Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

プロフィールに戻る

ウー・ジョンハンのファイナルレポート

人生の転機

自己紹介

台湾出身のウージョンハンです。私は難聴者です。4人家族で、両親と妹1人がいます。

社会人となり、政府の契約職員として2年ぐらい働きました。その後、約1年半、オーストラリアとアイルランドでワーキングホリデーをして、色々なところへ旅行したり、外国人と交流したりしました。その頃の私は、障害者に関する知識はあまりなかったです。2009年台北デフリンピックのオリエンテーリング選手だったので、ろう者のことは少しだけ知っていましたが、国際手話も台湾手話も全然分かりませんでした。聴者文化の中で育った私のコミュニケーション手段や考え方は聴者と同じでした。その後、台湾のろう協会で働く聴者の友達から勧められ、この研修に応募しました。障害のある人に関わる研修を本格的に受ける…これが私の人生の転機になりました。

日本語と日本手話

来日前、一ヶ月ほど日本語の塾で勉強したので、日本で手話を学ぶ必要はないと考えていましたが、それは甘い考えでした。聴者との会話では日本語を聞いてもよく分かりませんし、手話は全く理解できませんでした。私は大きな挫折感を味わいました。

三ヶ月間、日本語の先生たちは大切な単語、文法や作文などを教えてくれました。手話の授業は楽しいだけでなく、重要な知識も得られる内容でした。手話に興味を持ち始めた私は、手話で交流する機会が増えました。日本のろう者や通訳者と手話で通じ合えることが、本当に楽しかったです。

ホームステイ

年末年始には青森県の古川さんのお宅でホームステイをするという素晴らしい経験をしました。聴者の世界で生きてきた私にとって、ろう者の家族と一緒に過ごすのは初めての経験です。古川さんご一家も私も、コミュニケーション面が不安でしたが、手話が問題なく通じ、私たちの心配は杞憂に終わりました。

ホームステイ期間、家族と一緒に料理を作ったり、青森県のきれいな雪景色と観光名所に連れて行ってもらったりしました。新年には家族と友達と一緒に、日本のお正月を味わいました。古川さんのお嬢さんは手話とスケートを私に教えてくれ、まるで兄妹のように一緒に遊びました。最後に、古川さんからプレゼントと手作りアルバムをいただきました。私は本当に感動しました。

ホームステイでいっぱい良い思い出が出来ました。家族は本当に親切で友達のようでした。私はホームステイを忘れることはできません。古川さんご一家と会えて、とても幸せでした。

写真1

日本での個別研修

ななふく苑

ななふく苑は高齢のろう者、中途失聴者、難聴者が聞こえなくても安心して暮らせる老人ホームです。その目的は、①コミュニケーションが自由にとれる施設であること、②ろう者が地域貢献できる入居施設であること、です。自由に話ができる環境を整備することが、高齢ろう者にとって大切だという考え方はとても重要です。

台湾と日本とを比較してみると、台湾には一般的な老人ホームや高齢者へのサービスはたくさんありますが、高齢ろう者の養護老人ホームは少ししかなく、発展途上という印象です。高齢ろう者を対象とした施設はとても大切です。高齢ろう者は、一般的な老人ホームに入居しても、コミュニケーションの問題があって、他の老人たちと一緒に話すのが難しく、それは老化を加速させる要因になります。今後、高齢化がますます進むので、これは大切な課題です。

プレゼンテーション研修

日本ASL協会で初めて手話によるプレゼンテーション技法を学びました。学生の時、発表や講演は全て音声でおこなっていました。手話の講演の技法はそれとは全く異なっていました。例えば、立ち姿、講演に適した手話表現、手話を表わす位置や顔の表情などを習いました。これはとても重要な知識です。最後に、一時間の手話スピーチを実施しました。参加者は私のプレゼンテーションを評価しながら聞いてくださいました。そのアンケート結果をもとに反省を行うなど、講演内容を改善し続ける方法についても学びました。その後の研修で講演を依頼されることがありましたが、この研修の経験があったので自信を持って臨むことができました。

すまいる(NPO法人視聴覚二重障害者福祉センター)

