ろう女性が輝く社会へ
2歳のときに部屋で遊んでいたら、本棚が倒れてきて下敷きになりました。驚いた両親は私を病院に連れて行きましたが、その治療に使った薬剤の影響で私の耳は聞こえなくなりました。8歳のときにろう学校に入学し、そこで手話を習い始めました。しかし、先生は口話という子どもたちに先生の口の形を読み取らせる手法を用いており、手話ではあまり教えてくれませんでした。耳が聞こえないので、口の形を見るだけでは、十分に学ぶことはできませんでした。けれども、友達や両親とは手話で話をするようになりました。
次にモンゴル科学技術大学(Mongolian University of Science and Technology)に入りました。ろう者は私だけで、周りは聞こえる人ばかりだったので、コミュニケーションで大変苦労しました。先生は声を使って講義をするだけで、私ができる情報収集は友達が取っているノートを横から見せてもらうことだけでした。このような状況で勉強をし、5年かけて卒業しましたが、他の友達のように技術を身につけることができませんでした。そこで、短期集中講座に数回通うことで洋裁の技術を習得し、やっと仕立て屋を開業できるようになりました。仕立て屋工房は母と一緒に営んでいて、私は洋服の仕立てを担当し、それを母が販売しています。また、車いすユーザーの女性に簡単な手作業を頼んでいます。
私が日本で学びたかったことは3つありました。
まず、日本語と日本手話を3ヵ月月間ならいました。手話も最初はなかなか覚えられませんでした。ろう者の友達との会話を通して、だんだん手話が身についてくると、楽しくなりました。正直なところ、日本語の習得はとても難しかったです。漢字もまったく分かりませんでしたが、毎週、レポートを書かなければならないので、一生懸命勉強しました。今は、漢字は面白いなと思います。
ろう児が通う明晴学園にも見学に行きました。そこの子どもたちは手話が堪能で驚きました。聞こえるお母さんたちも手話をきちんと覚えて、子どもたちと手話だけで話をしていました。学校での指導は口話ではなく、すべて手話を使って教えていました。とてもすばらしい学校だと思いましたし、モンゴルにも同じようなろう学校を建てたいです。
日本ASL協会では、プレゼンテーションの方法を学びました。モンゴルではプレゼンテーションの経験は一度もありませんでしたから、一生懸命勉強しました。そのおかげで、鹿児島でプレゼンテーションを依頼されたときは、上手に話すことができました。質問もたくさんありましたし、たくさんの人に集まってもらってうれしかったです。
年末年始のホームステイは長野に行きました。ご両親がろう者で、お嬢さんは耳が聞こえました。お嬢さんには、私が作ったモンゴル衣装を着てもらったのですが、大変よろこんでくれました。私も着物を着せていただいて、一緒に写真を撮りました。お正月の文化もいろいろと教えていただきました。初詣では、おみくじを引きました。仕事運がよいと書かれていたので、うれしかったです。
1月に新潟でスキー研修をしました。モンゴルでもスキーをしたことがありますが、モンゴルのスキー場は斜面がなだらかです。日本のゲレンデは起伏に富んでおり、滑れないと思いました。しかし、スキーの先生のおかげで滑れるようになりましたし、ほかの研修生も上手でした。他の研修生の笑顔を見ていたら、私もうれしくなりました。スキーの先生方、ありがとうございました。
私が一番長く研修した場所は、デフNet.かごしまです。代表はろう者の女性である澤田さんです。私は澤田さんの団体のお話を聞いたときからずっと研修に行きたいと思っていました。デフNet.かごしまには5つの事業がありますが、そのうち3つについてご紹介します。
ここは、ろう者とろう重複者が一緒に働く場所で、手芸や洋裁を行っている作業所です。知的にも障がいがあるろう重複者には、障がい特性に合わせて作業を提供していました。特性に合った仕事をしてもらうことが、効果的であることが分かりました。私も手芸作業に参加しました。そのときにすばらしいアイディアを教わりました。洋裁をしていると、端切れが出てきます。もったいないなと思いながらも、いつも捨てていました。ぶどうの木では、端切れを集めて、かわいい動物のマスコットを作っていました。こういった小物は、ちょっとしたプレゼントとして喜ばれますし、捨てていたものから収益を生むこともできるのがすばらしいです。
ここでも、ろう者とろう重複者が一緒に働いており、ワッフルの製造・販売を行っていました。私もワッフル作りを経験してみましたが、とても難しかったです。ろう重複障がいのある人たちのほうがずっと早く、上手に作業ができました。とても美味しいワッフルなので、皆さんにもぜひ食べてみてほしいです。
ろうの子どもたちは、昼間は学校に通っています。放課後になると、スタッフか親が学校まで子どもたちを迎えに行き、デフキッズに集まります。デフキッズは子どもたちの単なる遊び場ではなく、宿題をする子どももいて、スタッフがそのサポートをしたりもします。デフキッズに通う子どもたちの両親も手話ができます。ですから、親は子どもと何でも話せます。また、スタッフは手話が堪能なのはもちろんですが、専門知識を持っており、どのように子どもたちを指導したらいいかよく分かっていました。
デフキッズでの研修で気づいたことは、心が通じ合うためにはコミュニケーションがもっとも大切だということです。ろうの子どもの場合、コミュニケーション方法は手話が望ましいです。次は知識です。私もモンゴルに帰ったら、多くのろう者に日本での学びを伝えたいと思いました。
来日したときは、ろう児のアイデンティティを確立したいと考えていましたが、日本で研修をする中で、まずはろうの女性の支援をしたいと思うようになりました。私の友人にモンゴルのろう女性のリーダーがいますので、彼女に協力を仰いで一緒に洋裁教室を立ち上げたいです。彼女はろう女性協会の運営に携わっていて、私は日本でいろいろなことを学びました。私一人だけではできないことなので、お互いに助け合ってプロジェクトを進めたいです。
モンゴルでは親と一緒に暮らしてして、自立できないろう者がたくさんいます。就労支援をして、ろう者も自分で給料をもらって自立した生活ができるようにしたいです。
ろうの子どもと親は手話で話さなければ、心を通いあわせることができません。手話指導を通して、ろう児とその親のコミュニケーションを支援したいと思っています。
私たちはいろいろなところに研修に行き、たくさんの知識と情報を得ることができました。私たちは9月の来日時と比べると大きく成長しました。これも、ダスキンの皆さんのおかげです。お世話になったすべての皆さんに感謝しています。ありがとうございました。