ダスキン研修は障害者を対象にしたものです。障害者、なかでも視覚障害者の生活と尊厳を改善するにはどのように貢献したら一番効果的か考えていた私は、本研修を大変貴重な機会と思い、ぜひ参加したいと思いました。参加が叶えば、リーダーシップ能力を高め、障害者の権利を守ることにもっと貢献できるだろうと考えました。
日本に来るまで、私は日本語を習うチャンスがなく、一言も話せませんでした。日本語は世界で一番難しい言葉の一つとされています。第三外国語として日本語を勉強することになりましたが、簡単には行きませんでした。最初は日本人と話をして意思疎通するのが大変でしたが、段々に私の日本語も上達しました。また、日本語の点字も教わりました。日本語の点字は論理的なだけでなく、初心者の私でもとても覚えやすかったです。自国語のヒンズー語や英語の点字のサインや文字はすでに全部知っていました。点字は6つの点で表されます。この6つで63文字が表現できます。6つの点と63文字で、世界のどんな言語でも読み書きできるようになっています。当たり前といえば当たり前ですが、日本語の点字を勉強していると、ヒンズー語、英語、日本語の点字で共通の表現もありました。このおかげで段々と日本語の点字にも慣れるようになりました。先生方の素晴らしい教授法にも大変感心しました。
集中的な日本語の授業のあと、私たち研修生は皆ばらばらになって、自分が学びたいと思う分野の研修に行きました。個別研修はプログラムの中でも重要なパートで、自分たちが頑張りたいと思う分野の勉強ができます。私はさまざまな公的機関、リハセンター、特別支援学校、インクルーシブ教育校、大学や図書館の学生支援センター、中央政府や地方政府の機関、NGO、NPOなど、日本全国で日本の障害者の現状改善を目指して活動している組織を訪ねました。また、日本の公的機関の機能や運営について知りたいと思っていたのですが、それも学べるような機会を作っていただきました。最初、私のおぼつかない日本語では、意思疎通や知識を吸収するのが難しかったのですが、段々にこなせるようになってきました。それでは私が障害者についてたくさんのことを学ぶことになった場所のいくつかについてご紹介したいと思います。
日本ライトハウスでは一か月くらい研修を受け、さまざまな活動について教わり、日本文化や、障害に対する日本のアプローチ、社会の見方、日本で実践されていることのほか、どのように障害者が主流の日本社会に参画しているかについて学びました。また、私は個人的に、日本の法律や法規制によって、視覚障害者を特に対象に運営されている施設や団体を訪ねたいと思っていました。日本ライトハウスは1922年に設立され日本ではずっと視覚障害者の生活改善のために活動してきたパイオニア的存在です。情報へのアクセシビリティ、視覚障害者のリハビリ、自立生活のための研修や介助サービス、特殊ニーズのある人のための教育やインクルーシブ教育、職能教育、作業場の提供、電子・点字図書館、点字情報技術センターなどさまざまなサービスを展開しています。私はこうした活動に可能な限り積極的に参加し、各サービスの内容についての知識と実践を学びました。
日本ライトハウスでは、福祉政策とその施行について、知識と実践を学びました。上記のサービスのほかに、障害者運動、ボランティアシステムや障害者の就労、レジャー、レクリエーションなどについての説明もありました。大阪と京都ではリハビリセンターや大学の学生支援センターを訪ねました。また、専門家に会い、こうした取り組みについてとても健全で実りあるディスカッションに加わることができました。また、こうした取り組みが違う県ではどのように行なわれているのかも理解しようと努めました。日本には47の都道府県がありそれぞれ違う社会福祉政策があってそれぞれ違う形で実施されています。