台湾にいた時から、盲ろう者という言葉は知っていましたが、実際に接する機会はありませんでした。すまいるの研修で、盲ろう者について知り、その支援の方法も理解できました。また、触手話を用いることで、盲ろう者との交流が生まれました。

盲ろう者の通訳介助については、実際の支援現場を見て、学びました。盲ろう者は視覚と聴覚に障害があるので、触手話と指点字による通訳が有効です。しかし、盲ろう者の通訳介助はとても難しいです。例えば、盲ろう者が博物館を見学する際、展示品の形状などを触手話で通訳してもらい、自分でイメージを膨らませます。そのイメージと現物が一致するような高い通訳技術が通訳介助者には要求されます。

盲ろう者の皆さんの手作り作品と和太鼓部の活動を見た時は驚きました。皆さんの作業は丁寧で、色鮮やかな素敵な作品を作ります。皆さんが和太鼓演奏をすると聞いた時は半信半疑でしたが、後ろにいる聴者が盲ろう者の肩に触れるのを合図に太鼓を叩くという方法で演奏していました。皆さんの演奏は素晴らしかったです。盲ろう者の伴走練習も体験させてもらいました。伴走の技術と注意事項を教えていただいたので、台湾でも盲ろう者の伴走ができると思います。

すまいるの皆さんは、とても優しくて、個性的で、積極的でした。とても面白くて、何も知らない私に、触手話や盲ろう者の文化や盲ろう者に関連する情報を丁寧に教えてくれました。そして、すまいるの皆さんは、大変努力家で、勇気があります。皆さんは私に人生についても教えました。私がすまいるで学んだ最も大切なことは、コミュニケーションの重要性です。盲ろう者にとって、自分の感情や考え方を伝えるのは難しいことです。そこで大切な役割を担うのが、通訳介助者です。まず、両者の間には信頼関係の構築が肝要です。その後、盲ろう者は通訳介助者を通して、情報を得ていき、知る権利を実現していきます。このような過程を経て発せられる盲ろう者の声を人々は無視できるはずがありません。そして、盲ろう者の周りに双方向のコミュニケーションが生まれるのです。

筑波技術大学

私が大学生の時、クラスメートは全て聴者で、聴者文化の中で学んできたといえます。筑波技術大学で初めて聴覚障害のある大学生と一緒に勉強する経験を得ました。また、大杉先生から、聴覚障害関連の理論、手話言語学、手話調査法なども教わりました。

自分を変える

私には聴覚障害がありますが、これまで聴者の世界しか知らなかった私には、自分がろう者であるという意識はありませんでした。しかし、日本で研修して、聞こえない自分を受容できました。ろう者や障害者のコミュニティで体験談を聞き、多くの学びを得ました。そして何よりも手話を習得し、ろう文化を理解したことが、この大きな変化をもたらしました。私にとって、聴者文化とろう文化はどちらも大切です。障害のある人に対して平等であり、お互いを尊重すること、何よりも大切なのは共感し合うことだと思います。

写真2

帰国後の目標

私は3つの段階に分けて、目標を立てました。

短期:台湾手話の習得、第8回アジア太平洋ろう者スポーツ大会の手伝い。

日本手話はできるようになりましたが、台湾の手話はまだ話せません。まずは台湾手話を学びます。その後、今年10月に台湾で実施されるスポーツ大会において、日本手話と台湾手話を用いて、日本代表チームのサポートを行いたいです。

中期:ろう協会のいろいろな活動に関わっていきたいです。そこで経験を積んだ後、手話通訳者養成にも関わりたいです。手話通訳者の数が増えれば、ろう者の雇用促進につながり、ろう者が仕事上で経験している差別を解消できると思います。

長期:アジア太平洋地域、あるいは世界的なろう者の会議に参加し、台湾のろう者に国際的な情報を伝えたいです。

最後に

日本での10ヵ月の研修は、私にとって大きな転機になりました。幅広い領域の知識を学び、障害者に対する理解と共感の心も学びました。これは私が過去に経験できなかったことです。帰国後はろう者コミュニティの発展に尽くします。ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション、戸山サンライズ、日本語、日本手話の先生方、ホストファミリーの古川さんご一家、研修先の皆さま、本当にお世話になりました。10ヵ月間、互いに助け合った研修生の仲間にも感謝しています。ありがとうございました。

写真3

top page