Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ウムール・ヘールのファイナルレポート

夢の先にあるもの

1.日本と私の出会い

「 日本:朝日の国 」

最初に、日本と私の出会いについてお話しします。それは私が7歳の時でした。私は子供の雑誌で「日本:朝日の国」という名前の作文を読みました。大変印象深い作文だったので、日本は私の一番好きな国になりました。それから、日本の歴史や文化について情報を集め、いつか日本に行ってみたいと思うようになりました。ダスキンの研修生に選ばれて、その夢が叶いました。

2.スキー:障がい者の冒険=精神の勝利

日本での研修は全てが大切な意味を持っていました。例えば、スキー研修の目的は2日間の遊びではありません。スキーを通して、障がいを持っている人たちも冒険することができると私たちは学びました。いろいろな国に住んでいる多くの障がい者は、自分の体のことを気遣いながら生活しています。スキーのような冒険は、その人たちにとって夢のようなことです。日本に来る前、私はスキーをしたくなかったです。私の障がいは骨が折れやすいので、とても危ないと思ったからです。しかし、ダスキンの先輩の中には私と同じ障がいの人もいて、スキーをしていました。それを知って、私も挑戦したいと思いました。障がい者も高くて、するする滑る雪の山をバイスキーに乗って征服することができます。スキー研修の時、私たちは「人間の精神の勝利」を感じました。

3.日本で学んだこと

自立生活

私は自立生活について学びたいと心から思っていました。私は首都のニューデーリーに住んでいましたが、自立生活に関する情報は聞いたことがありませんでした。ですから、自立生活センターでたくさん勉強しました。「自己選択、自己決定、自己責任」は自立生活運動の中で一番大事なコンセプトです。しかし、今でも多くの開発途上国では、障がい者は年をとっても家族と一緒に暮らさなければならないと考えられています。それらの国では、政府からの年金がなく、バリアフリーもなく、介助者の制度もないのが現況です。しかし、将来インドの障がい者も自立生活が出来ると私は信じています。日本でいくつかの自立生活センターを訪問しましたが、同じ目標を持ちながらも、それぞれの活動方法は違っていました。そのことは、私達も自分の国の中で、障がい者のニーズとリソースにあった自立生活センターを創ることができるという希望を与えてくれました。

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ピアカウンセリング

私は大学で心理学を勉強しました。色々なカウンセリングを勉強しましたが、ピアカウンセリング(以下、ピアカンとする)は名前さえ知りませんでした。自立生活センターリングリングでは、色々な障がい者、例えば知的障がい者や重度障がい者のための一人ひとりにあったピアカンを勉強しました。障がい者のエンパワーメントのためにピアカンはとても大切だと思います。

ピアカンの目的は3つあります。

  1. 自己信頼の回復:簡単に言うと、自分を好きになりましょうということです。なぜなら障害のある人は、色々な経験を通して、自分のことが大嫌いになったり、障がい者としてのアイデンティティが持てなくなったりすることがあります。社会を変える活動をするために、自己受容はとても大切です。
  2. 人間関係の再構築:これは他の人と仲間になって、いいネットワークを作りましょうという意味です。
  3. 社会変革:私たちの一番大きな目的は、差別があるこの社会を変えることです。専門家たちやいつも手伝ってくれる人たちに頼るのではなく、自分たちが望む社会は自分たちの手で作りましょうというメッセージです。

ピアカンをする時、「人間の本質」である以下の5つを強く信じます。

人間の本質:

  1. 愛し愛されたい
  2. 創造性に溢れている。
  3. 知性に溢れている。
  4. 喜びに溢れている。
  5. 力強く、パワフルである。

医学モデルでは、障がい者は「もっとリハビリを頑張って、健常者みたいになってください」と専門家から言われます。しかし、それは難しいことなので、障がい者は自信を失くします。ピアカンでは、医学モデルの考え方はいりません。私たちは同じ経験をもっていますから、障がいのある仲間の気持ちを理解し、心の支援をもらったりあげたりすることができます。これは、社会モデルに向けた最初の一歩です。

