フィリピンは大小7107の島々からなる群島国家です。私が生まれたラプラプ市はセブ島にある都市で、美しいビーチが自慢の観光地です。また、国民的英雄である、ラプラプの生誕地でもあります。
私は生まれつき難聴者で、5人兄弟のうち、姉と妹がろう者です。両親はろう者のよき理解者であり、権利擁護者でもあります。自営業を営む父は、2名のろう者を雇用しています。母はボランティアの手話通訳者です。両親の影響で、私は障害のある人に対するボランティアに興味を持つようになりました。それが、ろう者をサポートしたいという情熱に変わるのに、そう時間はかかりませんでした。
難聴者である私は、普段は補聴器を装用しています。ろう学校ではなく、地元の学校に通っていたので、コミュニケーションの問題を常に抱えていました。26歳でろう者の活動に関わり始め、手話を覚え、ろう文化も身に付けました。言葉が通じるということは何と素晴らしいことでしょう!ろう者と一緒に過ごすのは本当に楽しかったです。しかし、ろう者の生活が非常に大変であることも分かってきました。手話通訳者制度もなく、就労の機会もない。そして多くの差別が存在するというのです。私の家族はろう者と聴者の共同体ですが、楽しく幸せに暮らしています。社会もきっと、ろう者と聴者が共生できるはずです。私はその懸け橋になりたいと願うようになりました。
ラプラプ市政府は、インクルーシブ社会の実現を目標に掲げており、社会福祉事業の一環として障害者への支援を行っています。しかし、当事者団体がなかったろう者への支援は他の障害のある人々に比して、立ち遅れていました。そこで、2013年に15人の有志が集まり、ラプラプ市聴覚障害者協会を設立しました。私たちは「協会員とコミュニティとの連携を強化する」というビジョンを掲げて活動を始めました。しかし、設立したばかりの団体ゆえに、コミュニケーションのバリアをどう取り除くのか、社会への啓発をどう進めるのかなど、多くの課題に直面しました。それらの課題に対処するために必要な知識や経験を身につけるため、私はこの研修への参加を決意しました。私たちのコミュニティに暮らすろう者のニーズを反映し、私は4つの目標を持って来日しました。
最初の3ヶ月間、私は日本語と日本手話を学びました。ひらがなやカタカナの学習は楽しかったし、簡単でしたが、授業が進むにつれて、多くの漢字や文型が提示され、難しくなりました。しかし、先生方の努力と励ましのおかげで、諦めずに勉強を続けることができ、ウィークリーレポートを日本語で書けるまでになりました。日本語は、日本人とよい関係を築く上で大いに役立ちました。ろう者の先生から手話を学ぶというのは初めての体験だったので、手話クラスも大変興味深かったです。
年末年始に三重県の窪崎さんの家でホームステイをしました。お母さんは私と同じ難聴者で、手話でたくさんお話しをしました。初詣や初日の出、そしておせち料理など、日本のお正月の文化を堪能しました。温泉や忍者の里にも連れて行っていただきました。私を家族の一員のように迎えてくれた窪崎さん一家にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
団体運営について、旭川ろうあ協会、札幌聴覚障害者協会、兵庫県聴覚障害者協会の3つの団体で学びました。この3つの団体に共通するのは、素晴らしい組織構造を持っていることです。ろう者と聴者が共に活動していることも印象的でした。また、行政やコミュニティ、ステークホルダーとの協働が見られたのも特徴でした。特に、興味深かったのは、行政との連携です。例えば、事業所設立時に支援を得たり、手話通訳養成・派遣業務を委託されたり、日中作業所の運営においても連携が見られました。フィリピンでも行政との連携を実現させたいです。
国立障害者リハビリテーションセンター手話通訳学科と全国手話研修センターで手話通訳者の養成と派遣について学びました。学んだ知識は、ラプラプ市の手話指導クラスや手話通訳者養成コースに応用できます。また、札幌聴覚障害者協会では、映像の編集と字幕や手話ワイプの付与について学びました。加えて、インタビューの企画と実施についても学んだので、ろう者への情報保障に配慮したインタビュー映像の作成方法が分かりました。
私は、旭川ろう学校、北海道高等ろう学校、筑波技術大学を見学する機会を得ました。感銘を受けたのは、教師の多くが、手話が堪能であったことです。ろう学生は、手話という言語を介して、教師から完全な情報を得ることができます。完全な情報を得られることは、深い学びに繋がります。教育は、将来的には就労に繋がります。ろう学生にとって、手話による指導が教育の場で保障されることは大変重要であると再認識しました。
フィリピンでは、意欲があるにも関わらず、就労できないろう者がたくさんいます。「Social Cafe Sign with Me」は、ろう者が起業・運営しているカフェです。私は調理補助や接客を学びました。日本での接客はフィリピンよりも丁寧さや礼儀正しさが求められるので、最初は戸惑いましたが、徐々に慣れ、お客さんと接するのが楽しくなりました。店内の公用語は手話ですが、写真付きのメニューを指差せば、手話ができない人も注文ができます。私も将来、ろう者・聴者に関わらず、楽しく食事ができるカフェを起業・運営し、ろう者を雇用したいと考えました。
トット文化館では、ろう重複の人たちと一緒に、軽作業を体験しました。お話しをしながら、皆さんと作業を行うのは楽しかったです。
高齢ろう者を対象とした2つの老人ホームに訪問し、見学だけでなく、介助についても学ぶことができました。また、入居者の皆さんとの交流の機会が持てたのが、とてもよかったです。日本のろう者が昔はどんな生活をしていたのか、たくさん話してくださいました。社会の中で差別されることが多く、大変な生活を強いられていたそうですが、それが少しずつ良くなっていったのはろう協会のおかげだと教えていただきました。皆さんのお話しを伺い、感動しました。
帰国後、やりたいことはたくさんありますが、まずは私が日本で学んだ4つの目標に関する知識や経験をラプラプ市聴覚障害者協会のスタッフに話します。情報をしっかり伝えることで、共に活動できるようになるからです。
将来的には、他の障害者団体、行政、聴者の団体と連携を取り、ラプラプ市をインクルーシブな社会にしたいです。ラプラプ市でインクルーシブな社会が実現したら、それで私たちの使命が終わるわけではありません。私たちの知見を他の島に伝え、インクルーシブ社会を広げなければなりません。それぞれの島のろう者の団体が強く、持続性の高いものになれば、上部団体であるフィリピンろう協会を我々の力で支えることができるようになります。上部団体の活動をより活発化させることで、ひいてはフィリピン全体の障害者福祉の向上につなげていきたいです。
10ヶ月間、いろいろな方にご支援いただきました。心から感謝しています。ダスキンファミリー、ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、日本語・手話の先生、ワークショップや講義の先生、ホストファミリー、そして、私と出会ってくださった全ての皆さんに感謝します。ありがとうございました。