Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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パク・ユンニョンのファイナルレポート(チャプター1)

私は障害者!

小さい存在
-日本へ来る前の私-

韓国で大学4年生だった私は、自分のことを「小さくて何の価値もない存在」だと考えていました。1986年、骨形成不全症を持って生まれた私は、とても骨が弱くて、些細なことで骨折していました。ギブスをしているのが当たり前で、家の中で過ごす日々が続きました。お父さんは毎日お酒を飲んでは寝ている私のそばで泣いていました。歩けるようになるために毎日通っていたリハビリでも、骨折を繰り返す私を見て、お母さんは誰も知らない土地に行ってしまいたいとまで思いつめていました。このように、生まれた時から誰かにずっと心配される存在だった私にとって、障害は「頑張って克服しなければならないもの」でした。

こんな生活を続けていたとき、ダスキンの卒業生であるパクチャノさんからこの研修を教えてもらいました。それは私にとって本当にラッキーなことでした。でも、研修への応募動機は特別なものではなく、「今までのつまらなかった生活とは違う、新しい生活を送りたい」というものでした。そして、厳しいインタビューを経て、私は12期研修生になりました。しかし、私よりもっと有能な人たちが応募しても合格できなかったことを知っていたので、どうしてこんな私がダスキンの研修生に選ばれたのだろうと、最初は信じられませんでした。

10ヶ月間の主な研修

私は10ヶ月間、いろいろな所でいろいろな研修を受けました。8月30日に日本へ来てから3ヶ月間、日本語の研修を受けました。私は韓国で少しだけ日本語の勉強をしてきたので、毎日一人で飯田橋の日本語の学校まで通うことになりました。頑張りたいと思って、実力より高いレベルのクラスを取りましたが、思った以上に大変でした。クラスメイトは日本で1年以上勉強をしている人たちでしたし、授業では新聞や本を読んだり、経済から文化までいろいろな日本の社会について議論したり、毎日テストを受けたりしなければなりませんでした。クラスメイトはそれらを平気でこなしていましたが、私は学校から帰ってきたら休む間も無く、勉強をしなければなりませんでした。勉強が始まってから1ヶ月間は本当にクラスを変更したかったですが、やっぱり負けたくないと思いました。そして、だんだん慣れてきて、私は宿題や受け答えがしっかりできるだけでなく、誰よりも堂々と発表できる学生になりました。そして、12月に実施された日本語能力試験でN3レベルに合格できて本当に嬉しかったです。今は、あの時にすぐ諦めなくて本当によかったと思っています。
1月からは個別研修が始まり、研修生は皆いろいろな所で研修を受けることになりました。私も宮崎から東京まで日本のいろいろな所で研修を受けました。私の主な研修の内容をグラフにしました。

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1)見学:17ヶ所
2)自分史:15人
3)発表:13回
4)CIL訪問:12ヶ所

1.見学

私の10ヶ月間の研修の中でいちばん多かったのが見学で、合計17ヶ所でした。施設から病院まで、いろいろな所を見学しました。初めて見る装具やそれぞれの独自のシステムなど、勉強になりました。なかには、リハビリテーションセンターはもちろん、幼稚園から高校まで設置されている所もありました。このようにシステムが完璧すぎると、障害者は普通の社会に出なくてもいいと言われているようで、寂しくなる時がありました。

2.自分史

私のいちばんの希望はいろいろな人から自分史を聞くことでした。実際に私は10ヶ月間の研修のなかで、自立生活センターの代表から利用者さんたちまで、合計15人から自分史を聞くことができました。いつも家のなかにいた私は、できるだけたくさんの人と出会って話がしたいと思っていました。話を聞いてみると、みな障害があるという点では同じ立場でも、障害についての思いはそれぞれ違いました。自分がもともと持っていた性格や家庭の環境、障害を持った時期によっても、考え方や障害との向き合い方が違うということに気がつきました。すべての人はそれぞれ大切なものを持って生きており、そのことを尊重しなければならない、ということが分かりました。それから、CILのリーダーたちから自分史を聞く時には、強いパワーが伝わってきました。「私はどんな信念を持って、どんな人になりたいのか」が見えてきた、有益な研修でした。

