Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ゴンチグドルジ・ゴンボのファイナルレポート(チャプター1)

模索の旅

旅の始まり

私の旅は、10ヶ月前の2010年8月31日、本研修プログラムの研修生の一人として日本に来たときに始まりました。日本は温かいハートをもって私を迎えてくれました。そして、空港に着いたその瞬間から、新しい世界・文化・言葉が私を待っていました。ただ、日本人の優しさとフレンドリーさだけは、私が以前から知っているものでした。

9月から12月10日までは、プログラムの一環でほかの研修生とともに日本語を勉強しました。日本語のクラスはとても楽しいものでした。先生はプロフェッショナルで、モンゴルとは教え方がまったく違い、「みんなの日本語」という教科書を使って楽しく勉強しました。また、私は外国語の勉強が好きですし、日本語とモンゴル語には言語学的にさまざまな共通点があります。このふたつが日本語を勉強する上で大きな支えになりました。

さらに、さまざまなスポーツも初めて体験しました。最初の3ヶ月は水泳を、11月にはロック・クライミングを、1月にはスキーを、そして5月と6月には何度も全国チャンピオンに輝いた先生に卓球を教わりました。たいへん素晴らしい経験になりました。

ホームステイの写真1

ホームステイ

日本の家庭でホームステイをすることは、かねてより私の夢でした。そして夢が叶ったのです。池沢さんのお宅にお邪魔すると、きれいなバイオリンとピアノの音が出迎えてくれました。池沢さんのお宅のお嬢さん二人は私の姉妹のように感じられました。二人とも小さいのに音楽家としてはたいへんな腕前でした。日本語で思うようにコミュニケーションするのは難しかったですが、クラシック音楽の音色を聴き、家庭の温かさを感じながら、忘れることのできない2010年から2011年への年越しとなりました。

ホームステイの写真2

旅の過程

人生において自分が何をしたいのか見つけるのはなかなか楽なことではありません。それには長い時間がかかりますし、いろいろな努力も必要です。2010年の12月の集団研修プログラムにおいて、そして2011年1月から5月の個別研修の間、大阪・東京・藤沢・浜松において、ありとあらゆる場所(自立生活センターや障害者施設、政府・非政府の組織、特殊学校、大学など)を訪れ、多くの障害者に会うことができました。これらの研修を通して、日本の障害者運動の現在について知識と理解を深めることができ、大きな学びの機会となりました。日本では東京や大阪などほとんどの都会がバリアフリーというのは素晴らしいことです。また、駅員さんや、道で出会う人だれもが、助けの手を差し伸べてくれました。さらに、私のような視覚障害者でも自立して生活できる利便性・可能性を実現するために日本がどれだけ頑張ってきたかを実感することができました。そして、日本の障害者や障害者リーダーがどれだけ頑張り、どれだけ長いこと運動に関わってきたかを噛み締めることとなりました。

前述したように、私の個別研修は2011年の1月から5月までの5ヶ月間でしたが、それは光友会・DPI日本会議・ウィズ半田・日本ライトハウス情報文化センター・支援技術開発機構の各所おいて短期または長期にわたって行なわれました。いつも大らかな心で温かく迎えていただき、研修に最良の環境になるようにと皆さんが信じられないほど心配りをしてくださいました。5ヶ月は長いようでもありましたがあっという間に過ぎ、どの瞬間も逃すことなくじゅうぶん噛み締めるように努力をしました。出会った日本の人たちは皆すばらしい人たちで、良い友人となり、忘れられない時を一緒に過ごしました。同時に、友人たちを通して、自分でも知らないうちに段々と日本文化や習慣、ものの考え方に浸かっていきました。日本も、日本の友人も、私にとってはたいへん親しくかけがえのないものとなりました。

ホームステイの写真3

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このときまで、私は津波にも地震にも一片の知識もありませんでした。過去千年間で最大規模という地震と津波が日本を震撼させたとき、私はホストファミリーと一緒にいました。日本では国をあげて、東北沿岸を襲ったこのひどい災害の犠牲となった兄弟姉妹、そしてダメージを受けた原子力発電所のせいで生活が困難になった人たちへの思いが一心となって、被災者の人たちが普通の生活に戻れるようにとの支援が始まりました。日本の人すべての胸の中に愛が脈打っているのを、京都でホームステイさせていただいたご家族を通じて感じ取りました。竹下さんのご一家のように、世界はひとつの大きな家族であり、日本とモンゴルは兄弟です。毎日心の奥底から「日本に神のご加護がありますように!」と祈っています。

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