Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ヒヨウ・ティー・ルーのファイナルレポート

私を一変させた日本の旅

私は2019年9月に来日しました。アクセシブルなインフラが整い、私の国ベトナムとまったく異なる文化がある先進国で生活するという期待感でわくわくしていました。しかこの滞在は驚きに満ち、思ってもみなかったことが次々に起こる、私が想像していた以上に私の人生を一変させるものとなりました。日本でのダスキン研修生としての私の旅路は、自分の生涯の目標を探し、将来なりたいと思う自分を見つける旅となりました。2020年、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、このため当初の計画通りに帰国できない事態になってしまいました。これまでのダスキンの研修の21年の歴史の中で、もっとも長く日本に滞在することとなる研修生となってしまったのです。このレポートは、日本に到着してから私がどのように変わっていったかを手短にご紹介するものです。

日本に来て、私は他の3人の研修生アンジュさん、アリさん、アーワンさんと共に3か月日本語を勉強するカリキュラムを履修しました。日本語の授業では新しい文化に触れただけでなく、新しいコミュニケーションの方法を学ぶこととなりました。日本の人たちは非常に礼儀正しくコミュニケーションすること、また日本の人たちが他の人の話に反応するやり方など、さまざまな新しい表現を学びました。このおかげで、私も以前より自信をもって人と話せるようになりました。

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日本語の授業以外には、障害者を対象とした日本の福祉サービス制度や、リーダーとなるうえで必要なソフトスキルなどを題材にしたさまざまなグループ研修がありました。たくさんのことを学べて、ベトナムの現状との良い比較になりました。もっとも印象深かったことの一つが、「ドリームマップ」の作成です。自分が将来どのようになりたいかについていろいろな設問があり、それに答える形式なのですが、私はそれまで何事にも一生懸命当たっていたものの、将来どうするか考えたことがなかったので、このセッションで自分の将来像を描き、自分のなりたいと思うリーダー像を描くことができました。ドリームマップは大変良いツールだと思います。ベトナムの友人たちにも是非紹介して使ってもらいたいと思っています。

個別研修では、開始と同時に私の自立生活経験プログラムも開始になりました。2020年のお正月休みには、石井雅子さんのお宅にホームステイでお邪魔しました。石井さんは神戸の「自立生活センター・リングリング」のスタッフです。ホームステイは、それまで勉強した日本語を初めて実地に活かす経験となりました。ほとんど何もわからない中で、石井さんのお母さんは大阪弁で私に語り掛け続けてくださったのですが、私は分かっているような振りをしてニコニコしているしかない有り様でした。しかし数日するとホームステイの生活や大阪弁に慣れてきて、楽になってきました。この間は自立生活センター・リングリングの皆さんと会ったり出かけたりしましたが、それ以外にもいろいろ新しい経験をしました。たとえば着物を着たこと。たこ焼きを作ったこと。有馬温泉でお湯に浸かったこと、などです。わずか10日のお休みでしたが、日本の文化に深く触れることができました。

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個別研修では2つの福祉施設を訪れました。一つは岩手の田野畑村にある「ハックの家」です。ハックの家は知的障害のある大人・子供を支援する施設です。ここではたくさんの子供たちに会い、どのように施設で一緒に過ごすのか見せていただきました。次に訪れた施設は福島の「こころん」です。ここは農業や里山を活かした就労支援施設です。ここでは農業による事業や、精神障害のある人たちとの作業について学びました。

こころんの後は、さまざまな自立生活センターを訪れ、日本の自立生活センターについて学ぶ機会が与えられました。 最初の2つは、神戸の自立生活センター・リングリング、そして八王子のヒューマンケア協会でした。ここでは自立生活のコンセプトを学んだほか、ピアカウンセリングの練習をしました。自立生活については何年も前に聞いたことがありましたが、コンセプトを実地で行動に移している人たちにお会いしたのは初めてだったので、大変嬉しかったです。自立生活がどのように日本で始まったのかや、自立生活センターの現在の役割などについて話してくださいました。

次に向かったのは、メインストリーム協会でした。パンデミックの状況だったので、当初1か月とされていた研修の期間が3か月に延長され、おかげで自立生活のコンセプトのほか、社会保護施設ではなく自立生活センターのサービスを利用しながら地域社会で暮らす人たちの生活について学ぶことができました。西宮駅に到着したときにはメインストリームの皆さんが100人も出迎えてくださったのでびっくりしました。まるで有名な歌手にでもなって、ファンが待ってくれていたかのような気分になりました。メインストリームの皆さんと過ごす中で、仲間を持つことの力強さとパワーを心底感じました。自立生活センターを運営するには、仲間が必要です。そしてメンバーの間に同じ価値観があることが大切です。メインストリーム協会では、書類やテキストなしに、このことを実地で教えていただいて感謝しています。メインストリームでの活動を見て、聴いて理解することができました。