手話

インドで手話通訳はとても少ないので、障害種別を越えて一緒に活動することが難しいです。ですから、私は日本で少し手話も勉強しました。日本手話はまだ上手とは言えませんが、手話の基本的なルールを学びました。将来、国際手話とインド手話を学ぶ時、少し覚えやすくなると思います。

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バリアフリー

多くの開発途上国にとって、バリアフリーは一番大きなチャレンジです。しかし、私たちは完璧なバリアフリー環境を見たことがないので、目標を具体的に定めることができません。誰かから聞いて作った「絵に描いたゴール」と言えます。日本での10か月は毎日がバリアフリーチェックでした。今、私たち研修生は、自分の国の現状を理解し、将来のゴールとなるバリアフリーの基準を日本からもらいました。

4.私の変化

自己受容

日本へ来る前、私は自分にあまり優しくなかったです。いつも頑張らなければならないと考え、自己批判をしていました。誰かに「あなたは可愛いですね」と言われても、侮辱的なコメントと感じました。なぜなら、可愛い女性は強いリーダーになれず、パワフルなリーダーシップをとれないというイメージを持っていたからです。でも今は違います。自己受容ができたことで、いつもパーフェクトな私じゃなくてもいいとわかりました。

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フェミニストとしてのアイデンティティ

インドで男尊女卑と女性の問題をたくさんみてきたので、私がフェミニストになったのはいつなのか自分でも覚えていません。日本ではたくさんの女性リーダーに会って、女性障がい者の色々な会議に参加しました。

ダスキン研修には約300人の応募があります。私はその中から選んでもらった人です。大変な状況下で暮らすインドの女性障がい者のエンパワーメントのために活動するという私の責任はもっと強くなりました。

障害学と国際学との融合

日本へ来る前、私は大学で国際関係学におけるロシアと中央アジアの関係について研究していました。特にロシアの経済と外交政策に興味をもっていました。しかし、日本で障害学の研究者にたくさん会って、障害学の大切さを学びました。今後は、障がい学と国際学を融合させて、1991年以降のソ連崩壊時代における障がい者の色々な問題について研究したいと考えています。その研究は、障がい者に関する私の理解をもっと深めてくれると思います。

5.これからの夢

この研修に参加したことで、いつか日本を訪問するという私の子供の時からの夢が叶いました。今、私には新しい夢があります。それは、インドの障がい者が自立生活をするという夢です。

そのための第一歩として、ピアカンに注力した活動を始めます。なぜなら、ピアカンは自信と自己受容を障害者に与えてくれるからです。自己受容ができれば、障がい者の自立生活はちょっと楽になると思います。ピアカンと自立生活の仕事をしながら、研究も続けます。勉強することは、私の頭と心のための燃料を同じですからこれを止めることはできません。ロシアの障がい者についての研究は本当に役に立つと思います。

子どもの時、日本へ行くということ以外にも、私にはたくさんの夢がありました。例えば、テレビの英語番組を見て、英語が上手になりたいと願いました。そして今、私の大学の先生や英語で研究している仲間たちは私の英語の話し方や表現はヒンディー語より上手いと言ってくれます。他にもあります。私の生まれた場所では、女性はあまり勉強しませんが、子供のころの私は、たくさん勉強することを夢見ていました。今私はインドの一番大きくて有名な大学で国際関係を研究しています。このように私には子どもの頃からたくさん夢がありますが、実はもう一つ大きな夢があります。あまりにも大きな夢なので、周りの人にもあまり話していませんが、皆さんには私の夢をシェアしたいです。それは、「国連の事務総長になる」ことです。これは子どもの時からの夢でした。大人になった今、それがどれほど大きな挑戦なのか分かっています。でも、私は諦めません。きっと、国連史上初の女性事務総長になります! 私は全ての夢は叶うという強い自信を持って、国に帰ります。

6.お礼の言葉

この10か月は夢のように素晴らしい時間でした。ダスキン愛の輪基金の皆さま、日本障害者リハビリテーション協会の皆さま、そして、個別研修で受け入れてくだった全ての団体の皆さまに心から感謝しています。ありがとうございました。

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