明るい未来を目指して ~エンパワーされた障がい者~
私が日本で学びたかったことは、主に3つありました。
①アクセシビリティ、②教育支援、③視覚障がい者の雇用
これらの目的を達成して、ネパールの障がい者の明るい未来を作りたかったので、私はネパールから日本へ来ました。
日本へ来る前、私は日本語がぜんぜんわかりませんでした。どうやって日本語と日本語の点字を勉強すればいいのか、私はとても心配しました。最初は日本語と日本語の点字を学ぶのは大変でしたけど、先生たちは親切に教えてくれましたから、日本語で話せるようになりました。日本語の点字が分かるようになったのでうれしいです。私は日本語を使って、ネパールと日本の友情を深めたいです。
3ヵ月の日本語の勉強が終わったら、集団研修が始まりました。集団研修では、日本の福祉、日本の教育支援、雇用の支援、リーダシップ、国連障害者権利条約、情報アクセシビリティについて学びました。私は日本の障がい者福祉支援は自然にできたものはないと思いました。たくさんのパイオニアの努力が今の状況を作ったと思います。日本の障がい者運動から学んだことを使ってネパールの状況を変えたいです。
集団研修が終わったら個別研修が始まりました。
個別研修の最初はホームページの作りかたを学びました。学んだことを使って、私の団体「アクセスプラネット(accessplanet)」のホームページを作りました。ネパールに帰ってから、そのホームページを始めます。
今年の2月に私は支援技術開発機構(ATDO)で2週間デイジーを学びました。オーディオデイジー、テキストデイジーとマルチメディアデイジーの作り方を学びました。私はネパールに帰ってからもデイジーの本を作りたいですから、この研修はとても印象的でした。
ダスキン研修での私の目的のひとつは、視覚障がい者の教育について学ぶことでした。私は1週間、京都のNPO法人ゆにで日本の障がい学生のサポートについて学びました。そこで私は京都精華大学と立命館大学へ行って、障がい学生支援室の見学をしました。ネパールの大学で障がい学生支援室はありません。私は筑波技術大学が作った聴覚障がい者の教育のための遠隔パソコンノートテイクのアプリも勉強しました。そのアプリを使うと、聴覚障がい者はインクルーシブに教育を受けることができますから、そのアプリはとっても便利だと思います。
大阪にある日本ライトハウスの3週間の研修でも、私は視覚障がい者の教育のサポートについて学びました。点訳のために使ういろいろな機械と技術について学びました。日本ライトハウスで点訳とデイジーの本を作るためにたくさんのボランティアさんのサポートを見て、私はすごいと思いました。ひとりの視覚障がい者の学生が勉強している豊中市立中学校の見学を通して、インクルーシブ教育のためのサポートも学びました。
5月には筑波技術大学で研修をして、そこのバリアフリーをみたり、視覚障がい者の教育のサポートについて知識をもらったりしました。
そのあと、1週間の研修で筑波大学視覚特別支援学校へ行って、視覚障がいのある子どもにわかりやすく勉強を教える方法をならいました。私は視覚障がいのある子どもの教育をよくするために使ういろいろな道具と技術を見ました。化学、音楽、美術、英語、鍼とマッサージのクラスを見学して、効果的な教育方法について学びました。
ダスキン研修での私のほかの目的は、日本の視覚障がい者の雇用についてならうことでした。高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合支援センターの研究者の指田先生から視覚障がい者の雇用について細かく丁寧に教えてもらいました。
京都のNPO法人ゆにの研修で私は公立の学校で英語を教えている視覚障がい者の先生と会いました。視覚障がいのある先生が、公立の学校で教えるとき、どんな支援があるか、学生にとってどんないい効果があるかについて話しました。
日本ライトハウスの研修で、大きな会社のヘルスキーパー, 市役所や工場の事務など、視覚障がいのある人の職域について知ることができました。
それから、浜松のウイズとか北九州のあいずで視覚障がいのある人ができるいろいろな仕事についてならいました。仕事を簡単にするために視覚障がい者が使ういろいろな道具を見ました。
日本のアクセシビリティはとても便利です。点字ブロックと音の出る信号を使って私はひとりでどこでも行くことができます。公共の場所はアクセシブルですから、私はひとりでいろいろなことができます。ネパールにはありませんが、触って認識できるものをたくさん見ました。
