研修の冒頭から、私たち研修生は3か月、日本語を勉強することになっていました。大変な勉強でしたが、先生方が日本語に慣れるように手伝ってくださいました。毎日難しい課題がたくさん与えられましたが、先生方はずっと、私たちのことを思いやり、愛情をもって接してくださいました。私たちと意思を通わせようと頑張ってくださるので、先生方が大好きになりました。クラスでは、誰かが発音を間違うこともあり、みんなで大笑いしました。
日本語の勉強は大変良い思い出になりました。また、週1回の水泳のレッスンと合わせて、私たちの日本語スキルも段々に上がりました。
私は個別研修で、東京にある車いす工房「さいとう工房」に行きました。さいとう工房では、車いすにもさまざまなタイプがあることを知りました。自分の障害の状況に合わせて、もっとも適切な車いすを選べるのです。日本は他の国に比べてずっとアクセシブルです。車いすのデザインも多種多様です。
一か月して、自立センター・東大和に行きました。ここでは、海老原さんに会い、自立生活センターのことについて教えていただき、会議に出席したり、イベントに参加したりしました。海老原さんからは、重度障害について教わりました。海老原さんは 社会をインクルーシブに変えることを目指して重度障害者の仲間と頑張って活動している、素晴らしいリーダーです。 海老原さんの夢は、日本の子供すべてにインクルーシブな教育の機会を提供することです。海老原さんにとって一日を何とか終えるだけでもどれだけ大変かを目のあたりにした私は、大変励まされました。海老原さんは重度障害者の人たちとその家族を支援しようと、非常にエネルギッシュに走り回っていました。
自立センター・東大和のあとは、金澤真実先生にお会いし、バングラデシュの女性障害者について話し合いました。話の内容は、アクセシビリティ、女性の障害、知的障害、人権、さまざまな障害、国際的な対話まで多岐にわたりました。
日本では研修の一つ一つに大事な意味がありました。たとえば、スキー研修の目的は、単に二日間遊ぶことではありませんでした。スキーによって、私たち研修生は、障害があっても、いろいろ大変ではあるけれど、障害のない者と全く同じようにアドベンチャーを楽しめることを知りました。もちろん、みんな来ている国が違うのでそれぞれにスキーをすると難しい場面がありました。毎日、他の研修生の体の状態が大丈夫だろうかと心配でなりませんでした。私たち研修生の一人とて、アドベンチャーができるなどとこれまで考えた人間はいませんでした。ましてやスキーとなれば問題外です。 日本に来るまでは、スキーができるなどと思ったこともありませんでした。私の障害は脳性まひです。下半身が大変弱く力が入りません。下半身はバランスを取ることもほとんどできず、握力もあまりありません。したがって、身体と手のバランスを取るのは大変でした。しかし、アドベンチャーを体験したいと思ったので、やってみました。車いすスキーをすることがなんと素晴らしかったことか!天にも昇る心地でした。
2017年、新年のお祝いの時期、私たち研修生はそれぞれ日本のご家族とのホームステイに出かけました。私は一週間、山田さんのお宅にお世話になりました。素晴らしい新年でした。毎日、きれいな場所を見にいったり、おいしい和食を味わったり、素敵な服を着せていただいたりと、ご家族の皆さんやそのお友達と出かけました。皆さん大変親切にしてくださいました。一緒に楽しいときを過ごし、一緒に新年をお祝いしました。
私は以前から、自立生活をしたいと強く望んでいました。大学のとき、それから働き始めてからは、一人で首都のダッカで暮らしていましたが、日本に来てからは、一人暮らしと自立生活は定義が違うことが分かりました。その概念を学んでからは、大変なことがあっても強い意志をもって頑張ろうという気になりました。このほか、自分で自らの人生に関して決断をすること、家族や他の人たちについても責任を負うこと、経済的にも自立を目指すこと、また、したいと願うことはする権利があることを知ること、なども重要な自立生活の概念であることを教わりました。
