Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ジャスミン・センテアノ・アンビオンのファイナルレポート

フィリピンの障がい者のために変化をもたらしたい

私がダスキンリーダーシップ研修で学んだ最も大切なことは、成長と自己発見です。研修では生涯忘れることのないであろう体験と学び、そして障がい者コミュニティのよりよいリーダーとなるための体験と学びを得ることができました。

コロナウイルス蔓延のため、私たちの研修は2年ほども延期になりました。私たちが日本に来る前にオンラインで日本語を学ぶ初の研修生となったのはこれが理由です。先生方から教えていただき、知り合うことは楽しかったのですが、研修自体がパンデミックのせいで中止になってしまうのではと、心配でたまりませんでした。なので、2022年4月にようやく日本に行けることになって、大きな安堵を覚えました。

飛行機から降りて一番先に目についたのは、点字ブロックがそこかしこにあることでした。目が見えない私としては一人で移動するのに助かるので、大変嬉しくなりました。信号も音が鳴り、ほとんどすべてのエレベーターも何階なのか教えてくれ、ボタンのところには点字も書いてあります。電車の駅でも、いずれも視覚障がい者や車いす利用者を支援する仕組みが採られていて感銘を受けました。どこの駅でも、駅員たちが障がい者をサポートしてくれました。

東京での最初の月の研修は、日本語、日本語の点字、オリエンテーションと歩行訓練でした。自分一人で初めて駅まで行けたときにはとても解放感を得ました。その後は、グループ研修となりました。

グループ研修では、障害者権利条約のほか、日本で行なわれてきたさまざまな障がい者運動、また障がい者を支援する福祉制度について学びました。また、日本におけるさまざまな障がいの過去と現在の状況、そうした人たちに対する支援活動の状況、課題解決がどのように行なわれてきたかも学びました。また、日本の障がい者の就労、教育、さまざまな法律についても学び、研修生みんなで東京の国立競技場など、さまざまなバリアフリー施設を見学しました。

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日本政府が提供しているさまざまな医療的・経済的支援について学ぶのも大変興味深い経験でした。日本では障がい者は無料で介助者の助けを得たり、毎月決まった時間数で無料のサポートサービスを受けたりできます。こうした支援によって障がい者の自立生活が可能になっています。グループ研修では視覚障がい以外にもさまざまな障がいについて学ぶことができたので有意義でした。また、研修を受けているうちに、どれだけ強く自分がフィリピンの障がい者のために変化をもたらしたいと思っているかにも気づきました。フィリピンの障がい者も日本のような支援を政府やいろいろな人から受けられるようになれば、と思います。

グループ研修では、研修以外の場でも東京の人たちとお友達になることができました。例えばアキレス・インターナショナル・ジャパンやバンバンなどランニンググループの活動に参加して、ほとんど毎週末、目の見える人とパートナーを組んで走ったり歩いたりする練習会に参加しました。また、初めてブラインド・ヨガも体験してみました。フィリピンでは視覚障がい者のためのこうした活動はありませんから、こういった経験をできて大変嬉しかったです。

7月になって個別研修が始まると、いろいろな団体を尋ねたり、さまざまな場所に行ったりすることになりました。研修計画の主眼は、障がい者の就労、アクセシビリティ、インクルージョンでした。最初の個別研修は支援技術開発機構(ATDO)で行なわれ、アクセシブルな図書の重要性や、自分でDAISY図書を作成する方法などを学びました。また、障害平等研修にも参加し、障がい者のインクルージョンに有効なファシリテーションの技術について学びました。フィリピンで障がい者に対する意識向上活動をしたいと思っているのでとても有用なスキルでした。

その後、東京およびその周辺で視覚障がい者の就労支援をしている団体を訪問しました。また、NHKも訪問し、視覚障がいのあるジャーナリストや、人事部スタッフを紹介していただき、NHKで行なわれているインクルージョン活動、なかでも障がい者の就労やアクセシビリティについて説明を受けました。日本はしっかりした障害者支援制度があります。しかし、個別研修の中で、日本でも障がい者にとって仕事に就き、また仕事を維持するのは大きな課題であると学びました。このため、NHKでインクルージョンのための活動が続いていると聞いたことは新鮮に感じました。

東京以外で訪れた最初の団体は、大阪の日本ライトハウスでした。ここでは点字やオーディオ図書の製作、図書館システム、盲導犬について多くを学びました。日本における障がい者として、ご自身の就労体験についてスタッフの方の話を聞く機会もありました。また、日本ライトハウスの視覚障害者リハビリテーションセンターで行なっているICT研修や就労支援についても学びました。また、国立民族学博物館では、視覚障がい者が展示品に触ってイマーシブ経験ができる仕組みを見学しました。最後に、お盆の時期、京都でホームステイをし、織物や焼き物作りを体験しました。

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大阪では生まれて初めてホテルのレストランに一人で行き朝ごはんを食べました。コンビニに行って自分の食べ物を一人で買ったのも、研修の場所である日本ライトハウスに一人で行くのも、すべて初めての体験でした。クラブの人たちと出かけてタンデム自転車に乗るのも初めてでした。多くの人にとってこういうことは毎日する、ごく普通の体験だと思いますが、私にとっては普通のことではありません。こういう小さいことを達成したとき私が感じた自由と幸せは、生涯忘れることがないでしょう。自分にそういうことをする勇気があったのだと気付いたことも、嬉しかったです。

京都のゆにでは、聴覚障がい者向けサービス、なかでもキャプションについて学びました。また、大学を訪れ、さまざまな障がい者支援活動について学びました。その翌月は、大阪の夢宙センターに行き、自立生活について多くを学び、さまざまな肢体不自由の人たちと一緒に過ごすことができました。彼らからは、自分ができないことを人にしてくださいとお願いすることは、自分が自立していないということではないのだと、教えてもらいました。助けをお願いすることは恥ではなく、それによって人は自分を判断することもない、そして自分をいつも完璧に見せて社会に受け入れてもらう必要もないのだ、と教わりました。夢宙センターでは誰もが自分らしく過ごし、障がいがあっても楽しく充実して暮らしていました。このことは、自国に持ち帰りたいことの一つです。

個別研修の最後の場所は静岡県でした。ウィズで、重複障がいのある人たちの就労支援について二週間、学びました。障がい者たちが効率よく働けるように、いろいろな道具が使われていました。私も土産品の包装や、電子部品のカウント、点字の名刺作りなどを体験しました。大変良いプログラムでしたので、フィリピンにも同じことがあればよいのにと感じました。

11月、個別研修の終了後は、東京に戻って再びグループ研修に参加しました。行動計画の作り方について学びましたが、自分たちの目標の進捗をモニタリングするのにとても良いと思いました。また、有効なプロジェクトの企画書の作成方法についての授業にも皆で参加しました。私たち研修生のほとんどがそれぞれ自国に帰ったのちプロジェクトを始めようと考えていたので、とても重要な学びでした。また、日本財団も訪問し、そこで実施している素晴らしいプログラムについても教わりました。最後は、東京で私たちがプレゼンテーションを行なうことになりました。15分、日本語でプレゼンしなければならないうえ、日本語の点字を速く読むことができないためすべて暗記しなければならず、このうえなく緊張しました。ちゃんとプレゼンができたときにはとてもいい気分になりました。

研修で訪れたさまざまな場所、参加した研修、そしてその道筋で出会った多くの人たちは、心からいつまでも消えることがないでしょう。ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会、そして研修の間私の面倒を見てくださった団体のすべての皆さんに、感謝してもしきれません。

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