東京に戻る前に、「自立生活センター夢宙」と、「自立支援センターぱあとなぁ」も訪れました。また新しく友達ができてとても楽しかったです。

10か月の研修を通じ、バリアフリー社会、また障害者のエンパワメント、仲間同士のサポート、障害者を対象とした介助サービス、就労支援など、障害者が地域社会で自立して暮らす上で大切なことを学びました。

日本に着いて最初に印象に残ったのは、大都市のバリアフリー環境でした。日本では電車やバスに乗って一人でほとんどどこでも行けますし、公共のビルも障害者にアクセシブルにできています。障害者の先輩がたが権利擁護を頑張り自立生活運動を展開してきたおかげであることも分かったので、電車に乗るたびに感謝の念を覚えました。一人で車椅子でどこでも行け、自由な気持ちになれたことは、私にとってとても意味がありました。ベトナムをアクセシブルな国にしようという勇気が湧いてきたからです。もちろん時間のかかることだとは思いますが、あきらめないつもりです。

ヒューマンケア協会と自立生活センター・リングリングでは、ピアカウンセリングを体験しました。日本語でのピアカウンセリングはなかなか大変でした。時々、何を言われているのか理解できないことがありましたが、ピアカウンセリングによって、自分と自分の障害を大切にすることを学びました。「自分自身を大切にする」はどんな人にとっても、そしてとくに障害者にとって、大切な心構えです。ベトナムに帰ったら多くの友人にこのことを伝えたいと思います。自分を受け入れることができれば、人生で次のステップに進めますし、よりよい生き方をするにはどうしたらいいか見定められるからです。

自立生活のコンセプトで学んだ重要なポイントの一つが、障害者は自分で決断を下し、その決断について責任を持つ、ということです。これがどういうことを意味しているのか、当初は分かりませんでした。メインストリーム協会でできた新しい友人たちが介助サービスを利用しているのを見るまで分かりませんでした。たとえば、料理する場合、介助者(PA)は障害者の人がお願いした通りに料理します。そして出来た料理がおいしくなくても、それは介助者の責任ではなく、料理をどういう風にするのか決断した障害者の責任です。この経験は本当に目から鱗でした。PAはケアワーカーとは全く違うのです。そして、障害者が家族の重荷とならずに尊厳をもって生活することを可能にする、素晴らしい仕事です。政府が自立生活センターに助成金を出してユーザーに対しこのサービスを提供できるようにしていることも素晴らしいです。障害者は何もかもぎりぎりまで自分でやらなくても済むようになり、結婚も含め、したいことをする時間とエネルギーの余裕が生まれます。私にとってこの気づきは大変意味のあることでした。ベトナムでは、いつでも、頑張って歩きなさい、と会う人すべてに言われ続けてきました。しかし日本では、電動車椅子を使うことで時間ができ、自分の趣味である写真を撮ることに振り向ける余力も生まれました。つまり、自立生活とは、すべてを自分でやることではなく、充分なサポートと合理的配慮を受けて、自分自身で物事を決め、結果について責任をとることである、と学んだのです。神戸の須磨海浜水族園でメインストリームの脳性まひのスタッフによるグループの仲間と笑い合ったことを思い出すたびに、メインストリームでの自立生活の素晴らしさを思い出します。このときのことを思うと、私たち人間はそれぞれ誰であっても、どんな障害があろうと、自分の人生に対して決断を下す自由を謳歌する権利がある、という思いを新たにさせられます。

新型コロナウイルスの感染の状況下、帰国のフライトの調整がつくか待っている中で、私たち4人の研修生は幸いにも障害平等研修に参加することができました。非常に有意義な研修で、障害の定義について、また何をしたら社会を変えることができるかの新しいアプローチについて、そしてそれを他の人たちとどう共有するかを学びました。