3.発表

ダスキン研修のオープニングセレモニーで12期研修生を代表して皆さんの前で挨拶したことに始まり、インタビュー、自分史、成果発表などを含めて、私は13回の発表を行いました。韓国では発表したことがまったく無かった私でしたが、ダスキンの研修生になってからは一つの研修が終わる時には必ず、皆さんに成果を発表することになりました。初めて発表するときは怖くて、緊張して、逃げたいと思いましたが、だんだん慣れてきました。今では緊張しながらも、少し余裕をもって話せるようになりました。自分でもびっくりするぐらいの成長でした。そして、私はたくさんの人の前で話をすることが好きだということに初めて気がつきました。

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4.自立生活センター(CIL)訪問

宮崎や鹿児島にあるセンターから大阪の自立生活夢宙センター、メインストリーム協会、あるる、ぱあとなあ、そして東京のヒューマンケア協会まで、いろいろな自立生活センターを訪問したり、ILPなどの研修をしたりしました。ILPとは、自立生活プログラムのことで、料理や外出など障害者が自立するために必要な体験をしてもらうプログラムです。見学していくうちに、CILの基本的な理念やサービスなどはどこも同じだけれど、地域によって特徴が見えてきました。それぞれのセンターで学んだことのなかから、興味深いプロジェクトや成功したアイディアを韓国流にアレンジしながら、新しい形の自立生活センターを作ることができると思いました。

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5.その他の研修

私がILPを企画して実行したり、自立相談に入って利用者さんの話を聞いたり、2週間のピアカウンセリング(ピアカン)集中講座を受けて、最後日には私がリーダーになってピアカンを行ったりしました。ピアカンでは自分の話をよく聞いてくれる仲間とのセッションを通して、自分がもともと持っていた力に気付くのが大事だといいます。私も2週間の集中講座を通じて、自分の力に気がついて、ありのままの自分が好きになりました。

また、ILPの企画でいろいろ所に電話したり、ピアカンの勉強で毎日報告書を書いて次の日チェックしてもらったりしたことは、日本語の勉強にもなりました。

このように、私は10ヶ月の間にいろいろな勉強をしました。でも、勉強ばかりではなく、楽しいこともいっぱいありました。日本にいる間に誕生日を迎えて、みんながサプライズパーティーを開いてくれたり、研修先の皆さんと海から山までその地域で有名な所に遊びに行ったり、そこでいちばんおいしいものを食べに行ったりしたので、韓国にいたときより友達がたくさんできました。10ヶ月間のいちばんの成果であり、またいちばん嬉しいことは、韓国に帰ってもいろいろな相談ができる日本の仲間ができたということです。

私は研修中に諦めそうになったことが2回あります。1回目は、参加していた日本語クラスが難しかったことでした。そして、2回目が東日本大震災のときです。3月11日の震災は、私にとっても10ヶ月間の中でいちばん大変な時期でした。心配している家族から毎日電話がかかってきて、「1日でも早く帰ってきなさい」と言われると、研修に集中できなくなりました。両親を何とか説得しなければなりませんでした。いつでも帰国できるようにパスポートを肌身離さず持っていることを条件に、研修が続けられるよう両親と交渉しました。しかしその瞬間から、このままでは絶対に帰りたくないという気持ちが強くなりました。心配している家族には悪いけれど、やっぱり自分がやりたい研修に集中するようにしました。それから、私も少しでも皆さんの役に立ちたいと思い、たいへんな状況にある障害者の仲間を助けるため、毎週募金活動に参加しました。

このように10カ月の間に2度の困難がありましたが、自分自身を、そして自分が決めたことを信じて、最後まで頑張りました。特に、2回目の経験で私はもっと強くなったと感じています。今は、あのとき帰国しないで研修を続けて本当によかったと思っています。

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