人生の分岐点
私の名前はウェン・ルウットです。生まれは、カンボジア北東部のバッタンバン州です。
ダスキンリーダーシップ研修の正式な研修生として選ばれたときの喜びは、言葉で言い表せません。単なる満足感ではありませんでした。
私の研修は2020年9月初旬に始まって2021年6月半ばに終わる予定でした。しかし同時期に、世界は新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われ、結果的に私は計画通り日本に行くことができなくなりました。
この結果、研修の第一ステップとして、Zoomのオンライン授業で日本語を習うことになりました。オンライン活動ではまったく日本の文化、食べ物、人々などについて分からない中で、言葉を学ばなければならないという状況でした。本レポートでは簡単に、日本での体験で自分がどのように変わったかを説明したいと思います。
研修生はそれぞれいろいろな国から来ていました。カヴィンダ、ウイ、ゾー、ジャスミン、そして私です。私の研修はまず一か月日本語を習うところから始まりました。日本語の授業では、新しい文化だけでなく、新しいコミュニケーションの方法を学ぶことになりました。
また、研修生は全員、日本の障がい者を対象にした社会サービス制度および、リーダーになるためのソフトスキルについてのグループ研修をたくさん受けました。大変多くを学び、日本の状況をカンボジアと比較して考えることができるようになりました。
もう一つ私がグループ研修で学び理解したいと思っていたのは、非営利団体(NPO)の運営と、プロジェクトの企画書の書き方です。この2つは、組織を立ち上げて上手く持続して運営していくために非常に大切です。
これまでの研修で、プレゼンテーションのスキルをいろいろな行動や活動を通して学んだことによって、大勢の聴衆の面前で自信をもって大切な情報を伝えるにはどうしたらよいかが、わかるようになりました。
ヒューマンケア協会では自立生活プログラムについて学びました。最初は、自立生活とは何のことなのかさっぱり分かりませんでした。ヒューマンケアでの一番の研修はカウンセリングと自立生活プログラムでした。ヒューマンケアで初めて、自立生活プログラムのコンセプトについて学び、だんだん理解できるようになりました。
次の研修ではAJU自立の家を訪れました。わずか二週間の研修でしたがたくさん友人ができ、その人たちからいろいろなことを教わりました。彼らは私を車いすで行ける場所にたくさん連れていってくれました。
メインストリーム協会では2か月を過ごしました。このほか自立生活夢宙センターや、自立支援センターぱあとなぁなどを訪れました。こうした自立生活センターでは、思っていたよりも多くのことを学びました。自立生活の学び手は、ただ制度として自立生活がどうなっているのか習ったり理解したりするだけでは不十分です。メインストリーム協会と自立支援センターぱあとなぁでは実地の体験をし、介助者のサポートを得てお風呂にも入りました。
メインストリーム協会のスタッフの皆さんとは、興味深い、楽しい思い出がたくさんあります。皆さんとは関西の有名な観光スポットをいろいろ尋ねました。まもるさんとは神戸に旅しましたし、メインストリーム協会での私の研修のコーディネーターである平田さんとは水族館に行って、いろいろな海の生物を見ました。
京都でもさまざまな自然溢れる場所に行きました。竹林や嵐山で、足を止めて風に揺れる竹の音に耳を傾けていると何とも気持ちが安らぎました。
メインストリームでは、カンボジア人は私だけではありませんでした。他にも4人カンボジア人がいて、メインストリームで勉強したり働いたりしていました。そして私を無条件にサポートしてくれました。私の日本語はまだまだつたなかったので、日本人の友人たちと話すときには彼らが助けてくれました。
日本ではカンボジアの食べ物を探すのは至難の業ですが、ここでも助けてくれたのはこの友人たちでした。祖国にいるかのように、カンボジアの食事を一緒に楽しみました。
自立生活夢宙センターと自立支援センターぱあとなぁに居たのはほんのちょっとの間ですが、その間、いろいろな新しい場所に行きました。夢宙のメンバーの皆さんとは通天閣に行って、大阪名物の串カツを食べました。
ぱあとなぁでは、素晴らしい場所にいろいろ出かけて、メンバーの皆さんと楽しんださまざまな思い出があります。奈良公園に行ったりしましたが、鹿と遊んだり餌をやったりしたのも初めての経験でした。でもあんまりたくさん鹿が集まってきて取り囲まれたときにはとても怖かったです。
