新しいろうの世界を発見して
2週間という大変短い期間でしたが、大阪府聴力障害者協会を訪れました。この協会には多くのセンターや団体が属しています。研修しているうちに、ジョホールでも大阪府聴力障害者協会のような組織を作りたいと強く感じるようになりました。多くの場所を訪ねましたが、中でも大きかったのは大阪にある高齢の聴力障害者のための老人ホームです。このホームではたくさんのご老人が生活しており、私のことを日本人みたいだねと言ってくださいました。さらに、ろう者および重複障害があってほかの場所では働けない人たちの作業所も多数訪問しました。ニッセイ・ニュークリエーションでは多くの障害者が社員として働いており、この人たちのための環境もいろいろ整っていることに驚きました。マレーシアの企業にはこのようなところはありません。マレーシアに戻ったら、企業がニッセイのような取り組みをするように活動していきたいと思います。
日本の3月3日は、「みみの日」です。耳の日について、私は何の知識もありませんでした。3月6日に開催された「みみの日記念大会」では、大阪の委員会と青年部の皆さんに加わってお手伝いをしました。委員会の皆さんは、私をお客さんとしてではなく彼らの一員として扱ってくださったので、とても嬉しかったです。大阪の青年部の人たちは、私を大阪の各所へ連れて行ってくださいました。たいへん楽しく、また日本酒をたくさん味わい、帰国後も活かしていけるネットワークづくりもできました。大竹さんほか青年部の皆さんに、研修の間お世話になったことについて深くお礼申し上げます。
兵庫県聴覚障害者協会での1ヶ月もまた短いものでした。嶋本さんの運動および青年部の活動について学びました。また、センターの設立の方法について意見交換したり、学んだりすることができたので嬉しかったです。嶋本さんは、私を京都聴覚言語障害者福祉協会に連れて行ってくださいました。青年部の運動や組織についていろいろ教えていただき、嬉しかったです。嶋本さんは優れたリーダーで、素晴らしい才能の持ち主です。嶋本さんと話しているうちに、これからジョホールの社会にどう働きかけて行くべきか、アイディアが生まれてきました。ジョホールの協会を大阪や兵庫の聴覚障害者協会のように活動できるようにしていきたい。私が訪ねた兵庫、淡路、大阪のセンターはすべてやり方やディテールが違っていました。また、ボランティアとして淡路ふくろうの家でお年寄りのお手伝いをした際に、若い介助者の人たちとも一緒に働きましたが、若い人たちが介助者として働けることに驚きました。マレーシアの老人ホームにはこのような若い人たちはいません。また、近畿青年部が非常に強固な組織であることにも驚きました。嶋本さんは私にアジア太平洋青年部について、また日本の運動について話してくださいました。一生忘れません。マレーシアでも近畿青年部のような青年部ができて欲しいと思うので、将来力を尽くして頑張りたいと思います。アジア太平洋地域はアメリカやヨーロッパを凌ぐことができるでしょう。がんばりましょう!
筑波大学では、5日間という短い研修でしたが、大杉先生の教育方法を勉強しました。大杉先生はたいへん良い先生でリーダーでもあります。教室で先生が学生に教えるところを見学しました。教え方はたいへん厳しかったですが、同時にわかりやすくもありました。私もこのような教え方を身につけようと思います。また、先生が開講したホテルにおけるろう者のバリアについての講義にも参加しました。
世田谷福祉専門学校での2週間は、さらに短く感じられました。高島先生が手話を教えていました。高島先生と飯泉先生は学生さんに温かく接し、先生と学生さんはお互い家族のようでした。高島先生とは手話についていろいろ話しました。高島先生はまるで私の父のように、そして飯泉先生は母のように感じられました。マレーシアでもろう者と通訳者が家族のようにフレンドリーに接することができ、手話を教えるだけでなく手話通訳者も養成する、世田谷福祉専門学校のような環境があれば良いと思います。