Duskin Leadership Training in Japan

研修レポート

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リーの日記 5月

スポーツ研修

今週中に戸山サンライズに障害者スポーツ関することを勉強しました。日本に来て、サンライズで生活し始めてから、もう8ヶ月経ちましたが、サンライズのスタッフ達の中に障害者スポーツ指導員の資格を持っている人が居る事は初めて知りました。障害者スポーツの基本は、障害のない人のスポーツから工夫して、規則や用具を一部変更し、改良し、安全に楽しく、公平できるよう、行っていくものです。そして、先ずは来週のスポーツ大会のため、応募した項目に対して練習していました。それから、他のスポーツ項目もしていました。私個人は体をしっかりしたいですので、今度の機会に乗って、色んなことを聞きました。

例の有名な所(?)

この週中に千葉県へ行きました。行先はディズニーランド…ではないでしたが、今までの人生にディズニーランドと一番近い時でした。今回の行先はオーエックスという車椅子会社でした。オーエックスの社史と事業内容を聴いて、作業場や実験所も見学しました。オーエックスの社長は当時既存の車椅子に満足できなかったので、よりいい車椅子の開発をし始めました。そして、範囲を徐々に広がっている、日常生活の車椅子以外、レース用、自転車、ハンドル自転車なども生産しています。やはり自分自身がものにて対して、何が求めていればこそいい物が作れます。

車椅子の製造工場を見学しました。

車椅子の製造工場を見学しました。

新潟湯沢町

一月末のスキー研修をして以来、もう一度湯沢へ行ける事は全然思えなかったです。今はもう既に春に成ってグリーンシーズンに入って、雪はあまり積もっていないので、スキー研修のために湯沢へ行くわけではありませんでした。此度の研修は三つに分けていました。先ずは私達のスキー研修の担当グループ―NPOネージュに関する事を勉強しました。次は湯沢町のまちつくりの事でした。それからは、アスリートの勉強でした。前の言った通り、春からの湯沢は雪が大体溶けて、スキーができる場所はまたありますが、そんなに多くないです。ですので、他の企画を準備しなければいけません。ネージュが目指すのは障害のある人も、ない人もともに色んなイベントを楽しめることです。いわゆる、ユニバーサルデザインの理念で経営しています。そして、ハスピタリティオペレーションのリゾート事業部統括マネージャーの八木さんとネットワークの重要性を話しました。その場でゴルフも試しました。

初日にも湯沢町の地域整備課課長の角谷さんと湯沢町のまちつくりを話しました。湯沢のまちつくりは先ず国の法律に沿うってから、基本構想ができました。特定な施設から半径1キロの範囲に円滑化の整備をし始めました。本気に町民に考えていて、まさかにいい地方政府です。しかし、年中三分の一はホワイトシーズンですので、雪の事を考えなければいけないです。しかし、数多く雪対策はバリアフリーに反するので、今は未だいい方法を見つけませんでしたそうです。しかも、まちつくりの設計は、実際に地元の障害者と相談したことがありませんでした。これはこれからの課題と課長はこう言いました。面談終わって、次の場所へ移動する途中に足湯を見て、ビックリしました。別に想像できない物ではないですが、車の中で街の直ぐ傍に足湯に入る人を見えることにビックリしました。折角だったので、私も入りました。

二日目は苗場インディペンデンスボードウォークを体験しに行きました。元々インディペンデンスボードウォークの発想は健常者だけでなく、障害者も森林浴を満喫出来るよう、皆の協力を貰って作った歩道ですが、イベントの主催者が管理階から離れてから、いろんな問題が出て来ました。一番大きな問題がメンテナンスはボランティアでしていますが、ボランティア達はこのボードウォークの主旨が理解できないので、修繕した歩道は逆に危険に成りました。私が実際に歩いた感想はこんな道に歩いたら常に転落の心配をして、風景を見る余裕がなかったこんなに立派な発想は勿体なく成っちゃいました。本当に残念でした。そして、私はとある装置を使って、砂利敷きの道も簡単に歩けます。良い物でしたが、一人でつけないのは問題点に成りました。

三日目と四日目は障害者アスリートの育成に関することを勉強しました。様々な勉強を受けました。私が注目して上位選手のメンタル調節とか、自分の問題を発見し、解決策を思い出しし、具体的な行動を決めるとかをしました。更に体の事も。中には筋トレ、アフターケアを含めて、必ず筋肉痛に成るほどでしました。しかし、私自身にはとっても重要ですので、実際にやらなくて、体で覚えなければいけません。よく考えて、今週にスポーツをしすぎかもしれません。月曜日もレイモンドさんと一緒に水泳しに行きました。しかし、過去台湾で、これ位は普通の生活だと覚えていました。

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