公園へ行きました。とても楽しかったです。お母さんとお父さんとお兄さんはとても親切ですから、私の気持ちはいつも和らいでいました。私は日本語が上手ではなかったので、お母さんとお父さんとお兄さんはゆっくり優しい日本語で話してくれました。ホームステイはお正月だったので、とても寒かったです。夜は凍えるような寒さでしたが、それでも楽しかったです。

(5)グループ研修~研修生から学んだこと~

グループの勉強ではたくさんの経験がありました。特に、異なる障害のある人と一緒に勉強するのは初めてでした。例えば、私はビンユーさんから車いすのことを習いました。今、私は上手に車いすを押すことができます。アシュファッグさんとレイモンドさんからは、手話を習いました。一番大切な手話は「トイレ」でした。知らない場所でも、その手話を使えば、2人がトイレまで案内してくれました。みんなと一緒にお風呂に入る経験も初めてでした。一緒に晩御飯も食べました。忘れられない経験は、1週間兵庫にいた時、みんなで一緒に晩御飯を作ったことです。

(6)個別研修

5ヶ月間色々なところで、いろいろなことを勉強しました。私は福岡県、静岡県、大阪府、兵庫県、そして京都府へ行きました。東京のいろいろなところも行きました。自分で電車に乗って、研修に出かけることもありました。浜松のウイズでは白杖を作る勉強をしました。ATDOでは、daisyを勉強しました。福岡のあいずでいろいろな視覚障害者の福祉を勉強しました。コンピューターの勉強もしました。高田馬場にある日本点字図書館でサピエのホームページについて勉強しました。大阪では、盲導犬の勉強をしました。そして、歩行訓練の勉強もしましたから、今自分で歩くことができます。

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4.強くなったユーイー

私は9カ月でとても強くなりました。例えば、日本へ来る前、大勢の人の前で話すのは、とてもどきどきしました。でも、今は大丈夫です。6月15日の発表会の時も緊張しませんでした。

マレーシアでは、一日に何回もたくさん食べ物を食べていました。でも日本へ来てから、1日に3回だけ食べます。お腹がすいたら、いっぱいお水を飲みます。

そして、私は怒りっぽい性格でした。でも、今私はコントロールできます。日本語を勉強していた時、私は早く覚えることができませんでした。でも先生は怒りませんでした。「ユーイーさん、ゆっくり覚えれば、できますよ」と話しました。ウイズで白杖を作る時も、斯波さんは「急がなくていいよ。ゆっくり作ってください」と言いました。そして、私はきれいな白杖を作ることができました。マレーシアにいた時、私は何でも早くできた方が良いと思っていました。でも今は、ゆっくりでも着実にやればいいと分かりました。

5.国へ帰ってからしたいこと

国へ帰ったら、まず盲人センターの仕事に戻ります。週末は、ボランティアで視覚障害者にコンピューターを教えたいです。そして、盲人協会を訪問してもらえるよう、マレーシアのいろいろな会社に手紙を送ります。会社の人が盲人協会に来たら、私は視覚障害者がどんな勉強をしていて、彼らがコンピューターを使うことでどれだけ会社に貢献できるかを説明します。マレーシアの会社の人たちは視覚障害者のことを全然分かっていません。盲人協会で視覚障害者に会えば、会社の人はよく分かると思います。

次に、7人の仲間を探して、視覚障害者のスポーツセンターを作りたいです。スポーツセンターを作る時、アクセサビリティをよく考えます。そうすれば、初めは視覚障害者のためのセンターですが、あとで色々な障害のある人も使うことができます。スポーツだけでなく、コンピューター研修や職業訓練、盲ろう者の研修もセンターの中でします。

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最後に、私はリーダーになりたいので、視覚障害者の福祉をたくさん勉強したいです。色々な国へ行って、視覚障害者のことを勉強したいです。また、いろいろな会社を訪問して、彼らの視覚障害者に対する誤解を正すこともしたいです。

6.さいごに

ダスキンの研修はとてもよかったです。私は日本でいろいろなことを勉強しました。私はたくさん経験をして、たくさんのアイディアをもらいました。10ヶ月間、ダスキンは、私たちをいつもサポートしてくれました。ダスキン愛の輪基金の皆さん、どうもありがとうございました。日本語の先生、個別研修の先生、そして、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。

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