Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ギャン・バハドゥル・ビタコチのファイナルレポート

ろう者がいきいきと暮らせるネパールのために

1.日本での経験

来日して最初の3ヵ月間、日本語と日本手話を学びました。日本語は、平仮名、片仮名、漢字の3つを用いて表記されるのですね。本当に驚きました。難しかったですが、頑張りましたので、少しずつ日本語が分かるようになりました。日本手話も3ヵ月間勉強しました。日本手話はほぼ習得できたと思います。語学研修が終わった後、いろいろな場所に研修に行くわけですが、きちんとコミュニケーションを取り、しっかり学ぶためには手話の習得が重要になると分かっていました。ですから、手話の勉強も頑張りました。

次にスキー研修についてです。私たち6人は、異なる障がいがありますが、全員がスキーを楽しみました。印象に残っているのは、視覚に障がいのある人がどうやってスキーの滑り方を学ぶかということです。最初に、スキー板の先を「スキーブラ」という用具を使って固定します。これを使うと、ボーゲンの基本である「ハの字」を作るのが簡単です。私たちはスキーの先生のスキー板を見て、ハの字の角度をまねて、スピードを調整することができます。では、視覚に障がいのある研修生はどうやって「ハの字の角度」が分かるのでしょうか。先生方は、左右のスキー板が作る空間をピザに見立て、「ピザ1ピース分、足を開いてください」とか「2ピース分開きましょう」と説明をしていました。こうやって足の開く感覚を少しずつ身につけながら、ボーゲンを習得していきます。上手になると、スキーブラを外してもボーゲンができるようになります。私も最初はスキーブラを使いましたが、最後は自分でボーゲンができるようになりました。皆さんから「スキーが上手ですね」と言われましたが、実は3回ほど転びました。

個別研修では、「かがやきパソコンスクール」で、映像に字幕をつける方法を学びました。ネパールでは、手話動画を撮影するとそのままネット配信しています。しかし、ネパールのろう者にはその手話が分かっても、他の国々の人にはわかりません。これでは世界に向けて情報を発信できません。そこで役に立つのが字幕です。例えば、英語で字幕をつけて映像をアップロードすると、視聴者が自分の好きな言語を選んで表示される字幕を変えられることも知りました。この方法をネパールのろう者に教えたいと思います。

日本ASL協会ではプレゼンテーション技法を学びました。この時に、生まれて初めて誕生日を祝ってもらいました。ネパールでは、誕生日を祝う習慣がなく、友だちや両親からもお祝いしてもらったことはありませんでした。日本ASL協会の皆さんは、私を喜ばせようとこっそり準備を進めてくれたのですが、突然、パイが顔面に飛んできたのには驚きました。何が起こったのか理解できないまま、目の周りのクリームをぬぐうと、「ギャンさん、お誕生日おめでとう!」と皆さんが言ってくれました。本当にうれしかったです。そのあと、本物のケーキも出てきて、皆さんと一緒に食べました。とてもおいしかったです。忘れられない誕生日の思い出になりました。

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2.日本での研修

(1)全国ろうあ青年研究討論会

全国ろうあ青年研究討論会は新潟県で開催されました。その一環として、分科会が設けられましたが、私は生活という分科会を選びました。それに参加して、日本とネパールでは、大会運営の方法が全く異なっていることに気付きました。ネパールも青年部と似たような組織があり、各種大会を開催していますが、ろう青年が主体性を持って大会を運営したり発言したりするより、ろう協の幹部が自分たちの考えや方法を青年たちに押し付けがちです。そこが日本では全く違っていました。ろう青年が感じている生活上の困難を話し合い、それを打破する方法までを彼ら自身で考えようとしていました。助言者として、全日本ろうあ連盟の理事などが同席されていましたが、その発言はアドバイス程度にとどめられていました。ネパールでも若者が積極的に活動へ参画できる方策を考えたいです。最初からすぐに上手くはいかないでしょうが、少しずつやっていけば良くなるのではないかと思います。私は日本でこのような貴重な経験をさせてもらったので、今後はネパールの若いろう者たちを盛り上げる役を担っていきたいです。

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(2)淡路ふくろうの郷

高齢ろう者の老人ホームである「淡路ふくろうの郷」で研修をしました。入居者の生い立ちをお伺いしましたが、今までの苦労も含めて、一つひとつ丁寧に話してくださいました。とてもいい経験になりました。初めは見学するだけでしたが、もっと深く知りたかったので、生活介護の体験実習もさせてもらいました。入浴介助では、利用者が女性の場合、いつも女性が介助するわけではありません。例えば、体重の重い方ですと、女性の介助者では対応が難しいので、男性の力を借りていました。介助の方法は入居者のニーズによって異なります。スタッフはそれに対応できるよう、様々な専門性を持った人がいて、入居者の生活を支えていました。

(3)たじま聴覚障害者センター

次に豊岡市にあるたじま聴覚障害者センターで、高齢者へのサポートとろう重複障がい者へのサポートを学びました。高齢者の方々の中には、若いときから仕事に就き、定年退職された後は何もやることがなくて、家にひきこもる方もおられます。その辛さやストレスを一人で抱えたままにしていると病気になってしまうので、高齢ろう者が集まれる場所が大切になります。このセンターは高齢ろう者の活動の場所として活用され、軽作業や、交流会、情報交換・提供などを行っています。また、利用者の血圧を測るなど、健康管理もしていました。

3.帰国後の目標

まずは、高齢ろう者のコミュニティを作りたいです。若い人たちと高齢者が交流するのは大切ですが、考え方や生活習慣が違うので、高齢者だけが集まり、十分にコミュニケーションが取れる場所を作ることも大切だと思います。

二つ目に、高齢者に楽しんでもらえる機会を作りたいです。軽作業を行ったり、絵を描いたり、色々なイベントの企画をしたりして、高齢ろう者の学習プログラムや娯楽を作りたいと思います。

次にネパールのろう協には、女性部、青年部、スポーツ部はありますが、高齢部がありません。私はろう協の組織内にぜひとも高齢部を設けたいです。それは、高齢ろう者自身による活動が展開できる仕組みにしたいです。次にネパールでは県レベルのろう協会はありますが、市町村レベルのろう協会がありません。ですので、市町村レベルでもろう協会を立ち上げたいです。ネパールでは公共の移動手段が整っていないので、なかなか遠い場所には行けません。ですから、自分たちの住む地域にろう協会があれば、情報交換、交流、活動、運動などがしやすくなります。そして、1年に1、2回程度、県や全国レベルで活動しているろう協会に通えたらいいと思います。

最後に、ろう者への差別・偏見を無くしたいと思います。この時に大切なのが、手話通訳者を増やすことです。政府への交渉やろう者への理解を広める時に、私たちの声となり、耳となる手話通訳者と一緒に活動することが肝要です。

私が日本で学んだことをネパールの仲間に伝えれば終わりではありません。同じ目線に立ち、共に助け合いながら、活動していくことが大切です。

4.お礼のことば

最後になりましたが、ダスキン愛の輪基金の皆さま、研修先の皆さま、日本障害者リハビリテーション協会の皆さまに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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