インドは世界で七番目に大きく、もっとも経済成長の速い国です。人口は世界第二位で、そのほとんどが若者です。2011年の全国調査では、インド全土の障害者は2700万人とされていましたが、他の民間組織の調査ではもっと多く、おそらく4000万人ほどに達し、そのほとんどが地方や村、見捨てられた地域に居住しているとのことです。こうした障害者のほとんどは非常に貧しく、良い教育も受けられずにいます。高等教育まで進学する障害者は大変少ないのですが、1995年障害者権利法、また最近施行された障害者権利法により、障害者の教育は義務化されました。したがって障害者も政府・民間の仕事に就いて、社会的な地位を築き受容されてきてはいます。しかし障害はまだ目を向けられることの少ない分野で、障害者はインドの中でも最貧困層の人が多いとされています。このような状況なので自立生活が実現するにはまだまだ遠い道のりです。
日本には現在120以上もの自立生活センター(CIL) があります。私は日本の自立生活をしっかり体験し、学びたいと強く思っていました。自立生活の大事なコンセプトは、障害者自身が強くなり、自分についての決断や選択が自分でできるようになること、そして自分が下した決断について責任を負うことを覚悟することです。しかし、世界では、途上国の多くで、障害者は年をとっても家族と暮らすべきだという考えが一般的です。さらに障害者は日々の生活でいろいろな差別に直面します。未だに社会には障害やそれにまつわる事柄に対してさまざまな迷信や、否定的な考えが蔓延しています。一般的に途上国に国民年金はありません。バリアフリーのインフラも、ヘルパーシステムも、介助サービスもありません。それでも、私はインドの障害者は近いうち、自立生活をできるものと信じています。日本ではいくつかの自立生活センターを訪ねました。どの自立生活センターも目的は共通でしたが、活動はセンターによって違っていました。インドでも自分たちで自立生活センターを作り、障害者のニーズに合わせるようにすればよいのだと気が付いて、希望が湧いてきました。
日本に来る前、カウンセリング(以下、ピアカン)については一切耳にしたことがなく、ピアカンに至ってはまったく初耳でした。ピアカンについて知ったのはヒューマンケア協会、および自立生活センターSTEPえどがわでのことです。ピアカンは、知的障害、重度障害といったように、その人の障害ごとに組み立てられていました。ピアカンは障害者のエンパワメントにとって大変重要だと思いました。ピアカンの目的は主に、自信を取り戻すこと、人間関係を作り直すこと、社会を変えること、の3つです。ピアカンの間は、自分が心地よく感じることに気持ちをフォーカスするように教えられます。たとえば、愛し愛されたい、私はとてもクリエイティブだ、知的だ、喜びで溢れている、強い、パワフルだ、といった思いに気持ちをフォーカスします。
ピアカンの先生からは、自立生活センターの社会的モデルについて教えていただきました。医療モデルでは、専門家が障害者に頑張ってリハビリに励み、健常者のようになれるように頑張れと言います。しかしこれはたやすいことではありませんから、障害者は徐々に自信を失います。ピアカンでは、こうした医療モデルは介入しません。自分たちの体験を語り合うことでお互いの気持ちを理解し、お互いにサポートし合うのです。社会的モデルへの最初のステップともいえます。
私が知る限り、インドにはほとんど手話通訳者がいません。このため聴覚障害者にとっていろいろと難しい状況であるだけでなく、さまざまな障害を持った人たちが集まって一緒に活動するのはほとんど不可能になっています。このため私は今回の研修で手話の基本を勉強したいと思いました。そうすれば障害やそれに関係することももっと理解できるようになると思うからです。そしていろいろな障害の人の集まるフォーラムを作り、活動を企画したり、みんなで活動できる共通のプラットフォームを作ったりできたらなお良いでしょう。
バリアフリーな社会やインクルーシブな社会の議論は複雑です。今我々は科学技術の21世紀に暮らしています。20世紀末には、障害者も障害のない人と同等の権利を持って社会に参画できるべきだという考えが認められるようになり、障害者に光を当てたさまざまな国際活動や取り組みが行なわれました。またさまざまな国が国内法を施行したことで同等の権利や機会、社会参加についての話し合いが始まりました。バリアフリー環境やインクルーシブな社会もテーマのひとつでした。