もうひとつ日本で学んだことはクロスディスアビリティです。研修生の中で二人は視覚障がい者、二人は聴覚障がい者で、もう一人は車いすを使っています。みんなでどうやって生活をすればいいか、どうやってコミュニケーションをすればいいかと最初は心配しましたが、その方法をみんなで作りました。
お正月のとき、私は京都の竹下さんの家でホームステイをしました。最初は日本人の家で1週間何をしようかと不安でした。でも1週間のホームステイは楽しかったです。ホームステイで私は日本の文化と日本の生活をならいました。お正月のおいしい食べものもたくさん食べました。京都のきれいなところにも行きましたが、竹下さんはいつもいろいろな物を触らせてくれたり、説明してくれたりしたのでよくわかりました。視覚障がい者はどうすれば観光を楽しめるかもならいました。ホームステイは本当に楽しかったです。
今年の1月、新潟へスキーに行きました。最初は怖かったですけど、だんだんスキーができるようになりました。スキーは私にとって本当にアクセシブルでした。
研修を通して、日本と日本のライフスタイルを楽しみました。たくさんショッピングもしました。サウンドテーブルテニスもやりました。このスポーツをネパールでも広めたいです。大阪で二人乗りのタンデム自転車に乗ったり、浜松でウイズのメンバーと花見を楽しんだりしました。浜松では初めてロープウェーに乗りましたし、太平洋も見に行きました。北九州で人力車に乗りました。海の中のトンネルにも行きました。おみくじもしました。おもしろかったです。
5月にディズニーランドに行きました。そこには、触地図や乗り物の小さな模型がありましたから、ここがどんな場所でどんなアトラクションがあるのかがよく分かりました。ただ遊ぶだけじゃなく、どうすれば視覚障がい者もアトラクションを楽しめるかを学ぶことができました。
私はネパールの障がい者の明るい未来を作りたくて日本に来ました。それを実現するためには、教育と収入を良くすることが大切だと研修を通してわかりました。ですから、ネパールに帰ったら、私は教育と雇用について活動をしたいと思っています。
ネパールでは今まで障がい学生支援室がある大学がたった1つもありません。ですから、障がい学生支援室を政府と一緒に立ち上げたいです。
それから、私の国には視覚障がい者の国立図書館もありません。点字の本を作るのはお金がかかりすぎます。そしてネパールは山が多いですから、点字の本を移動させるのは大変です。ですから私はデイジーの国立図書館を作りたいです。
ネパールで視覚障がい者と障害のない人が一緒に勉強する学校は79あります。それらの学校でコンピューター教育を始めたいです。
聴覚障がいのある学生のために、遠隔パソコンノートテイクの情報も教えたいです。この技術があったら、聴覚障がい者は大学で勉強するのがやさしくなります。今も聴覚障がい者は大学に行くことはできますが、サポートが全然ありませんから、勉強するのは大変です。
ネパールの障がい者は、仕事を探すのが難しいです。私は障がい者のために仕事を探すセンターを作りたいです。そのセンターでは障がい者が技術を身につけることができます。それから障がいのある人を雇用するように会社を啓発します。
ダスキン研修は私にとってすばらしい学びの経験でした。日本で過ごした貴重な時間を私はけっして忘れません。日本の障がい者運動から学んだことを使えば、ネパールの状況もよくすることができると思います。
サポートしてくれたみなさま、ありがとうございました。日本語の先生、ホームステイの家族、個別研修で訪問した団体のみなさま、集団研修の先生、ボランティアさんに感謝しています。これからも、ネパールの障がい者の状況をよくするために協力してくれたらとてもうれしいです。
日本障害者リハビリテーション協会(JSRPD)のスタッフは私たちをいつも見守ってくれました。ありがとうございました。私といい友だちになってくれた研修生のみなさんにもお礼を言いたいです。私は研修生のみなさんとJSRPDと一緒に活動をしたら、アジア太平洋地域の障害者の状況が良くなると信じています。
最後になりましたが、この研修を可能にしてくださった、ダスキン愛の輪基金のみなさんとダスキンファミリーのみなさんに心から感謝しています。
どうもありがとうございました。