「不可能」が普通の達成事になるように
ダスキンリーダーシップ研修の受け入れが決定したという通知を受け取ったのは2020年半ばでした。私は障がい者の就労、障がい者を対象とした福祉制度にかかわる課題や、バリアフリー設計の支援ツール、障がい者女性に対する視点、またユニバーサルデザインの原則と実施に強い興味があります。日本でこのようなことを学び、学んだことを自分自身のため、そして私のコミュニティのために活かせるようになれば、と考えていました。
しかし、パンデミックが起きてしまい、私はまず、オンラインで一年間、日本語を学ばなければなりませんでした。私は日本文学を学ぶ学生でもあるので、自分の言語スキルを磨くうえでは願ってもない機会でした。また、手話にも大変興味があるので、手話のクラスにも参加しました。日本に住む外国人ろう者向けの日本語クラスにも参加しました。
私と先生、他の参加者の皆さんはお互い何千キロも離れたところからの参加でしたが、それにもかかわらず日本文化、日本語の表現、また、日本語を教える新しいメソッドやアプローチについても多くを学ぶことができました。このようなオンラインという形でさえこれだけ勉強になったので、実際日本を訪れて本物の日本での生活を経験したらどれだけ学ぶことになるのか想像すらできません。
…と思っていた矢先、2022年4月にようやくそのチャンスは訪れました。
日本に到着して間もなく、他の四人の研修生を紹介されました。フィリピンから来たジャスミン、スリランカから来たカヴィンダ、カンボジアから来たウェン、そしてミャンマーから来たウイです。彼らのおかげで、そして彼らのそれぞれのキャラクターのおかげで、私にとってグループ研修はとても楽しいものとなりました。いまだに、私の誕生日にケーキやお花でサプライズをしてくれたことを鮮明に覚えています。私たちは共に、日本の障がい者問題の専門家によるグループ研修を受け、こうした専門家の人たちの活動やプログラムについて学びました。
ダスキンのリーダーシップ研修では個別研修もあり、私の場合は自分の目標を達成する支えになるであろういろいろなことを学びました。最初に、ATDO(支援技術開発機構)で、視覚障がい者のためのアクセシブルな図書の提供方法を学びました。また、障害平等研修にも参加し、ファシリテーターとしてのスキルを学びました。私にはコミュニケーションを生み出すためのプレゼンテーションスキルや、ファシリテーションスキルを磨く必要がありました。そうすれば、人々を勇気づけ、ファシリテートし、手助けすることができます。
それから、私がおそらく全く経験がないといえる分野は、障がい者の自立生活の概念です。私の人生において、自立することが必要でした。いかなる場合であれ、他の人に頼ることは弱さの表れであると思っていたので、人には頼れないと思っていました。他の人に頼ると、その人たちに私のことを憐れむ隙を与えてしまうと思っていました。
夢宙センターの人たちは、いろいろな知識や私とのかかわりを通じて、また理念に則って、自立するということは、必ずしもいつも一人でなんでもやらなければならない、ということではない、と教えてくださいました。他の人のサポートを受けながら物事を決断して、夢を実現してもいいのだと認識が変わりました。今日に至るまでずっとこの信条を自分のものにしようと努めています。また、センターの皆さんからは、仲間がいて、痛みや人生の困難を分かち合えることがどれだけ大切であるかも教わりました。
次の個人研修はNPOゆにで行なわれました。ゆにでは障がいのある学生のための充実したサポートプログラムが用意されています。ここでは直接、ミーティングや教室での授業でキャプションを付ける方法を学びました。聴覚障がい者および・聴覚に障がいがあり手話ができない人にとっては大変有用です。キャプションをつけるといった実用的なステップ一つとっても、どれだけ学生の学びの手助けになるか分かりません。また、私にとっては、教育プログラムにおいて障がい者を支援する枠組みの理解にもつながりました。
次にSTEPえどがわでは、障がい者のための防災訓練について学びました。防災とは、ただ「災害のリスクを減らすにはどうしたらいいか」などを教わるだけでなく、しっかり体系化されたシステムであることが分かりました。私の国でも特に障がい者にとって、災害が起きたときに必要なことができるように、防災の原則を普及させられるのではないかと思います。インドネシアが地理的にたくさん火山や断層を抱えていることを考えても防災の重要性は言うまでもないでしょう。
インドネシアの社会では、重度の障がいがある人は、ベッドや家の中にずっといなければならない「病人」として扱われます。STEPえどがわでは重度障がい者の人たちの外出支援の例として、外で新鮮な空気を吸って生活を楽しんでいるところを見せていただきました。インドネシアでどのように重度の障がい者の支援をするかについて考えさせられました。
次に、バリアフリーの技術について知識を深めるために、神奈川工科大学を二日間訪問しました。障がい者にとって、より生活しやすくするためのツールを提供することで、いかに彼らの技術的な知識を実践に移しているかに驚かされました。ここでは高齢者や障がい者の支援機器の研究をしている学生さんたちにも紹介していただいて、学生さんたちからは、どうやってこうした役立つ発明が生まれたのかを説明していただきました。素晴らしい訪問になりました。学生のためにバリアフリーの学習環境を作ろうと、膨大な努力をなさっているのを目の当たりにしました。