この後、私を除く3人の研修生は帰国の途に就きました。残された私は様々なソフトスキルの研修や、関心のある実証実験などに時間を使って知識を磨こうと決めました。中でも写真撮影の研修を手配していただけたのは大変嬉しかったです。プロの写真家のようにカメラを使って撮影しようとは考えたこともありませんでしたが、ニコンのカメラを使ってからは、カメラのレンズを通して物を観察するのが大好きになりました。また、写真のおかげで、自分の視点を分かち合える仲間もできました。帰国したらこうしたスキルを活かして障害のある人たちについての前向きなイメージを広めていきたいと思っています。

また、美術館に行ったり絵画を描くクラスや焼き物のレッスンに参加したり、映画を見たり、ペットカフェを訪れたりと、さまざまな芸術・エンターテインメント関係の活動にも参加しました。サッカーも見に行きました。こうした活動を通して、知識だけでなく、車椅子ユーザーのためにこれらのサービスがどのように設計されているかを学ぶことができました。また、DPIの佐藤さんによる、アクセシブル・スタジアムの講義からは多くを学びました。

さらに、再び八王子を訪れて、社会福祉企業の活動を見学するチャンスもありました。ここではさまざまな障害を持つ人たちが一緒に働いていました。とても良い経験でしたので、この経験についてレポートをまとめ、ベトナムの友人たちに送りました。この友人と日本モデルに基づいてどうやって職業研修センターを立ち上げられるかの議論にもつながりました。

最後に残った唯一の研修生になったおかげで、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さんのお手配により、雑誌のモデルをするとか、盲導犬の協会を訪問するとか、美容の仕事に関わっている人たちに会うなどそれまでの研修の歴史にない初めての経験をする機会にも恵まれました。こうした「初体験」によって、日本の障害者の人たちにはより広範な道が開けていることを知り、こうした皆さんがどのように全ての人が同じ権利を享受できるインクルーシブな社会を作ろうとしているのかを目の当たりにすることができたので、大変貴重な経験でした。

健康はとても大切ですから、滞在中はリハビリのクリニックに通ったり、新宿区障害者福祉センターのマッサージサービスを受けたりしました。また、電動車椅子サッカーをしたり、アジアの障害者活動を支援する会(ADDP))のユニバーサル・スポーツフェスティバルに参加したりしました。こういった運動のおかげで、自信がつき、生活も楽しくなりました。ベトナムでも脊髄損傷の仲間たちとこうした経験を分かち合いたいと思っています。

2年続けて日本でお正月を迎えるとは思っていませんでしたが、ライフクオリティ・カーザを清里で経営する盛上さんご家族とお正月を過ごせたのはとても楽しかったです。一緒に花火を見に行ったり、星を見たり(でも雪がすごかったです)、美味しい食事をたくさんご一緒しました。一年で一番大切なお正月という時間に、私の家族になってくださったのでした。

ここまで書きましたが、ここではこの一年で経験したことは書ききれません。最後にもう一つ、日本でとにかく印象に残って、おそらく生涯忘れることがないであろう出来事は、日本の落とし物サービスです。お正月が終わってすぐ、私は財布を無くしてしまいました。日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの方に付き添っていただいて、交番に落とし物をしたことを言いに行きました。見つかることはないだろうと思っていました。しかし、3時間もしないうちに見つかったのです。たまたま幸運だったのかもしれませんが、交番に行って警察の人と話すなどということになろうとは思ってもいませんでした。そしてなんと日本の警察の人がフレンドリーだったことか!こうして書いていても、どれだけ自分が日本を好きになったかをつくづく思い知らされます。日本を後にするのはとても辛いです。

しかし、帰国して国の障害者のコミュニティや自立生活運動に貢献したいと思います。何をすることになっても、私にはこれからの旅路をサポートしてくれる大きな日本の家族と友人たちがついていてくれています。

この研修を最後までサポートしてくださり、家に帰るのが難しくなってしまってからも支援してくださったダスキン愛の輪財団に心から感謝します。また、この旅路は、日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さんのお手配と励ましがなくてはこれだけ有意義なものになり得なかったと思います。また、メインストリーム協会、ヒューマンケア協会、自立生活センター・リングリングの皆さんのお導きとサポートがなければ、自立生活のコンセプトを理解し、どのように自立生活運動が社会を変えるかも、理解できませんでした。新型コロナウイルスの感染拡大の中で、多くの友が私のことを心配し手を差し伸べてくださり、このおかげで「たった一人の研修生」である辛さを克服できました。ダスキンの研修生になれたことは生涯で一番の誇りです。この経験で得た知識、思い出、愛情は私の翼となって、ベトナムの障害者の人たちにより良い生活をもたらすという私の夢を支えてくれるでしょう。

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