次に、ぱあとなぁの皆さんと一緒に、清里にある、盛上さん一家が経営するホテル「Lifequality Casa(ライフクオリティ カーザ)」に行きました。盛上さんとみんなでケーブルカーに乗りましたが、車いすユーザーにもアクセシブルなケーブルカーに乗ったのは初めてでした。山へ向かう景色は息を呑む素晴らしさでした。
カンボジアでは、日本のような車いすでも移動できる公共交通を使ったことはありませんでした。日本の公共交通は障がいのある人たちも移動しやすいように、そしてどこでも行きたいところに行けるように設計されています。
日本では車いす昇降式リフトのついたトラックから、スロープのついた乗降口のあるタクシー、そして車いすを置くスペースがあるバスや電車、新幹線までありとあらゆる乗り物に乗りました。
日本ではほとんどの場所に車いすでも行くことができ、どっちに行ったらいいかもとても分かりやすくなっています。たとえば、ほとんどの建物や公共施設にはエレベーターやスロープがあるので移動しやすいです。また、すべてのビルに障がい者用の多目的トイレもあります。
自立生活コンセプトの大切な要素のひとつに、障がいのある人たちが自分で自分のことにかかわる決断を下し、下した決断については自分が責任を取るという考え方があります。
研修では障がい者に対しどうやって特別な支援をすれば、障がい者がフルに社会参画できるかのスキルや方法をたくさん学びました。
障がいのある人たちのサポートは物理的な問題のサポートだけではありません。自立生活プログラムではピアカウンセリングのセミナーがあり、障がいのある人たちが自分の怖れていることをピア(仲間)と語り合い分かち合えるようになっていました。自信をつけ、自分を受け容れて、生活を改善していくための一つの策です。
日本では障がいのある人たちは頑張って闘って、障がい者に対する社会の見方を変えようとしています。自分たちの権利のために闘う彼らの声は本当にパワフルで、大切であると感じました。 メインストリーム協会ではたくさん友人ができ、それぞれの皆さんのお宅にも泊まらせていただきました。ご飯を作ってくださり、家族の一員として迎えてくださいました。ご自宅に伺ったおかげで、障がいのある人たちが日本ではどのように暮らしているかを見ることができました。
脳性まひ、脊髄損傷、筋ジストロフィーなどがある人たちが、何の心配もなく暮らしていました。
何人かの人たちは常に呼吸用の酸素を携えていました。また、口からは物を食べることができず、医療用の栄養を特別なストローで摂取している人もいました。
カンボジアに帰ったら近い将来、自立生活プログラムを作って日本で学んだ素晴らしいスキルや体験を実地に活かし、こうした活動も実施して私の地域の障がい者の生活を改善できると希望を持っています。
最後になりましたが、ダスキン愛の輪基金、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、素晴らしいプログラムをありがとうございました。おかげで私は日本で学び、暮らすことができました。また、自国でどのように自立生活プログラムを始めたらよいのかを教えてくださり、ありがとうございました。
私を歓迎し、皆さんの一員として迎えてくださった数々の自立生活センターの皆さん、ありがとうございました。必要なスキルをすべて紹介し、教えていただきました。新しいことにチャレンジすること、おもしろいと思った場所へ行くことを教えていただき、おいしい食べ物を楽しむ機会を与えていただきました。日本語の先生方、忍耐強く、最高の教え方で教えてくださいました。先生方のおかげで、日本語で人と話すことができるようになり、日本での暮らしが楽になりました。
日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さん、我々研修生の面倒を見てくださり、ありがとうございました。事前にいつも正確な研修のスケジュールを教えていただき、片時も休まず無条件にサポートしてくださいました。
第22期の同期研修生の友人たちとは、忘れ難い思い出がたくさんでき、研修中一緒に多くの時を過ごしました。
私たちはそれぞれ違う文化や常識の国から来ていますが、研修の間はいつも仲良く楽しく過ごすことができました。皆さんのこれからの道のりが良いものとなりますように、そして学んだスキルや体験を持ち帰って、それぞれの社会の障がいのある人たちのために活かしていきましょう。