しかし、途上国の多くでは、いまだに障害者は年をとっても家族と一緒に暮らすべきだという世間の思い込みがあります。根拠はありません。一般的に、途上国には、障害者のための政府の施設も、バリアフリーのインフラも、介助のシステムもありません。グループホームなどの施設や、就労施設もありません。しかしこうしたことにも関わらず、私は将来、バングラデシュの障害者も自立して生活できるようになるだろうという確信を持つようになりました。
日本では自立生活センター・なび、自立生活夢宙センター、自立センター・東大和、AJU自立の家などいくつかの自立生活センターを訪ねました。どの
センターも、障害者が障害のない人と同じ権利を持ち、自立生活を送り、幸せに、たくさんの友達と、したい生活をすることを共通の目的としていました。しかし、活動内容はそれぞれセンターによって違っていました。私が学んだ一番のモットーは、人生というものは、誰にとっても旅であり、楽な道ではないけれど、大事なことは、あきらめずに進むことだということでした。自立生活を経験し、周りに友人がいて自立生活をすることがどんなに素晴らしいか知ったことで、希望が湧き、幸せな気持ちになりました。バングラデシュでも、自立生活を促進し、障害者の人たちのニーズに合った環境を整えていくことができると感じています。
途上国で最大の課題は、バリアフリー社会作りです。バングラデシュにはまったくバリアフリー環境がなく、障害者にとって社会参画の最大の壁となっています。バングラデシュでまったくバリアフリーな環境は目にしたことがありませんが、日本に来てみたところ、初日から10か月の研修の間ずっと、日本がどれだけバリアフリーかを知って、自分でも実際に見て、大変驚きました。毎日いろいろな場所に出かけてそういう場所がバリアフリーかチェックして歩いたのですが、驚いたことにどこもバリアフリーでした!しかしこの経験で私はよく分からなくなりました。私たちの国は一体なにが違っているのか?家を一歩出たところから、バリアが山ほどあるのです。肢体障害があったら、思いのままに外に出るなどということは想像だにできません。そして、アクセシビリティがこのようにないということは、障害者の自己成長が妨げられたり、遅くなることに直結しています。私たちの将来のゴールはバリアフリー社会です。
日本では、障害児の施設を訪ね、かわいい子供たちに会いました。この施設では、障害のある子どものデイサービスや、さまざまな子供の障害、そうした子供の直面する問題、先生のアプローチや、どうやって子供たちの脳機能の発達を支援するかなどについて教わりました。子供が興味を持てるのは何なのか、子供が遊びたくなるにはどうしたらいいのかについても学びました。バングラデシュには、自閉症の子供、知的障害や重度障害の子供がたくさんいます。しかし障害児のための施設は数えるほどです。経験豊かな先生もいませんし、介助システムや自立生活システムもありません。この施設での経験は大変多くの学びの機会となりました。
日本に来る前の私はあまり自信がありませんでした。いつも、障害があるのだから、他の人よりも頑張って働き、強い女性として認められなければならないと思っていました。そこで、とにかくがむしゃらに働いていたのですが、日本に来たことで、違う自分というものがあり、その違う自分が、人を幸せにしたり、人をやる気にさせたりできるのだということに気づかされました。
私が発見したのは、障害は、より多くの困難に立ち向かう意志の力の源泉にもなっているということでした。今では障害を誇りに思います。なぜなら、障害があっても、バングラデシュの能力のある女性の一人となることができたからです。私には、社会や差別に対して闘う機会が与えられたのですから、誰よりもラッキーガールなのです。大切なのは活動によってどう自分を磨いていけるか、です。能力は心の持ち方から来るものだからです。家族とバングラデシュのために貢献していきたいと思います。
世界中で差別は大きな問題です。しかしこの研修では、援助を申し出てくれる人や専門家の助けを常に期待するのではなく、差別でいっぱいの社会を変えていくこと、そして自分の手で、理想の社会を作る努力をしていくことを学びました。
