Duskin Leadership Training in Japan

研修レポート

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リーの日記 ホームステイ

12/28(金)

今日はホームステイの初めの日です。私の出発時間はまだまだ早かったですが、朝早くてソーモーさんに起こされました。準備万端と思っていましたので、ゆっくり荷物を運んでから、一人でのんびり食べました。しかし、部屋の使用時間は12時までのため、ロビーで皆と一緒に待つしかなくなりました。電車は順序でしたが、空港に人はいっぱいいて込んでいるし、手続も沢山あって遅かったです。龍馬空港で迎えに来るのは介護タクシーという物は新鮮なんです。台湾は介護バスがありますが、タクシーは普通なタクシーしかありません。樋口さんの手料理は本当に美味しいですので、ちょっと食べすぎました。特に土佐の郷土料理の鰹のタタキ。あの味が忘れられないんです。ゆず酢で作った寿司も初めてです。うちだったら、必ず普通の酢で作ります。食事の間にお酒を飲みました。少しだけですが、すぐ眠くなりました。勿論、長い旅の理由もありますだろう。

ホームステイ初日にファミリーと

ホームステイ初日にファミリーと

12/29(土)

今朝、真砂子さんの声を聴いた後で起きました。どうせトイレは一人しか入れないと思っていたので、そのまま寝て待ちます。それから、朝のコーヒーのため、人生の初めて自分で豆を磨きました。健康な朝御飯を食べながら、話した後で、真砂子さんを安芸駅へ送って行きました。それから、これから六日間のスケジュールを作りました。その中、安芸市ともう一つ地域の新聞を担当する二人の記者が来年から交替するので、挨拶をしに来ました。辞任する方は私より一歳年上だけで、もうこんな広い地域の新聞担当者に成りました。本当に凄いですね。記者達が帰った後、スケジュールがやっと決まりました。しかし、私は四万十に行けるように成るため、約束したコンサートは行けなくなるには本当にすみませんでした。そして、近藤さんとルンバという掃除ロボットを綺麗に成るために掃除しながら、いっぱい話しました。それから、買い物に行きました。今日の安芸市はとても暖かいです。そのかわりに、スーパーはとても寒いです。そこで、もちの硬さにビックリされました。台湾のもしかそんなに硬く成りたいなら、冷凍庫に入れるしかなりません。日本のもちは一体どうやって作られただろう。

12/30(日)

昨日見た天気予報の通りに、今朝から夕方までに雨がずっと降っていました。私は昨日の夜更けに服一枚を脱ぎました。そして、多分雨のせいで、朝方の気温がかなり下がりましたので、寒さを感じでより早く起きました。うろうろして、時間がついてからリビングルームに行って、朝食の準備に手伝いました。勿論、食事の後も片付けました。昼間にずっと雨のため、車椅子の使用者の近藤さんと私にとって、外出するのは大変でしたので、どこへ行けませんでした。この機会で、近藤さんと私は私の将来から初めで色んな事を話しました。して、私は近藤さんの事と日本障害者運動の事をもっと詳しく分かりました。午後約1時半頃、雨が弱くなって、外も明るくなってきました。それを見て、高知県の坂本竜馬記念館へ行くつもりですが、近藤さんと私は急に具合が悪くなって、止めように成りました。それから、今度は樋口さんと話し合いました。昔の新聞記事を見せながら、紹介されました。料理の事もたくさん話しました。そして、ある時間帯に、近藤さんは部屋に何を作っていて、樋口さんは以前の資料を整理していました。私は一人で暇な仕方ないので、手話を勉強しました。それから、愈々夕食の時間でした。今日はすき焼きでした。初めて日本ですき焼きを食べました。台湾の店とのつくり方は全然違います。しかし、本当に美味しかったです。食事の後のお喋りに知った、樋口さん達はともに猫派ですので、うちの猫の写真を見せました。そして、一緒にテレビ放送を見ました。私にとって、子供の時家族と一緒にいる感じです。

12/31(月)

この朝の予定は入らなかったので、家族全員遅くて起きて、朝御飯ができた時間はほぼ昼でした。のんびり食べて、午後の予定を確認しました。近藤さんと樋口さんはお皿鉢料理を取りに行った時にクリーニングロボット ルンバさんが動き始めました。この日は私がここに来てからルンバさんのちゃんと働ける初めての日です。先週の金曜日も起動しましたが、新聞社のお客さんがいたので、直ぐ止めさせました。それから、高知市内の坂本龍馬記念館へ行きました。正直に言うと、私は幕末の歴史に余り知りませんでした。名前が知っているぐらいの程度だけです。そこで坂本龍馬の手紙をいっぱい読んだが、あの様な言葉使いは中々理解できませんでした。外の風が強くて少し寒かったですが、とてもいい天気でしたので、屋上から出て、時間を沢山かかって、綺麗な海をじっと見ていました。記念館へ行ける本当に良かったです。夕食の後一緒に紅白を見て新年を待ちました。翌朝マラソンがありますので、年越し蕎麦を食べたから、早くテーブルを片付けて寝ました。