現在は未だ、ほとんどの国がバリアフリーやインクルーシブな社会とは程遠いところにありますが、誰も完全にバリアフリーな環境を目にしたことのない中では、すべての人にとってのバリアフリーとはどういうものかを想像するのはなかなか難しいことです。こういうものではないか、ああいうものではないかと議論してもそれは誰か他の人が考えたイメージをなぞっているに過ぎません。そういう枠を超え、もっと素晴らしいものを作っていこうとイメージを膨らませていかなければいけないと思います。
確かに今、バリアフリーの交通網や建物、インフラ、公共の場所、障害者運動といったものを私たちは目にしており、そういうものが現在の水準ではアクセシブルとされていますが、これからもずっと同じという保証はありません。変わらないものはないのです。日本ではほとんどの場所が障害者にとって大変アクセシブルになっており、障害者はバリアフリーの交通網を使ってどこへでも行くことができます。アクセシブルな道路や手すり、凹凸で視覚障害者にわかるようになっている路面、カーブ、車止め、自動ドア、列車や駅のアナウンス、電車に乗るときの介助サービスなどいろいろなものがあります。ほとんどの場所はガイドラインに沿ってアクセシブルに整えられています。
しかし、日本のようにこれだけ障害者のアクセシビリティが進んだ国であっても、よく見ればまだインクルーシブというには遠い状況です。障害者が排除されていたり隔離されたりしている例はたくさんあります。とくに就労面で障害者の置かれている状況は障害のない人と同じ待遇とは言い難いでしょう。官民を問わず主要な団体で障害のない人と同じように働いている障害者はとても少ないのが見てとれます。たとえば、視覚障害者は未だに、鍼灸やマッサージなど、従来視覚障害者が携わってきた仕事に就いています。雇用側は視覚障害者を雇いたがらないのです。日本の法律では障害ごとに何人ずつ、どのように雇用すべきかのガイドラインや規則がないのです。
インドでは、障害に対する社会意識の高まりがあります。しかし、本当に社会がインクルーシブになり関心を持つようになるにはまだまだ問題が山積みです。このことは、自分自身、身を持って体験しました。何もかも遅れている地方で子供時代を過ごし、教育を受けることで、立場を変えることができ、社会の主流で仕事を見つけ、名の知られている銀行でマネージャーの仕事に就くことできました。学生の頃は、障害者の権利や尊厳を守りインクルーシブな社会を作るための抜本的な法的枠組みがないなど、社会の無知によって障害者にはいろいろな限界があるのを感じていました。この研修で学んだことはすべて、障害者の世界の中だけでなく、一般社会の中で障害者の尊厳と権利をさらに効果的に訴えていく力になるでしょう。私はこれまでも、障害者、それも視覚障害者による、あるいは視覚障害者のための、権利擁護とサービス団体に積極的に関わってきました。これからも今まで以上の熱意をもって、これらの団体を通じて障害者のための活動に献身的に関わっていきたいと思います。
また、障害分野においてインドと日本とのより緊密な交流も促進していきたいです。
私たちのニーズを常に考えてくださり、私の日本での学びを有意義なものにしてくださったダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、そして関連団体の皆さまに、心からの感謝の言葉を捧げたいと思います。本プログラムの中で、さまざまなことを学べただけでなく、日本文化や、障害や日本の主流社会に障害者が参画していけるようにするための日本のアプローチや社会の見方、さまざまな取り組みなどを理解することができました。
日本の皆さんは大変親切で、自分の仕事や責任について非常に真剣で、時間厳守で、他人に配慮し、頑張り、そして平和的で優しいです。日本で得た知識と経験によって自信がつき、エネルギーが湧き、もっと障害者運動に頑張っていこうという気持ちになりました。ダスキン研修では、いろいろな障害やそれを取り巻く事柄について知ることができました。日本で過ごした10か月は忘れられないものになりました。ダスキンの皆さまのおかげで、真実の世界を見ることができました。
最後になりましたが、この研修を間接的に成功に導いてくださった皆様にも、厚く御礼申し上げます。