今思い出すのは、ある学生さんと会話していたとき、「障がいがあるけどあなたは普通に話せるんですね」と言われたことです。ほとんどの障がい者は意思疎通に問題はなくて、私のように普通に普段話しているので、そのようなことを言われて驚きました。学生の研究は障がい者のためのツール開発でしたが、実生活では学生さんたちが日々の生活で障がい者の人と接することがほとんどないのだということを知りました。
このことに気付いたのは良いことでした。なぜなら日本においてすら、社会全体において、障がい者の存在が見えにくいこと、そして交流があまりないとわかったからです。インドネシアで私は公立の学校に通いましたが、こういう学校には一般に、障がい者である私に包括的な支援が提供されることはありませんでした。学校に通っていた時期は合理的配慮がないために学習が進まないこともありましたが、いかに自分の存在を目に留めてもらい、健常者のためにできている社会に参加できるかを学んだ時期でした。
最終的に私が感じたのは、「コントロールされた環境」でほとんどの時間を過ごしてきた障がい者にとっては、大きな社会という環境に出ていくのが、ややもすると難しいということでした。バリアフリーやアクセシビリティについてはいろいろなイノベーションが進んではいるものの、こうした事実から、障がい者と健常者が調和して共に生きるにはどうしたらいいかについて、さらなる考察の必要性を感じます。
日本に暮らすチャンスを与えられたことは私にとって非常に感銘深く、また感謝すべきできごとでした。間違いなく、一人の人間としてより機能して生活することができた初めての経験だったからです。日本では、すべての人のために何もかもが設計されており、誰もがそうした仕組みの恩恵を受けられるようにできているように思います。日本では通勤もできますし、用事もこなせ、車いすを使って一人で買い物にも行けます。どこでもトイレを探すのに苦労しないとわかって安心していられる点も大きいです。
船に乗って旅をしたり、野球を見たりもしました。重度障がい者でも他の人の介助を受けて外出し、他の人と一緒に何かを楽しんだりできることを知りました。日本ではいろいろな場所に行けます。博物館や美術館にも行きました。いろいろな県も訪ね、富士山も非常に近くから見ることができました。公園に広がる秋の紅葉も楽しみました。ときには、近くのカフェやレストランでおいしいコーヒーを飲んだり食べ物を楽しんだりしました。
ここでわかることは、心構えももちろんとても大事ですが、障がい者の生活を容易にし、日本で私が感じたように、人としてより機能して生活するには、なんとしても物理的なバリアを減らさなくてはならないということです。自分が機能していると感じられれば自分のパワーになり、自信もつき、最終的には解放された気持ちにつながります。そしていったん解放されたら、可能性は無限大です。
この研修が終わったら、まず私は自分の進歩と研修プログラムについて、私の大学の障害センターに報告したいと思っています。私にとっても大学組織にとってもバリアフリーの状況について共に学ぶことが大切です。
次に、自分の旅路について文書にまとめ、アクセシブルな本にして、自分の経験や知識を人と分かち合いたいと思います。願わくば、この本が障がいのない人に、障がい者の生活がどういうものなのか、私たちへの理解を深めることにつながれば、と思っています。それだけでなく、二分脊椎についてのマニュアルを翻訳し、だれもが二分脊椎の人たちへの理解を深め、二分脊椎の人たちの生活がよりよいものになるよう協力していただけるようにしたいです。
また将来もしっかり築いて、良い仕事に就きたいと思っています。自分のことをあれこれと心配しなくて済むようになれば、もっとインドネシアの障がい者のために活動できるようになると思います。しかし、まずは自分の現時点の能力でできるところから進めたいと考えています。
それから、障がいのある人たちを対象にした英語クラスをもう一度始めたいと思います。前行なっていたプログラムも、今の自分の知識と経験があればもっとしっかりしたものにできると思います。また、障がいのある女性たちには、相談や情報交換を安全にできる場所が必要だと思います。こうした場所を私の習得したファシリテーションとプレゼンのスキルで作りたいと思います。
大学院では障害学、とくに障がい者と障がいのない人たちの関係について勉強したいと思っています。日本は物理的なバリアフリーでは先進的ですが、人と人の間のバリアフリーな関係についてはインドネシアも日本もそう進んでいないと感じました。
研修で出会った皆さんは、私が何かするに当たって絶対できると信じてくださっていました。そのおかげで私も自分はそれができると思うようになりました。自分の能力を信じてくれて、能力を疑ったり過小評価したりしないでくれる人がいれば、とても自信になり自尊心も取り戻すことができます。
日本では多くを学びました。年配のリーダーの人たちは障がい者の権利擁護と障がい者の生活支援に偉大な仕事をしてきています。私にとっての次なる宿題は、こうしたリーダーの人たちが行なってきた良い活動、そしてその原則を私の国でも実施することです。そうして、インドネシアの状況、バリア、課題、文化に見合った活動やプログラムを実施し参加していきたいです。
ダスキン愛の輪基金、そして人生を変えたこの経験に関わってくださったすべての団体の皆さんに感謝したいと思います。
多くの方はこの素晴らしい機会のために私が「不可能」を超えて努力してきたことを褒めてくださいました。
そうかもしれません。しかし、そもそもバリアがなければ、そんなに苦労をせずに済んだと思います。
そして、インドネシアの障がいのある人たちが多くのバリアに突き当たることのないよう、尽力する思いでいます。「不可能」が当たり前の事になるように。そして、私たちの障がいが大したことでなくなる世界を作っていく一助とするために。