日本ではたくさん友人ができ、いつも大変幸せな気分で、笑顔で過ごすことができました。誰も私をとがめたり、意地悪したり、失礼な態度をとったりしませんでした。友人のおかげで私は幸せな気分でいられ、私も友人たちをそういう気持ちにさせようと努めました。私の仕事は薬剤師ですが、薬を使わないで病気を治す方法を一つ知っています。よく笑い、幸せでいれば、心臓を守ることができ、精神的なストレスも減らせるのです。障害は仕方のないことです。病気によって進行してしまう障害もありますし、安定的に推移する障害もあります。ほとんどの障害は治りませんが、障害があっても、ハッピーかつ笑顔でいることは可能です。バングラデシュに戻ったら、みんなで立ち上がりたいと思います。
毎年、ダスキン研修プログラムにはたくさんの人が応募します。私はプログラムに選ばれた幸運な一人でした。しかしそれは、バングラデシュの女の子や女性たちをエンパワーする責任を負ったということも意味します。彼女たちは教育の機会に恵まれず、非衛生的な環境で不健康な生活を強いられ、経済的な支援も家族のサポートもなく、多大な暴力に直面しながら、障害があるために、あるいは単に女性であるがために(!) 声を上げられずにいます。彼女たちも皆、外の世界に出ていって、不屈の勇気を身につけたいと思っているのです。
私はバングラデシュの女性障害者たちをエンパワーしたい。過酷な環境で暮らしている障害児をサポートしたい。そして全ての人のインクルーシブ教育に向けて活動したいと思っています。障害者に対するすべての差別、偏見、レッテル貼りは、無知から来ている、つまり、社会を変えたいと思えば教育は欠かせません。子供時代から同じ教育を受けていれば、社会の偏見は消えてなくなるでしょう。
バングラデシュは途上国で、アクセシビリティがありません。これは障害者が危険にさらされる理由の一つでもあります。今後、官民問わずさまざまなセクターと交渉してアクセシビリティを進めたいと思います。バングラデシュには障害者法や障害者のための福祉サービスはあるのですが、肝心要の法律や福祉サービスがちゃんと制定されていないので、これらの実施に向けて活動していきたいと思います。
この研修に参加できたのは大変素晴らしいことでした。日本を訪れることは私の夢でした。私はバングラデシュの女性として、高等教育に進むなどしっかり学歴を築くことができましたが、その道のりは本当に大変でした。子供のころから、相当な痛みに耐えて頑張らなければなりませんでしたが、止まることもできませんでした。当時は、自分は女だから口答えする権利はないだろうと思って、人に何を言われても言い返すことさえしませんでした。バングラデシュではこのように物事が楽ではありません。インクルーシブなどまったくありません。外に出れば、誰も人と同じように扱ってくれないので、外に行くのが恥ずかしかったものです。いつも差別を感じたので、家にいるほうが安心でした。 自分の気持ちを人に言えなかった当時は一瞬一瞬が戦いでした。私の夢は、女性たちをエンパワーし、インクルーシブな教育が構築され、バングラデシュがインクルーシブな社会になることです。バングラデシュの現状から考えて、この夢の実現は楽なものではないでしょうが、持てる力を全て注いで頑張りたいと思います。止まることは、ありません。
この10か月は本当にめくるめく夢のような、素晴らしい体験でした。私を研修に参加するに足る研修生であると認め、研修の機会を与えてくださった皆さんに深く感謝します。
このような素晴らしく温かいプログラムを準備してくださったダスキン愛の輪基金の多大なご尽力に心から感謝します。ダスキンがこの研修プログラムを長年続けておられると聞いて大変驚きました。このプログラムのおかげで、たくさんの若者がリーダーとなって、それぞれの国で頑張って活動しています。
また、日本障害者リハビリテーション協会、戸山サンライズ、リーダーの皆さん、各団体の皆さん、先生方、私の友人たちにも感謝の気持ちを捧げたいと思います。優しく気長に接してくださり、本当にありがとうございました。