すべてが可能になる:ろう者コミュニティ
私はバスティアン・コーララゲ・ディルシャン・カヴィンダ・ロドリゴといいます。生まれたときから耳が聴こえませんでしたが、高等教育に在学中に、ろう者コミュニティの存在を知りました。このコミュニティにおけるコミュニケーションの方法と、社会でのコミュニケーションの方法はずいぶん違っていることを目の当たりにしました。
スリランカのような発展途上国では、ろう者のコミュニティの権利はあまり進んでいません。したがって、スリランカのろう者のコミュニティはコミュニケーション、就労、権利、高等教育、生活環境などで多くの障壁に直面しています。このため、そして私自身ろう者であるため、私はろう者コミュニティの発展に尽力しました。2013年に、活動メンバーとしてガンパハ地区の聴覚障害者協会のサポートを始めました。2014年に協会の人たちはスリランカの言語であるシンハラ語の知識のある私をガンパハ地区聴覚障害者協会の事務局長にすることに決め、それ以来、この職を務めています。
2015年からは、スリランカの聴覚障がい者コミュニティを発展させるため日本でもっと知識や経験を積もうと、4度にわたりダスキンリーダーシップ研修の参加に応募を続け、幸いなことに2019年、第22期の研修生として参加できることが決まりました。
この機会を通して、4つのことを経験し、知識を得たいと思っていました。ろう者の就労、ろう者のための教育、ろう団体の機能、そしてろう者の人権です。
第22期生に選ばれたものの、コロナのパンデミックのせいで、研修は1年遅れることになってしまいました。2021年からは、日本語の基礎と日本語手話のレッスンがZoomで行なわれました。オンラインで学習を開始した日本語や日本手話は、来日後の研修でのコミュニケーションに役立ちました。
そして2022年4月23日、ついに、コロナウイルスの厳しい制限や規制下ではありましたが、日本に来ることができました。日本に到着し、隔離期間が終わってからは、先生と対面での日本語と日本語手話の授業、そしてグループ研修が始まりました。グループ研修では、結束、ポジティブ思考、障がい者として困難にどのように立ち向かうかなどの知識と経験を得ました。
研修の間訪れた施設では、高齢のろうの者のお手伝いをしました。スリランカでは、高齢になったろう者には選択肢がなく、家にいるしかありません。このような施設がスリランカにも間違いなく必要だと感じました。
同様に、知的と聴覚の重複障がいのある人たちの日々の生活やケアの援助ができる施設も必要だと痛烈に感じました。
また、ろう者に対する情報を提供している施設や、手話通訳者の育成についても学びました。
日本では、多くのろう者が自営業を営んでいます。日本で見た自営業の方法をろう者にも共有したいと思いました。
日本には、ろう者、聴覚障がい者のための大学もあります。ここでは、学生が必要かつ適切な情報がどのように提供されているかを見学しました。
日本のろう学校や放課後デイサービスでは、ろうの子供たちの学習をサポートするための、視覚情報をたくさん使った学習指導方法も見学しました。スリランカでは見たことのないものでした。
日本では多くのことを見て、多くの気づきがありました。スリランカでもプロジェクトとしていくつかを実施したいと思います。
日本に来てからは、障がい者のための公共の設備がとても多く、日本の人たちも親切でフレンドリーであると感じました。
日本人は国民性として物事を細かくまた正確に徹底し、時間をきっちり守ることが身についています。このおかげで学生のしつけが行き届いてきちんとしていると感じました。
また、環境をきれいにすることについて熱心なため、ルールが徹底され、道路や公共交通機関がきれいなのだとも感じました。
ろう者にとっての就労機会は会社で働くことだけでなく、自営への取り組みも考えられるべきだと確信を持ちました。
ろうの子供たちを対象にした教育も、ろう者と健聴者のギャップをなくすために変えていかなければならないと感じ、そうした活動を支えていきたいと感じました。
また、ろうのコミュニティ自体も活性化させ、ろう者の権利運動などを通じて、意識向上に努めていかなければと思います。
スリランカのガンパハ地区聴覚障害者協会の一員として、日本の研修で学んだことを協会で活かしていきたいと思います。
日本で一番興味深かった経験は、兵庫で、ろう者が手話の知識を社会に広めようと自分で一から考えて始めたカフェでした。
スリランカに戻ったら「You with Deaf Us (あなたとろう者と共に)」と名付けてカフェを始めたいと思います。そうすることでスリランカの聴覚障がい者の就労機会が広がれば、と考えています。
その計画が成功したら、10年目くらいを目処に成人のろう者を対象としたケアセンターを開設したいと思っています。
ダスキンのプログラムには4回応募しましたが、幸い年齢制限で応募資格を失う前に第22期の研修生としてスリランカを代表して参加することができました。これまで努力することで成功を収めてきたので、ろう者のコミュニティのために将来私が努力すれば達成できると信じています。日本の人たちの生活からは、献身的に努力すればなんでも克服できるのだと学びました。
日本に来るというこれまでの人生で最も大切な経験をさせていただいたダスキン愛の輪基金、私を日本で指導してくださった先生方やろうのリーダーの皆さん、日本障害者リハビリテーション協会の那須さんをはじめとする皆様、戸山サンライズのスタッフの皆様すべてに御礼を申し上げます。皆様がまた次のダスキンの研修生たちにとっても大きな力になりますように。