Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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イー・ティンザー・トゥンのファイナルレポート(チャプター3)

強くなった私

国立障害者リハビリテーションセンター手話通訳学科

ミャンマーには手話通訳者がまったくいませんが、日本にはその養成機関があることを知りました。手話によるコミュニケーションの方法や手話通訳技術の習得などを5日間かけて学びました。ミャンマーでも日本のような手話通訳養成機関が設立されることを願っています。

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明晴学園

明晴学園で2週間ほど研修をしました。ここでは先生方は口話を使わず、日本手話を使います。そのため、子どもたちも手話がとても上手です。3歳ぐらいの子どもが、大人のろう者と同じぐらい流暢な手話を使って「恋人いる?」、「仕事は何をしているの?」、「ミャンマー文化と日本文化の違いは何?」など、積極的に質問をしてきます。このように、子どもたちが積極的に私に話しかけてくることは他のろう学校ではなかったので、とても驚きました。

強くなった私

ミャンマーで生活していたときは、どこに行くにも必ず両親がついてきてくれました。私は大学生ですが、父は毎日欠かさず大学への送り迎えをしてくれました。それが普通のことだと思っていました。しかし、日本では何事もすべて自分でやらなければなりませんでした。最初は不安で仕方がありませんでした。道に迷ったときは泣きたくなりました。しかし、それでもあきらめずに歩き続け、目的地にたどり着いたときは「私にもできる」という気持ちになりました。それからは、道に迷っても落ち着いて対処することができるようになりました。以前はミャンマー国内で遠出するのはとても不安でしたが、日本で滋賀から東京まで一人で移動したときはまったく平気でした。帰国後は、どんな場所へも一人で行けると思います。
また、3月11日に起こった東日本大震災を通して、私は一段と強くなったと感じています。日本で初めて大きな地震を経験し、私は怖くて仕方がありませんでした。研修生の友だちから励ましのメールが届いても、明るい返事を書くことができませんでした。部屋に一人でいる時に余震が起こると、怖くて泣いてしまう日々が1週間ほど続きました。そんなとき、両親から連絡があり、すぐにミャンマーに帰るように言われました。地震に恐怖を感じていた私は、とても悩みました。しかし、被災してもなお希望を忘れず、明日に向かって頑張っていこうとする日本の人たちの姿を見て、私も同じように強くなりたいと思いました。自分にできること、自分のやるべきことを成し遂げるために日本に残ると決め、私は10カ月の研修を全うすることができました。このように日本での研修を通して、私は強く生まれ変わりました。

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帰国後の目標

1.ろう学校で子どもたちにパソコンを教えたいです。たとえば、エクセルや絵をかくツール、写真の加工などを教えたいと考えています。パソコンを取り入れることで、子供たちは楽しく学ぶことができると思います。また、パソコンが使えることは就職する時に有利になりますから、将来的にも大切なスキルです。

2.ろう児の発話を促すような教育方法をろう学校で取り入れたいです。ミャンマーのろう学校では、教師が一方的に子どもを指導するというスタイルが一般的です。しかし、明晴学園のように教師と子どもたちの綿密なコミュニケーションを通じて、子どもの能力を引き出していくべきだと思います。そのためには、まず、全ての教師が対等に発言できる環境を作り、教師間のコミュニケーションを確立することが大切だと考えています。ミャンマーでは、聴者の教員が昼ご飯を先に食べ、ろう者の教員はあとから食べることが多いです。しかし、日本のようにすべての教員が一斉に食事をし、教師同士が常に対等な立場で意見が言い合える環境を作りたいです。

3.私が働いているろう学校の教室を活用して、ろう青年たちは小さなグループを作っています。私もそのメンバーとなり、日本で学んだことを報告したいと思います。日本の青年部のように、みんなで討論を重ね、ミャンマーの制度や法律に関する提言を行えるような団体にしたいです。

4.JICAが実施しているプロジェクトのお手伝いをしたいです。JICAはミャンマーで手話通訳者養成のプロジェクトを開始します。私もその活動を微力ながら手伝いたいと思います。ボランティアという形になりますが、ぜひ日本で学んだ経験を活かしたいです。

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