坂本竜馬と記念撮影

坂本竜馬と記念撮影

1/1(火)

この朝マラソンがあるので、早く起きて朝食も食べずに出かけました。三キロと聞いてから、きちんと体力を調節すると考えていたが、思ってより短い距離でしたので、またウォーミングアップから、ダッシュに変わる途中なのに、もうゴールに着きました。これは安芸市の元旦恒例イベントです。マラソン以外、他には餅投げと寒中水泳があります。寒中水泳はお正月に海で泳ぐことです。ただし、ただの泳ぐはつまらないですので、船から果物を投げて、海で泳いでいるが其々の果物を拾うようになりました。ちなみに、メロンとパイナップルまでも投げましたよ。パイナップルに投げられたらどうなるかなと思っていました。早起きで、マラソンして、疲れたので、少し昼寝を取りました。夕食時間に朝のマラソン会場で会って自立生活センターのヘルパーとその息子さんと一緒に皿鉢料理を食べました。期間、息子のけい君は良い声できろろの歌を沢山歌いました。本当に凄く良いお正月でした。

1/2(水)

この日からは四万十への旅行です。初日の距離は遠いですので、朝早く起きて出発しました。初めて日本の高速道路で走って、道案内の看板が同じだけで他の事は全然違います。途中に近藤さんに高知県の事をいっぱい聞きました。そして、3時間後、やっと四万十市に辿り着きました。あの有名な沈下橋の周りは物凄く綺麗ですが、今の時期の水位は可なり低いです。高所恐怖症があるため、私は橋を渡ることができずに、遠い距離に写真を撮りました。腕も装備も良くないので、たとえ写真を見せても、あの真の美しさを他の研修生に伝えず、自分の脳内に追憶しかできません。最近、気温の変化が大き過ぎで、ちょっと風邪が引いた気がしました。折角奢られた料理の香りが殆ど分かれなくて、非常に勿体無いでした。特に残念なのは食べられる機会が相当に少ない鹿肉でした。夕食の時に三十年以上前のドラマ「お信」をやっていました。字幕がなくて、東北方言、鹿児島弁で早口で話して、理解不能でした。それから、火曜日に貯まった筋肉痛を速目に消すため、私は岩盤浴をしました。余りに気持ち良かったので、ずい寝てしまいました。温泉に入るも気持ち良かったですが、硫黄の匂いに慣れないので、直ぐ出てしまいました。それから、NHKのクイズ番組を見て、一緒に推測しました。日本人じゃない私は案外に芸能人達より正解率が高いでした。どうやら私の勘が良かったね。

四万十の景色

四万十の景色

温泉にて

温泉にて

1/3(木)

今朝雪が降れなかったが、山の朝方やはり凄く寒いです。朝の気温は可なり低くて、咳が止められなかった。鼻水も止まれなかった。自分のマスクは樋口さんの家に置いてしまったので、やむを得なく店主さんからマスクを頂きました。今日の朝食も豊かな新鮮でしたが、嗅覚喪失中でしたので、味以外しか分かれなかった。本当に残念でした。私が病気の故に朝食の後で直ぐに帰って来ました。帰り道に近藤さんと道に刻まれた滑り止め刻みから福祉制度のまでいっぱい話しました。やはり知識が豊かですよね。興味も似ているし、本当に良かった。途中に野良時計を見ました。野良時計は昔時計がそんなに普及しなかった時代に、周りの畑に働いている農民に見せるために作った物だそうです。しかし、今は調子悪くて、もう動けないです。薬を飲んだので、午後荷物を作った後で少し寝ました。この二日間に近藤さんは大変疲れましたので、夕飯の後、面白いテレビ番組がないので、早く寝ました。樋口さんは会議の資料を読む、私は貯まったレポートを書いていて、最後の一晩を過ごしました。

1/4(金)

愈々ホームステイの最後の日です。高知生活はとてものんびりで、東京に戻りたくなくなりましたが、全ての良いものは必ず終わりが来るので、現実を直視しなければならん。昨日全部準備できましたので、今日は順序に飛行機に乗って、サンライズに帰りました。また整理しているときに、奥平さんからの電話を貰って、新年パーティーに行って、会長さんと話しました。それから、コンピューター室から、大きい荷物を取り戻して、疲れすぎで整理せず直接寝てしまいました。

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